056.悪い顔
ラッセル侯爵がこちらに一切視線を向けることなく、取り巻きたちと談笑しながら会議室を出て行く。
セインがその後ろ姿を眺めていると、傍らに立った司法大臣を初めとする者達から 「言いたい放題を許すのはどうかと思う」 との、不満に満ち溢れた言葉が耳に入ってくる。
セインは、そんな彼らに明確な返答をしないまま会議室を出た。
すると、廊下には先ほど助け舟を出してくれた財務大臣が立っていた。
腕を組んでいるその姿に、セインの周囲にいた者達が会釈をしてから離れて行く。
セインは一人となったところで、財務大臣の許へと歩んだ。
「政務よりも飛竜の体調を優先するそなただ。そこまで溺愛している飛竜を殺すなどとなれば、何を仕出かすか私は不安だ。ベリルの平穏のためにも、王太后様にラッセル侯爵が有利となる言葉などかけさせぬようにな」
彼は懸念を言葉にすると、傍らに立ったセインの肩をポンと叩いた。
「ラッセル侯爵がどのように考えていようとも、今年の我が家の薔薇は、王太后様のお心から効能のない飛竜の肝など忘れさせるものです」
「それならいい。王家とマーヴェリット家の争いなど見たくはないからな」
笑顔で応えたセインに、財務大臣は満足そうに頷くと配下の者達の待つほうへと去って行った。
「きゅきゅと陛下のどちらを取るかなどと言ってくるとはな……」
セインは財務大臣たちとは逆、王宮内にある己の政務室に向かいつつ、口中で呟く。
今回の一件、侯爵たちは王に対する忠誠心を理由にして騒いでいる。大義は自分たちにあると考える彼らは、セインの地位や家格にも遠慮することなく、いつまでもこの話を続けるだろう。
そうなれば政務会議の進行に支障をきたす恐れがある。
それを回避するためにも、王太后の誕生祝いの席でしっかりと決着をつけなければならない。
「これが謀った礼ということか。こちらもよい礼をせねばな」
自然と唇の端があがり、笑みの形になっていた。
争いごとはないほうがよいと思うも、こうした事態に直面すると不思議と高揚する。
政敵を倒すことを考えて楽しめる。こんな自分の心根は巷で言われているような清廉とは程遠い。皆、きゅきゅが肩に乗ってくれることで勘違いしているのだ。その事実に苦笑が零れるものの今更直しようはないし、直すつもりもない。
『きゅう』
唐突に聞こえた鳴き声に、そちらへ顔を向ける。外に面した窓が一つ開いており、そこからきゅきゅがこちらに向かって飛んできた。
セインの肩に留まると、しょんぼりとして項垂れた。
「どうしたのだい? とても辛いことがあったように見えるよ」
飛竜を苛めるような者など王宮にはいないと思うが、ずいぶんと落ち込んでいる様子にまさかの不安に駆られる。
背を撫でながら問うたセインに、きゅきゅは寂しげな声で意識に囁きかけてきた。
【セイン。私、この国の王のごはんになるの?】
「誰がそんなことを……」
返ってきた思わぬ問いに、その背を撫でる手が震えた。
【あなたが私の命を惜しんで肝を王に差し出さなければ、王に仕える資格無しとして宰相の地位から降ろせると……楽しそうに話しているのを聞いたの。私、あなたに迷惑はかけたくないわ。でも私を食べてもこの国の王は元気になどならない。飛竜にそんな効能は本当にないのよ】
一途な瞳でこちらをじっと見ているきゅきゅに、セインは頷いてみせる。
「たとえ効能があったとしても、私は君を誰にも差し出したりなどしない。私たちはずっと友達だ。たとえ相手が陛下であっても、その大事な友人を食べさせるなど、どうしてできるものか」
父や歴代の当主たちであれば、フィラム王家を尊重している姿を見せて煩わしい声が大きくなるのを防ごうと、飛竜を差し出すのかもしれない。
だが、セインにそれはできない相談だ。幼い頃からずっと寄り添って心の支えとなってくれた大事な友達を、くだらない政争で死なせるなど考えられることではなかった。
【セイン……だけど、それであなたは大丈夫なの?】
きゅきゅは嬉しげに目を輝かせたものの、最後には心配そうな顔となった。我が身を案じてくれる緑の瞳に、セインは安心させるように笑みを返す。
