073.蛙
「娘よ。小賢しいことを言わず、素直に公爵を殺して私の手を取りなさい」
「お断りします」
一瞬の間も置かず返したアナベルに、長官が眉根を寄せ嫌そうな顔をする。
それでも会話をやめずに続けてきた。
「人の話は、最後まで聞きなさい」
「…………」
聞いても何も実にならないと思うのだが、嫌ですと断ってもやめそうにない。
こんな話をしに来たのではないのだが、会話の方向がおかしくなってしまった。どうしたものかと考えている内に、長官は滔々とアナベルに自論を語って聞かせた。
「必ず王太后様を説得し、私の養女として王妃にしてあげよう。そなたのような優秀な魔法使いであれば、王家は邪険にしない。王の寵愛を得て子を産めば、そなたの子が次代のベリルの王となるのだぞ。公爵夫人などより何倍も豊かな暮らしができる。悪い話ではあるまい?」
長官は最後はねっとりとした笑みを浮かべた。必ずアナベルの心が動くと信じているようだ。
「やはり、そのお話は娘さんに……」
悪い話でないと自信を持って言うならば、愛娘にこそするべきだ。長官に報復しようとする自分に持ちかけても何の意味もないと思う。
「心優しきわが娘は、親友の令嬢と争うことになりかねないその地位は望まぬと言ったのだ。自ら身を退いておるのだから、そなたが気にする必要はない!」
長官は苛ついた様子でアナベルの言葉をぴしゃりと遮った。
親友の令嬢と争いたくない……。王妃の地位を巡って争うといえば、真っ先に脳裏に浮かんだのはあの令嬢だった。
「いいえ。それは気にします。お話から察するに、娘さんの親友のご令嬢とはオリヴィア・ラッセル侯爵令嬢ではありませんか? 私としましても、何ら興味のない地位のためにあの方と争うのはご免です」
セインの結婚したくないという自由を守るために戦うのであれば望むところであるが、王妃という地位には特別思い入れはない。そんなもののために余計な恨みは買いたくなかった。
「争ったとしてもそなたなら勝てるだろう? オリヴィア嬢が何をしてこようとも、その魔法で蹴散らせばよいではないか」
なんとも無責任としか思えない長官の発言に、アナベルは怒りを通り越して乾いた笑みが零れた。
「では、娘さんのために長官様がご自身の魔法で、オリヴィア嬢を蹴散らして差し上げればよろしいではありませんか」
「ああ言えばこう言う。少しは年長者の言葉を素直に聞きなさい。意固地な人間は、可愛げがないぞ!」
己の思う返事をしないアナベルに腹を立て、長官が苦々しげに非難してきた。
すると、アナベルが言葉を返す前に、セインが声をあげて大いに笑った。
「ははははは。年長者として彼女に敬われるようなおこないなど何一つしていない身で、よく言うものだ」
「公爵よ。自分とて、財力と権力を使ってその娘と婚約しているくせに、偉そうな口を叩くな。私が、娘におまえ以上の人間を紹介すると聞いて慌てているのだろうが、余計な口は挟まず黙っていろ!」
こめかみに青筋を立て、セインに怒鳴りつけた長官に、アナベルは首を横に振った。
「長官様、違います。私は、この方が公爵でお金持ちだから婚約したのではありません」
「は? では、一体他にどんな理由があると言うのだ。そなたと公爵はかなり年も離れているように見えるし、ぶくぶくと肥え太っているのだぞ。地位と財産以外に結婚を決める理由があるのか?」
長官はアナベルの言葉に呆けたようにぽかんとし、本気でわからない様子で問うてきた。
「理由はたくさんありますとも! 地位や財産など関係ありません。このお方は、そんな物などなくとも私には勿体ないとっても素晴らしい人です。婚約できて、私はこの世で一番の幸せ者です!」
ふふ、とアナベルは頬を赤く染めて笑う。
長官は、アナベルがセインよりも地位が高く財産を持つ男性であるなら、簡単に乗り換えると考えている。
だからここは、絶対に偽装婚約と見抜かれてはならない。何としても、恋をして結ばれた仲の良い婚約者と信じさせ、王妃にしようなどというおかしな考えは捨てさせるのだ。
アナベルはそう考え、満開の笑みを浮かべる。
思い切ってセインの胸もとに寄りかかるようにし、ぴたりとくっついてみた。
「君を得られた私も、この世で一番の幸せ者だ」
セインがうれしそうに言って、頭を撫でてくれる。すこぶる機嫌の良さそうな雰囲気が伝わってくるのに、どうやら今の自分の行動は間違いではないようだとアナベルは安心した。
「な、なにが素晴らしい方だ。娘よ、そなたは騙されているぞ! その男は自分に少しでも盾突く者、気に入らないと思った者は容赦なく潰す冷酷非情の塊だ。しかも、貴族の頂点にありながら、貴族のより豊かな暮らしよりも、一般市民の生活向上を図ろうと考えるおかしな思考の持ち主でもある。地位と財産以外に取り柄などあるものかっ!」
長官がセインを指さし、激しく罵った。
それを聞いてセインの腕がピクリと震える。アナベルが少し上目遣いでその瞳を見ると、逃げるように逸らした。
