075.ぬいぐるみ
「私が非情になり切れないとの言葉を否定しようとは思いませんが……長官様を生かすと決めたのは心優しき公爵様であり、私ではありません」
「…………」
きっぱりと言い切ったアナベルを訝しげな顔をして睨む息子に、素直な胸の内をそのまま語った。
「私はセインを襲った長官様を許せず、即死魔法を撃ちたいのを我慢しています。ですが、焼き蛙を食べる姿を見るのは気持ち悪いと思ったから長官様を元に戻しただけです。ですので、私の目の届かないところでしたら焼くなる煮るなりお好きにどうぞ。……セイン。私が直接死なせるわけではないからいいですよね?」
蛙になった後の不運な事故まで責任は持てない。それを許してほしいと願いながら見つめるアナベルに、セインの優しい笑みと頷きが返ってきた。
「そうだね。蛙となっても大事に飼ってもらえれば、それなりの年月は生きられるはずだ。焼き蛙とされたり叩き潰されるというのは、君のせいではなく不運な事故だな」
「な、なにを勝手なことを……」
立ち上がった長官が、セインの言葉にまなじりを決する。
だが、アナベルには長官の怒りよりも、セインの許可を得られたことのほうが重要だった。
「私の大事な方も認めてくださったことですし、これで心置きなく魔法をかけられます。さあお二人様、本番ですよ」
「本番だと?」
微笑みを浮かべるアナベルに、息子が眉をひそめて問うてくる。
「先ほどの魔法は、角だけでなく、人間であっても蛙に変身させられるという証明にすぎません。あの魔法は時間が経てば自然と元に戻ったのですよ」
ふふ、と目を細めて真実を打ち明けると、息子は顔を歪めてアナベルを険しい目で見た。
「私の認識が間違っていたと認めよう。おまえはこの上なく非情な女だ」
「セインの敵に情けをかける甘い人間と思われるより、それは何倍も嬉しい言葉です。今から使う魔法は長官様だけでなく、あなたにもかけます。陛下に対する誓いを軽く扱い、即死魔法を撃つのが好きなどと真顔で言う魔法使いは見逃せません」
「私が、やすやすとかかると思うか?」
挑戦的な目でアナベルを見返し、息子が魔法力を高める。
「対抗するならお好きにどうぞ」
「おまえたち、蛙など追うな! 私と父を守る為に力を尽くすなら角を渡してやろう。我らはまだまだ持っているのだからな!」
アナベルが魔法力を高めたのを見て、息子が角を諦めきれず床に這うようにして蛙を探している魔法使いたちに声をかけた。
その言葉に魔法使いたちが一斉に動きを止めた。
「ほ、本当に……」
「角をいただけるのですか?」
魔法使いたちは息を荒げ、狂気さえ窺える目で息子を凝視した。
「ああ。好きなだけやるとも。だから全員の力を結集し、盾を作れ」
息子が餌で釣って魔法使いたちを良いように使おうとする。その命令に、アナベルは薄く笑った。
「王宮魔法使い。ベリル最高峰の魔法使い集団と呼ばれ、王の盾として人々の敬意を受ける皆様。それほどの方々が、妖しい煙に身も心も汚染され恥ずかしいとは思わないのですか?」
「!」
凛と冷たく響いたアナベルの声に、魔法使いたちの肩が揺れる。息子のほうを向いていた顔が、宙に投影されたアナベルに向けられた。
どの顔も、今にも死んでしまいそうなほど苦しげだった。
「誰にでも間違いはあります。もし、少しでも後悔されているなら……」
「娘よ! 説得など無駄なこと。こやつらにはもはや王宮魔法使いたる矜持などない。床に這って蛙を探していたのだぞ。角の煙を吸うことしか頭にないのだ!」
アナベルの言葉を遮り、息子が魔法使いたちを嘲笑する。
「本当に、王を守り国を守ろうと王宮魔法使いを志したお心は、一欠けらも残っていないのですか? 馬鹿にされ嘲笑われ、尊厳を軽んじられても、それでも角欲しさに長官様の足元に跪くのですか? あなた方が頭を垂れるのは、ただ一人と忠誠を誓った、アルフレッド・フィラム国王陛下ではないのですか!」
息子の嘲笑を掻き消す声で、アナベルは魔法使いたちの心に訴えた。
「こ、後悔している」
「こんな奴らの言うことを聞くために、王宮に来たのではない」
「だが、どうしても、煙が……」
「吸いたくて、我慢できないのだ。娘よ……」