「大丈夫に決まっている。いつも君に助けてもらうばかりだから信用ならないだろうが、今は信用してほしい。君を食べるなどふざけたことを考えた者には、己の失言の責任をきちんと取ってもらうよ」
きゅきゅに聞こえるような場所で暴言を吐いて落ち込ませた者達には、それ相応以上の報復をする。
【……大丈夫なようね。ふふ……セインあなた、今とっても悪い顔をしているわ】
少し首を傾げるようにしてこちらを見ているきゅきゅから、意外なことを言われてセインは目を瞬いた。
呪いで容姿が変わった時も、綺麗な顔が崩れてもったいないとは言われたが 「悪い顔」 とまで言われたことはなかったのだ。
「悪い顔、とは……」
思わず眉根が寄ってしまう。
【何かを企んでいるような……。私としてはその顔も嫌いじゃないけど、副隊長には見せては駄目な顔のように思うの。家に帰る前に、いつものあなたの顔に戻しておいたほうがいいわ】
翼で頬を撫でるようにされ、本性が表情に出ているのかと納得する。セインはその助言にありがたく頷いた。
「きゅきゅには本当に何もかも見通されてしまうね。政務をしている間にしっかり戻しておくよ」
政務室に入るときゅきゅはセインの使用する机の端に向かって飛んだ。その場に丸くなって留まる。
大きくあくびをした姿にセインは目を和ませ、補佐官たちを部屋に呼ぶ。そうして、本日の仕事を素早く終えると城に戻った。
◆◆◆
セインを迎えたダニエルに、アナベルはまだ戻っていないと伝えられる。
彼女には彼女の事情があると思いつつも、不在はとても寂しいものだと感じた。この城に戻る正確な時刻を聞いているわけでもないのに、我知らず、先に戻っていてお帰りなさいと出迎えてくれるのではないかと期待していたのだ。
すると、言葉にせずともその気持ちが伝わったのだろう。きゅきゅが慰めるかのように、頬をそっと舐めてくれた。
セインはそのおこないに少し目を細めて笑うと執務室に向かう。
「きゅきゅの肝を陛下の薬にすると、ラッセル侯爵がはりきっているそうだな」
室内に足を踏み入れると、耳に届いた第一声はそれだった。机上に書類を置きながらこちらを見ているジャンに、セインは軽く目を瞬いた。
「もう耳に入っているのか?」
「少し前に、司法大臣殿の配下の者がここに来た。いくら健康体となって頂きたいからと、効能が確約されているわけでもない生き胆を食べさせるなど、そのような実験じみたことを陛下にしていただく方がよほど不忠ではないか。おまえはもっと厳しくラッセル侯爵を諌めるべきだと激しく憤っていた。弱気な態度を見せれば増長させるだけだと、それはもう耳が痛くなるほど喚かれたぞ……」
席に着いたセインに、ジャンは語りながらうんざりした様子で肩を竦めてみせた。
しかし、セインはとしてはジャンに不満をぶつけた者の意見には賛同できないので、小さく首を横に振る。
「ラッセル侯爵にとって、政策が反する上に娘との結婚を承諾しない私はただの邪魔者だ。そんな私を玉座に座らせないためには、今は絶対に陛下に死なれては困ると考えている。その大切なお身体に、害があるかどうかも確かめず召し上がっていただくなどしないだろう。私がそのことを口にしたりなどすれば、考えなしに陛下に召し上がっていただくものか、とこちらを罵倒してきたに決まっている。余計な言葉は聞きたくなかったから黙っていただけだ」
きゅきゅが執務机の定位置に飛んだのを見て、セインは一番上に積まれた書類を取った。
【私の肝に特別な効能はないけど、毒なんて持っていないから食べると美味しいとは思うわ】
「どんなに美味と言われても、この世で最も食べたくないものだよ」
こちらを見ているきゅきゅに苦笑しつつそう返すと、傍らでジャンも頷いていた。
「おまえの心の平穏と、きゅきゅの安全のためにも、一刻も早く、奴隷を買っている決定的な証拠を手に入れて追い落としたいな。いくら巧妙にやっているとはいえ、大勢の人間を移動させるのはそう容易いことではない。必ず綻びがあるはずなのだ」
