071.膝の上
「セインと隊長で召し上がってください。国王とベリルを守る以外のことに、それも、人を殺そうと攻撃魔法を使う下種な魔法使いたちがセインを罵るなんて、許せませんっ!」
どれだけセインが王家に気を遣って生きていることか……。
ベリルを良くしようと悪徳貴族たちと戦っている姿は、彼らの目には見えないのか。
王位簒奪を狙う反逆者とまで言い始めた魔法使いたちに、アナベルの怒りは高まる一方だった。
「自身に対する酷い言葉には平気な顔をして笑っているというのに、君という人は……」
「私のことは良いのですっ! 私を処分できない弱い者たちに何を言われてもまったく心に響きませんから。でもセインのことは駄目です!」
目に力を込めて、ぎっと中空の映像を睨み付ける。
身体の脇で握ったこぶしが猛烈な怒りにぶるぶると震えた。
風がアナベルの感情に応じる。身体を取り巻き、髪をふわりと靡かせる。
どの魔法を彼らに撃てば、自身のおこないを反省し、不愉快な言動を謝罪してくれるだろうか。
彼らはセインを襲撃するのに、協力して中級魔法の重ね掛けをしたと言っていた。では、こちらは上級黒魔法の光と火を重ね掛けして思い切り焼いてやろうか……。
セインと繋いでいないほうの手が、アナベルの凶暴な気持ちに連動して動く。
ゆっくりと上がり、宙に映し出されている長官の姿をぴたりと指差した。
「アナベル!」
強く厳しい声で名を呼ばれ、ぎゅっと手を握られる。
同時に、ふわ、と身体が宙に浮いた。
「え?」
気づいた時には、アナベルはセインの膝の上に座っていた。
「私の見ている闇を見て、ともに生涯を歩んでくれると言うなら、私に対するあの程度の言葉でそんなに怒っていては駄目だ。心がもたなくなる」
「…………」
柔らかくてあったかいそこで、アナベルはまるで夢から醒めたように呆然として、間近にセインを見つめた。
とんでもない状態に気が動転し、高めた魔法力が霧散する。
「長官を相手に弱い者いじめと言う君だ。そんな君が怒りに駆られて魔法を使えば、きっと彼らの内に死人が出る。私のために人を殺して魂に傷を負うなど……そんなのはいけないよ」
「あ、あの……膝の上……」
自分は今、座ってはいけない場所に座っている。
公爵の膝に座る一般市民が、このベリルのどこにいるというのだ。
アナベルは魔法使いたちの暴言に怒っていたのも忘れるほど動揺し、狼狽えた。
慌てて降りようとするも、やんわりと腰に腕を回されて、それもままならない。
「彼らは大好きな権力を奪われることを恐れている。だからそれを可能とする陛下に、自分たち以上に言葉を聞いてもらえる私という存在は、手を切った今、この上ない邪魔者だ。邪魔者を褒める人間などいない。あれは、ごく普通の人間の姿なのだから気にしては駄目だよ」
背中から抱きしめるようにして、耳元に囁かれる。
長官たちのことを気にするどころか、早く降りねばとそればかりが、アナベルの頭の中をぐるぐる駆け巡った。
「この機会に殺しておければ、侯爵殿にも喜んでいただけたのだが……。うまくいかないものだ」
長官がつまらなそうに言って席を立とうとする。
すると、魔法使いたちが長官と円卓の中央に置かれた箱を交互に見ながら、物欲しそうな顔をした。
そんな彼らの視線を受けた長官は、嫌悪の感情を隠さず口元をゆがめた。
「いくら相手が上級白黒魔法使いだからと、女一人をこれだけの数で制することもできず、公爵も無傷。役立たずのおまえたちに、なぜ褒美を渡さねばならない。図々しくも欲しがるなど、おまえたちは恥を知らぬ生き物なのか?」
冷ややかに魔法使いたちを見渡すと、長官は右手の人差し指を軽く振った。箱が浮き上がり、長官の許へと移動する。
魔法使いたちはその動きに、焦燥に駆られたように落ち着きをなくした。どんよりと濁っていた目は、飢えた獣のようにぎらついていた。
あの箱には何が入っているのだろう?