まるで、泣いているような声が次々とアナベルに返って来る。
魔法使い全員の後悔と嘆き……そして、煙に依存するのを断ち切りたいと望む切なる心が、しっかりと伝わってきた。
これならば、大丈夫だ。自分の魔法は必ず彼らに効く。
アナベルは確信が持てた。
「あなた方のその願い。私が叶えましょう」
「え?」
魔法使いたちが、何を言われたかわからない様子で、アナベルを見る。
「私が今から、あなた方を縛る角の依存を解きます。その代わり、もう二度とセインを襲わないでください」
「元の身体に戻ることができるなら、二度と公爵に手出しはしない!」
「私も!」
私もだ! と魔法使いたちは続々とアナベルの願いに応えてくれた。
ところが、満足してセインと微笑み合うアナベルを、息子と長官が鼻で笑った。
「角の依存を解消する魔法はない。ベリル一の白魔法使いである私でさえ、それは不可能なのだからな」
「では、今日よりベリル一の白魔法使いは私ですね。……光、集え! 水、集え! 魔法使いたちの心も身体も蝕む邪悪なる煙よ。すべて消えて元通り。正常な心と身体にも~どれ~っ!」
魔法使いたちに向けて、アナベルはどのような病であろうと癒せる、光と水の最上級魔法を重ねて放つ。
彼らの身体が黄金と青の清浄な光に包まれる。そして、次々と倒れて眠りに落ちた。
「これで目覚めたときには依存は消えています。もう角では操れません。あなた方を守ってくれる人はいなくなりました。もっとも、そこにいる全員が相手でも私はあなた方に変身魔法をかけられましたよ」
「娘よ。おまえはいったい何者なのだ? 弱い魔法力の者でさえ僅かしか生まれなくなっている今の世に、どうしてそれほどの力を持って生まれたのだ!」
長官が、不気味な物を見るような目をしてアナベルに厳しく叫ぶ。
「さあ? 祖父母が揃って魔法使いだからでしょうか。……全属性よ、我が許に集え! セイン・マーヴェリットに悪意を持てば蛙に。害なそうとしても蛙に。二人は魔法が一切使えない蛙に、へんし~ん!」
「や、やめろ! 娘。やめてくれっ。謝る。公爵を襲ったことは謝る。もう二度と襲ったりなどし……な……い……か……ら………………」
虹色の光に覆われた長官は最後まで懇願し続けたが、アナベルは魔法をやめなかった。
長官の魂にアナベルの魔法が刻まれ、その衝撃から意識が途絶える。魔法使いたちのように眠りに落ちたその隣では、アナベルの魔法に抵抗しきれなかった息子が、無念の表情にてすでに眠っていた。
「長官様の言葉を、信じるべきだと思いますか?」
自分たちの姿を王宮の部屋に投影するのをやめ、長官たちの姿を見るのもやめ、アナベルはセインだけを瞳に映して問うた。
「その質問は私にしては駄目だよ」
「セイン?」
「私は君に綺麗な道を示してあげられない。まともな人間であるなら、信じるべきだと言うのだと思う。でも私は信じられないのだ。私と利害の一致しない長官が、二度と私の命を欲さないなど……」
アナベルの頭を撫でながら、寂しそうにセインが笑う。アナベルに綺麗な物を見せられない生き方をしてきたことを、悔やんで悲しんでいるように見える姿だった。
「そのお言葉を聞いて安心しました」
「アナベル?」
きょとんとして黄金の瞳を瞬くセインに、アナベルは片目を瞑って悪戯っぽく笑んだ。
「謝罪しているのだから信じてあげなさい。魔法をかけるのはやめたほうが良いと言われたら、どうしようかと思いました。私も信用できません。長官様が私を見る目は、その場しのぎの嘘を言う目でした」
こう思うことを、猜疑心の強すぎるまともな人間でないと言うなら言えば良い。
アナベルは、他の誰でもなく自分とセインの感じたことを信じる。
「アナベル!」
セインに、ぎゅっと両手で強く抱きしめられる。
「私は、君が好きだ」
「はい。お役に立てて光栄です」
セインの感極まったような声に、アナベルは朗らかに笑んだ。
強い魔法を連続して使った疲労感。そして、セインから危機が去った安堵感が一気に身を包み、意識が遠のいていく。
「アナベル?」
怪訝に名を呼ばれる。
返答を間違ったのだろうか、と思うも、まともにものを考えられない。