いい報告があがっていないのだろう。目がとても悔しげなものとなっている。セインは、少し腕を伸ばすとその腕を励ますように軽く叩いた。
「おまえなら探りきれると信じている。それともう一つ……侯爵がいやに今年の薔薇に自信を持っているのが気になるのだ。銀色の薔薇を贈るようだが、それなら我が家が昨年贈っているだろう?」
「そうだな。あの時の、王太后様のはしゃぎぶりは凄いものだった。大嫌いなおまえに抱き付いたのには驚かされた」
ジャンは過去を懐かしむような顔となり、からかうような笑みを浮かべた。セインもその時のことを思い出し、口許を笑ませた。
そんなに薔薇が好きかと半ば呆然としてしまったものの、自分に抱き付いてにこにこ笑っている王太后を見ているのは悪くない一日でもあった。
「あれ以上の物はそう容易く開発できないと育種家たちは言っているし、侯爵が抱えている者では不可能とも断言しているのだ。私は最高の育種家たる彼らのその言葉を信じる。だからこそ、侯爵の自信が引っ掛かるのだ」
「おまえが贈った物以上でなくとも、他の者が用意する薔薇より美しければ選んでもらえる。……王太后様に選んでもらうには、おまえの薔薇が無くなればいいと考えているのかもな……」
腕を組んで少し顔をしかめたジャンに、セインもその手を打ってくる可能性が高いと思う。
だが、研究所の警備は私兵たちにより常に厳しく敷かれている。ラッセル侯爵家だけでなく、他家からも技術を狙われているからだ。
その上、マーヴェリット家の領地を襲ったなどと明るみに出ればその者は終わりだ。
侯爵がその程度のことも理解できずに襲撃してくるような愚か者であるなら、とおの昔に勝手に自滅していることだろう。
「研究所は襲わないだろうが、輸送中に何か仕掛けてくるかもしれない」
それもまた、証拠を残さず成功させるとなればかなり難しいおこないであるのだが、やるとすればこちらのほうが可能性は高い……。
「いつも以上に警備の強化を命じておく」
「そうしてくれ」
明日、セインが献上する薔薇は研究所を経つ。
輸送中、少しでも痛めてしまわないよう、薔薇の環境に細心の注意を払うため、通常の何倍もの時間をかけて運ばれる。そして、王太后の誕生日の前日に、開発責任者と共にセインの許へ到着する予定となっている。
「とりあえずその薔薇で、王太后様の口から効能のはっきりしない飛竜など食べさせる意味はない。と、侯爵に言わせられるといいのだがな……」
ジャンはセインに向かって言葉を紡ぎながらも、その眼差しはきゅきゅに向けられており、少し不安げなものとなっていた。
「言わせてみせるさ」
もし、薔薇で言わせられないのであったとしても、セインは必ずそうする。
ベリルにて、長年に渡りフィラム王家を支える第一の臣であり並び立つ存在とまで呼称されるマーヴェリット公爵は、それだけに王家の秘密を数多く胸の内に抱いているのだ。
その中には王太后にとって致命的な秘密もある。彼女の権威を失墜させる確かな証を、セインは父から与えられているのだ。
王太后はそれをこちらに知られているとは夢にも思っていないからこそ、セインに対して遠慮なく憎しみを滾らせていられるのだが、それを公表しても誰も幸せにならない。
だから、生涯誰にも明かさず墓場まで持って行こうとセインは考えていた。が、王太后がきゅきゅを王に食べさせると主張したなら、その考えは改める。
父は、王太后のマーヴェリット家を潰そうとする動きが目に余るものになった場合にのみ使えと言ったが、セインにとってきゅきゅの命は家の存亡と同等なのだ。
その気持ちを胸に書類にサインを入れながら請け負うと、楽しそうな気配となったジャンに思いきり背を叩かれた。
「かっこいいぞ公爵様。おまえが言うと、本当にそうなるとしか思えない。なんだろう、この安心感は。何があっても負ける気がしないんだよな!」
「叩くなっ! 字が歪んだぞ……」
怒鳴って睨むも、ジャンはセインからわざと目を逸らし、どこ吹く風といった様子で口笛を吹いていた。
その後、最後の書類にサインを入れても、アナベルの帰りを知らせる声は届かなかった。