膝の上から降りるのが先と思えど、アナベルは長官の箱も気になった。
「アナベル。可能であるなら、長官の持つ箱の中身を見させてくれないか? 魔法使いたちのおかしな様子と関わりがあるような気がする」
セインもアナベルと同じく気になっていたようだ。
それにしても、セインはアナベルを膝に乗せていることをまったく気にしていない。平然としている姿に、重くないのかしらと心の内で首を傾げつつ、その要望には答えた。
「風、集え! あの箱のふたを開けて。中身を見せてちょうだい」
映像に目を当て、風を魔法使いたちのいる王宮の一角へ向けて飛ばす。
長官は侵入者避けの防御結界も張っておらず、風はアナベルの望み通り、箱の蓋を弾き飛ばした。
「どこから風が?」
長官が驚いて声を荒げた時には、蓋を飛ばされた箱から親指大の漆黒の石のような物が零れ落ちていた。
光沢ある艶やかな黒石は、バラバラと円卓上に撒かれる。
邪悪な気配を強く感じるそれに、アナベルは眉をひそめた。
「名前は知らない石ですが……あまり良い物ではないように思います」
「艶やかな黒石。魔法使いたちの生気がなく死んだような目。……長官は魔法使いたちを好きに使うため、魔獣の角で操っていたのだな」
素早く黒石を回収し、目の色を変えて群がる魔法使いたちに触るなと喚いている長官の姿を、セインが厳しい目で見ていた。
「あの石は魔獣の角なのですか?」
退治された魔獣は身体はその場で処分するが、角だけは切り離して王都に運ぶことになっている。
それは絶対の決まりであり、違えることは許されない。国法にて厳しく定められており、角を渡して褒章を受ける仕組みになっているのだ。
その後、角がどうなるのか知る者はなく、アナベルも知らなかった。
「砕いて小さくしているようだがね。……魔獣の角を削って火で炙る。そこから出る煙を吸うと、無上の快楽を味わうことができるそうだ」
「無上の……」
どんなものだろう。あれこれ考えてみるも、想像もつかない。
「一見良い物のように聞こえるが、決して良い物などではない。煙が身体機能に及ぼす害は計り知れぬもので、精神依存も強くやめられなくなる。身体を壊して死ぬか、その煙を吸わねば発狂するか、どちらにせよ快楽とやらと引き換えに寿命を差し出すことになるものだ」
セインの説明に、ぞっとして身体が少し震えた。
そのような怪しい物とは縁なく生きるに限る、とアナベルは思う。が、長官はずいぶんとたくさん持っている……。
「そのような危険な物を、長官様は所有しても良いのですか?」
「魔獣自体は大勢の人間が集まれば何とか倒せるが、角だけは中級以上の黒の火魔法でなければ消滅させられない。だから、必ず王都に運ばせて王宮魔法使いたちに処分を命じている。所持は、どのような魔法使いであろうと許可していない」
と、いうことは。
「長官様は処分したことにして、密かに自身の物に……」
やってはいけないことを、王宮魔法使いの長官ともあろう人間がおこなっているのだ。
「隠し持ち、魔法使いたちを好きに使うのに利用しているのだろうな。王宮魔法使いは陛下のご命令には絶対服従だが、長官の命令には服従する決まりはない。承服できない命令は断る自由があるというのに、魂に傷ができることを厭わずその命令に従い私を襲うというのは、おかしな話だと考えていた」
「魔獣の角で中毒にして、手足として使っているのであれば……精神依存さえ消えれば、長官の命令は聞かなくなるでしょうか?」
それで長官の味方が減るのであれば、自分の魔法を使って何とかしたい。
「あの状況を見るにその可能性はあるだろうね」
セインが面白そうに、宙に描かれる映像を見て笑った。
そこには、どうあっても箱の中身を配らない長官に、魔法使いたちが業を煮やして魔法で攻撃し始めた光景が映し出されていた。
彼らのその姿は、長官に心酔しているからその命令に従い黒魔法で人間を攻撃するのを承諾したとは、とても思えないものだった。
しかし、数の力があっても彼らは長官とその息子には敵わない。
魔法使いたちは長官から角を奪うことはできず、逆に、床に叩き付けられ這いつくばらされた。
「そんなに欲しいなら、マーヴェリット公爵とあの娘を殺して来い! 私にも息子にも敵わぬおまえたちになど無理な話と思うがな。この役立たずどもめ!」
蹲って呻いている魔法使いたちを、長官はまるでゴミでも見るかのような目で酷薄に見下ろし、吐き捨てるように罵倒した。
そうして、息子のみを伴って部屋を後にしようとする。
「長官様が死ぬような魔法は撃ちませんが、二度とセインを襲えなくします。長官様には、人を襲えば襲い返されるという現実があることを知っていただきたく思います」
ここで見逃せば、長官はこの先何度でもセインの命を狙ってくる。それは、絶対に見過ごせることではない。
アナベルは膝から降りて魔法を使おうとするも、しかし、セインは手を離してくれなかった。
「……あの。おかげさまで心が落ち着きましたので、本当に彼らが死ぬような黒魔法を撃ったりなどしませんから。降ろしてくださっても大丈夫ですよ。いつまでもそうしていては重いでしょうに。それに、私もお膝に座るなど……失礼なおこないが申し訳なくて落ち着きません」
困ったアナベルは、セインの目を見ながらお願いする。それでもセインは首を横に振った。
「君はまったく重くなどないし、失礼な事など何もしていないよ。嫌でないなら座っていてほしいし、長官に報復するなら、それは君だけの考えでなく、私の意思であることも伝えてほしい」
「……わかりました」
座っていてほしい、と言ってくれるのならば、褒められるおこないではないと思うが言葉に甘えさせてもらおう。
正直な気持ちを言うと、セインのお膝はとても座り心地が良いのだ。
アナベルは小さく頷くと顔を上げ、映像の長官を見据えた。
「長官の前に私たちの姿を映します」
「どんな顔をするか、楽しみだ」
セインが愉快そうに笑った。