「すみません。眠くて……」
頭がふらふらと不安定に揺れ動く。
「たくさん魔法を使わせてしまったからね。ありがとう。ゆっくりおやすみ」
そっと頭の後ろに手が添えられ、やんわりとあったかい場所に包み込まれる。
セインの胸もとに抱きかかえられているのを、アナベルは霞む視界に何とか捉えた。
「最高の……ご褒美です」
口が緩み、つい、思うことをそのまま口にしていた。
「うん?」
「セインは、あったかくてふかふかで、こうしてもらっているととても幸せです」
うっとりとして気持ちを吐露したところで、アナベルの意識は完全に途絶えた。
【ぬ、ぬいぐるみ扱い?】
「きゅきゅ。それは思っていても言わないでほしいな」
なんとも言えない気持ちになり、セインは苦笑しか出ない。が、無防備に身を預けてくれるアナベルは、とても愛らしく、見ていると自然と目が和む。
「彼女に守られているうちは、まあ、それも仕方がないだろうがね……」
凛々しさと愛嬌を兼ね備えた最強の魔法使いは、果たしていつになれば自分を男として見てくれるだろう。
望みの日の到来に思いを馳せつつ、セインは馬車に乗り丘を後にした。
◆◆◆
「お嬢様。あの男が融合に成功しました」
最も信頼する護衛騎士の報告に、オリヴィアは目を輝かせる。
「なんと嬉しいこと! お父様に会いに行くわ」
もう少し時間がかかると思っていた。
予想よりも早い成功に、オリヴィアは満開の笑みを浮かべた。
これで心に思い描くことを実行できる。逸る気持ちのまま席を立ち、オリヴィアは父の執務室へと向かう。
「侯爵様に、何用でございますか?」
「王太后様の誕生祝賀会でお父様の薔薇が選ばれた場合、公爵は私に吠えかかったあの獣を陛下に捧げることになるの。それが出来なければ、忠誠心に偽りありとして断罪できる。楽しいことになっていると思わない?」
問いには答えず上機嫌で語って聞かせると、騎士も小さく笑んで頷いた。
「公爵はお嬢様に無礼を働いたあの獣を、随分と大切にしています。陛下相手といえど差し出すのを渋る可能性は大いに高いですね」
「でしょう? 家の力で何でもできると驕り、あの獣の命を守るため、きっとフィラム王家の権威を蔑ろにするわ。だから公爵の薔薇をこの世から消して、それを確実なものとしたいの。お父様にお会いして、その作戦にブルーノを使ってもらうのよ」
ブルーノには公爵を殺させようと考えているが、その前に今回の事を利用して、公爵を王家と反目させて没落させるというのも面白い。
そうなれば、もしかすると、ブルーノを使わなくとも公爵を絞首台に送れるかもしれない。
地位も財産もすべてを失い、惨めに処刑場へ引き摺って行かれる公爵の姿を見れば、少しは溜飲も下がるだろう。
そして、飛竜の生き胆が本当に王を快癒させてくれるのであれば、あの魔法使いに頼らなくても済む。
「公爵の薔薇といえば……昨日、研究所を出て王都に向かっていると、手の者より報告を受けております。今年は例年以上の警備だそうです」
「良く知っているわね。その予定はお父様に聞こうと思っていたわ」
オリヴィアが素直に感心すると、騎士は嬉しそうな顔した。
「侯爵様より、調べるようにと仰せつかっておりましたので」
「そうなの。ではまだ王都の屋敷には入っていないのね。それなら、ますますこちらのものだわ」
目が輝くオリヴィアに、騎士は少し首を横に振った。
「襲撃をかけるとしても、こちらの痕跡を残さず成功させるのは難しいかと……」
「そうかしら。並の使い手ならばそうかもしれないけれど、私が最強と思うあなたと、剣と融合して毒呪の力を使えるようになったブルーノであれば、警備を突破して薔薇を焼けるのではなくて?」
オリヴィアが紅の瞳で騎士を流し見る。
騎士はオリヴィアに見惚れ、そして重々しく頷いた。
「必ず、成し遂げて見せます」
「期待しているわ」
艶やかに紅の引かれた唇を微笑ませる。
父と顔を合わせたオリヴィアは、己の計画を伝え賛同を得た。
小説書籍二巻。
ここまで(031~075)を大幅改稿。プラス、アナベルの祖父母の話(蛙に変身魔法)・きゅきゅのクリームパン愛を、書き下ろしで加えて収録。




