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074.変 身

「冗談じゃない。ふざけたことを言うな!」

「ふざけてなどいません、私は本気です。蛙になりたくなければ、長官様がセインに悪意を抱いたり危害を加えようとしなければいいだけの話です」


全身から迸るような大音声で長官に怒鳴られるも、アナベルの意思には微塵の揺らぎも生じなかった。


「私の地位を脅かす公爵に、悪意を抱かずになどいられるかっ!」


長官は完全に開き直り、大仰な身振り手振りまで交えて無理を言うなと言い募った。

蛙に変身したくないから必死なのが、充分以上に伝わってくる姿だった。


「娘よ。ベリルの民にとってフィラム王家は敬うべきであり、肩を並べる存在ではない。だが、マーヴェリットはその、一番大事なことを忘れた者ばかりが当主に立ち続ける。ベリルで最も邪悪な家なのだぞ! そなたが守る価値などないのだ。嫁ぐなど考え直せ!」


長官が血を吐くような叫びで訴えてきたと同時に、その背後から魔法攻撃が撃ち込まれてきた。


「光、集え!」


アナベルは即死の闇魔法を弾き飛ばし、長官の背後にいる人間を厳しく見据えた。


「長官様のご子息は、即死の闇魔法を撃つのがお好きなのですか?」


これまでの攻撃すべてが即死魔法である。

父親である長官の邪魔者を排除して役に立ちたいから、という理由であっても攻撃的すぎる性格のように感じた。


「好きでなければ、己の寿命を削ってかけるわけがないだろう」


冷酷な気配にふさわしい冷え切った声。

長官の背後に立っていた息子が、足音を立てずに前に出てきた。


「寿命を削るだけでなく、その魔法で人が死ねば自身の魂が傷付くこともわかっていて、それを言うのですか?」

「私の放つ魔法に魂を射抜かれ、闇に落ちるのは嫌だと血反吐を吐きながらのた打ち回り、苦しみぬいて死んでいく人間の姿ほど見ていて楽しいものはないからな」


アナベルを馬鹿にしたように笑うと、息子は残酷極まりないことを堂々と言い放った。


「あなたが王宮魔法使いであるなら、陛下のためにのみ魔法を使うと誓いを立てているはず……」


それが、己の快楽のために魔法で人を殺めるなど言語道断である。


「王宮魔法使いに与えられる特権は、持っていて損はないからな。もちろん誓いは立てているさ。だが、それがどうした? ただ口頭で誓うだけで何の拘束力もない誓いだ」


息子は鼻で笑った。

それは、アナベルには納得できる言葉ではなかった。この国の主に誓う。そのおこないこそが、何より強い拘束力を持つのではないだろうか。

何の拘束力もないと言い放つということは、息子は王宮魔法使いでありながら、王に対する忠誠心はないと言ったも同然である。


「……あなたの魂は火属性。得意魔法は闇魔法ではないのに、あえてそれを好んで使っている。なぜなのだろうと思っていましたが、陛下への誓いを蔑ろにしてまで人を殺すのが好き、とは……」


最初は闇属性の魂の持ち主なのかと思ったのだが、見ているとすぐにそうではないと判別できた。

滅多に出会える存在ではない光属性のセインに出会ったことで、もしかすると闇属性の人間も目にすることができるかも、と一瞬脳裏に過ったのだが、やはりそう簡単に存在するものではないようだ。


「一度撃って減る寿命などたかが知れている。魂に受ける傷も、大して痛いとは感じない。これくらいの代償であるなら、私に即死魔法使用を我慢する理由はないな」


息子の右腕がゆっくりと上がり、その人差し指が映像のセインを指す。

アナベルは、映像を貫き一瞬でこの丘へと飛んできた漆黒の矢を、セインに触れる手前で掴み取った。


「あなたは長官様より強い魔法使いであると思う。でも、私が守るセインを害することはできない」


光魔法で闇魔法の矢を塵とする。


「そのようだ。だが、ここで素直に退けば父が蛙にされる。黙って見ているというのは、息子としてあまりに薄情だろう?」


息子はどこか面白そうに言って、暗い感情の漂う目でアナベルを射抜くように見つめた。


「即死魔法が効かぬというのであれば、得意魔法でいくか……」


火の気配が息子の全身を強く取り巻く。

次の瞬間。人間の大人が両腕を広げたほどはある、炎を纏う美しい大きな鳥が、空間を割って襲い掛かってきた。

高速でアナベルとセインの真正面に来た炎の大鳥は、その翼で二人を包み込むように覆い被さった。


「公爵様っ!」


事の成り行きを見守っていた騎士たちからは悲鳴が。


「さすがは、わが後継たる息子よ。素晴らしい魔法だ!」


長官からは喜色満面の喜びの声が、あがった。


「……駄目ですね、父上。やはり、あの娘の力は尋常ではない」


息子が苦笑したと同時に、炎の大鳥は真っ白に凍り付き砕け散った。

氷の粒が陽の光を反射して虹色に輝く。

その煌きが次々と長官の傍まで移動する。

周囲を取り巻く虹色の光に長官がぎょっとして目を剥いた。


「な、なんだ、この輝きは……あの娘がやっているのか?」

「その通り。長官様、さあ蛙に変身の時間でございます。へんし~ん!」


視界を覆う大鳥が氷の塊となって砕けたことで、再びアナベルと長官の視線が交わる。怯えた目でこちらを見た長官に、アナベルは両腕を広げると魔法を放った。


「やめろ! そんな気味の悪い魔法を人間にかける者がいるか! ぎゃああああ……げこっ!」


長官は全魔法力を駆使して抵抗してきたが、アナベルの敵ではない。ものの僅かで長官はアナベルの魔法に屈し、息子の足元にてかてかと濡れ光るでっぷりとよく肥えた茶色の蛙が登場した。


「げこ、げーーーこっ! げこげこげーーーーこっ!」


大きな蛙は激しく鳴いた。怒りと恐怖が綯い交ぜになったような声をあげ、びょんびょん勢いよく飛び跳ねる。

息子がその蛙……両の脇の下に手を入れるようにして、長官をそっと持ち上げた。脚がぷらーんと伸びる。


「容赦ない魔法だ。父にも私にもどう足掻いても解けそうにない。蛙としてこの先を生きるなど、生き地獄でしかないだろうから、ここでひと思いに私が焼いて始末をつけておこう」

「げげっ、げこーーー! げこ、げこげーーーーこっ!」


長官が吃驚して息子の手の中でばたばた暴れ、首をぶんぶん振った。

だが、息子のほうは父親の叫びを一切解さぬ様子で、淡々と言葉をつづけた。


「私に蛙を食べる嗜好はないのだが、これだけ大きいと肉があってうまい物なのかな。焼いた後には試してみるのも一興か……」

「げこげこげこっ! げこーーーーーーーっ!」


あまりの息子の発言にアナベルが呆然としている中、長官の悲痛な叫びが響き渡った。

息子が本気で火の魔法を蛙にかけようとしたところで、アナベルは魔法を解いて長官を元の姿に戻した。

蛙が白く発光し、ぽん、と音がする。

同時に息子が手を離すと、床に両手足をついた状態で、人間の姿に戻った長官が現れた。


「……は、はあ、はあ……か、蛙じゃない……私の、身体だ……」


己の身体を何度も見渡し、両手で幾度も触って確かめながら、疲労困憊といった様相で長官は大息を吐いた。

そこに息子が、目を細めてにこやかに笑いかけた。


「良かったですね、父上」

「な、なにが良かっただ! 父親を焼いて食うなどおまえは正気か!」

「マーヴェリット公爵の命を取るのに最も邪魔になるであろうあの娘は、口ではなんだかんだと言いながらも、実際は非情になり切れない心優しい魔法使いと証明されましたよ」


顔中に滝のように汗を滴らせる長官に怒鳴られても、息子は楽しげに笑うばかりだった。


「なんだと?」


息子の態度に何か感じるものがあったのか、長官から怒りが削がれた。


「だってそうでしょう? 公爵のためを思うなら、邪魔な父上など私が焼いて食うのを傍観していたほうが良いに決まっている。それを、娘は見たくないから魔法を解いたのです。心が弱く甘い人間なのですよ」


長官からアナベルに視線を移した息子は、唇の端を吊り上げはっきりと嘲笑してきた。


【そうねえ、ちょっともったいなかったわ】


きゅきゅの残念そうな声がアナベルと息子の間に割って入るように響いた。


「きゅきゅ?」


セインが首を傾げる。アナベルも、何を言っているのだろうと息子よりもきゅきゅのほうが気になった。


【蛙っておいしいもの。あれほど大きければ食べ応えもあったでしょうし。焼き蛙というのは食べたことはないけど、食べてみたいわね】


きゅきゅが、舌なめずりしそうな勢いで長官を見ている。アナベルは呆気にとられてしまい、かける言葉が見つからなかった。

さすがに長官蛙はクリームパンとは違う。きゅきゅに喜んでもらいたいと思えど、ハイどうぞと差し出すのは抵抗があった。

一方、セインは苦笑しながらきゅきゅの背を撫でていた。


「普通の蛙にしておいたほうがいい。先ほどの蛙は、あまりおいしくないと私は思うよ。おなかを壊してしまうかもしれないからお勧めはできないな」

『きゅう』


そうね、といった様子で、きゅきゅがセインに同意するような鳴き声をあげた。


「娘よ。いくら強大な力を持とうとも、おまえのような非情になり切れない人間に、公爵を守り切ることはできない。必ず死ぬところを見るだろう」


息子が再びアナベルを嘲弄する。それを、アナベルは正面から受けて立った。


「長官様を死なせず元に戻したからといって、私が変身魔法を使える事実に変わりはありません。お二人とも実際にその目で見ましたよね。この先ずっと、セインに悪意を抱いたら蛙になると肝に銘じて生きてください」

「そんなことになれば、私が焼き蛙としなくとも、誰かが叩いて殺してしまうかもしれないのに?」


陰険な笑みを浮かべた息子に、アナベルはからりと笑って見せた。


「私の目の前でなければ構いませんよ」

「え?」


息子にとってはまったく予想しないアナベルの返答だったのだろう。

ぽかんとして目を見開いていた。



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