「そら見ろ! 反論しないのが何よりの証拠だ。そんな、自家ばかりを愛し、平然と人の恨みを買って生きる禄でもない男のために、そなたの貴重な魔法を使うべきではない。王妃となり、王のためにこそ使うべきだ。そして末は国母と……」
「私の魔法は私が使いたいように使います。こればかりは誰の指図も受けません!」
勢いづいて畳みかけるように言葉を繰り出してくる長官に、アナベルは強く返して毅然と見据えた。
「っ!」
言葉を遮られた長官が、息を飲むようにしてアナベルを見る。
「私はベリルに良き未来を望むセイン・マーヴェリットという人を、私の力のすべてで守りたいと思いました。だから婚約をお受けしたのです。とにかく、私を王妃にしようなどと、そのような要らぬ労力は割いて頂かなくて結構です」
アナベルは、なんだか落ち込んでいるように感じる自身の身体に触れるセインの腕を、少しでも気持ちが上向きになるようにと願い、緩やかに撫でた。
「……自分がその男に、王位を取るための道具として利用されているとは考えないのか?」
心に刺さるような声で、長官は問うてきた。
アナベルの心に、セインに対する不信の種を植えようとする意図が見える。が、アナベルは長官の精神攻撃を、瞬き一つで跳ね飛ばした。
「考えません。そして、冷酷非情の塊とも思いません。潰すのは、理由があってのことと信じますし、もし、私のこの思いが間違いであったとしても、後悔しません。私は、家のためでもなく父の望みでもなく、自分の意思でこの方を選びましたので」
「……アナベル……」
小さな、本当に小さな声でセインに名を呼ばれる。微かに届いたその声音は、なんだか泣いているような感じがした。
だが、アナベルの目に映るセインにそのような様子はない。当たり前だ。ここは泣くようなところではない。
それがなぜ、そのように感じたのだろう。
アナベルは自身の感覚が不思議であり、心の内で首を傾げた。
「人がせっかく王妃にしてやろうと言うのに、地位にも財産にも興味がなく……ゲテモノ好みであったとはな。なんとも最悪な話だ」
忌々しげに吐き捨てた長官に、アナベルは眉がぴくぴく震えた。
「慈悲深き公爵様が殺すなとおっしゃっていますので我慢しておりますが、即死魔法を撃ちたくなるようなことばかり言ってくるのは、今後はご遠慮頂きたいものです」
誰がゲテモノだ。誰が!
命を狙ってきたことですでに猛烈に怒っているというのに、これ以上怒らせないでほしい。我慢が利かなくなるではないか。
「うっ!」
目に力を込めて睨んだアナベルに、長官は気圧されたように一歩後ろに下がった。
「王妃の地位などいりません。そんなものより私が望むのは、あなたが二度とセインに手出ししないことです」
「私からすべてを奪おうとしている公爵を黙って見ていろと? そんなものは聞けるわけがない。私を殺さぬ限りその望みは叶わぬよ。心優しいと公爵が言うそなたに、それができるか?」
出来ないだろう、とまるで勝者のように笑んだ長官に、アナベルも笑い返した。
「殺さなくとも私の望みは叶えられます。今後、あなた様がセインに危害を加えようと企てたり行動に出たなら、変身するように魔法をかけます」
「変身、だと?」
訝しげに、だがどこか不吉なものも感じているのか、不安げな眼差しで長官はアナベルを凝視した。
「はい。今からお見せします。すべての属性よ、集え! 邪悪なる黒い石よ、へんし~ん!」
アナベルは自身のすぐそばに浮かせている魔獣の角に魔法をかける。
そうして、箱ごと円卓の中央に落とした。
どん、と大きな音がして床まで揺れる。長官をはじめとする室内にいる者すべてが驚くも、魔法使いたちはすぐに箱に飛びつくようにした。
ところが……。
「な、なんだ、これはっ?」
魔法使いたちは望みの品を得られた歓声ではなく、悲鳴を上げた。
「角はどこに?」
「どういうことだ。な、なぜこんなことに……」
「か、蛙?」
蓋の空いた箱から一斉に飛び出したのは、丸々とよく肥えた、黒い斑点を持つ緑茶色の大きな蛙たちだった。
ケロ。ケロケーロ。ケーロ……。
ぺったんぺったん飛びながら、蛙たちは部屋中に散った。
「娘! これは本当にお前がやったのか。こんな魔法は知らぬぞ!」
激しい動揺の見える長官が、顔中に汗を滴らせながら怒鳴りつけてきた。
アナベルはその姿に目を瞬いた。
「知らない? この魔法は亡くなった祖父が教えてくれたものですが……」
普通に、皆知っている魔法だとばかり思っていた。
もっとも、祖父が教えてくれた呪文は長く堅苦しいものだった。子供のアナベルには難しいだろうが面白い魔法だから覚えておいて損はない、と笑いながら教えてくれた記憶は、今でも鮮明だ。
ただ、アナベルは全属性を使うということだけを頭に入れ、呪文は短く省略している。
「まさか、この不気味な魔法を私にかけるのではなかろうなっ!」
長官はなんとか平常心を取り戻そうとしているようだが、まったくうまく行かず完全に怯えていた。
「正解です! 私よりも魔法力の強い者がいれば元の姿に戻せるかもしれませんが、いなければ残りの生涯は蛙としてお過ごしください」
アナベルはにっこりと満面の笑みを返した。




