050.一緒の寝台で眠るための約束
あったかくてとても柔らかい。
己の身を包む心地良いものにアナベルがうっとりとして浸っていると、昨日と同じくセインの声が聞こえた。
目を開けるとこれまた昨日と同じ光景が広がっており、アナベルは己の目を疑った。
「君が謝る必要などまったくないことだ。すべて、部屋を別にするとモリーに伝え忘れていた私の落ち度だ」
急いで傍から離れると蹲るようにして頭を下げたアナベルに、今日もセインはやさしかった。
しかし、そっと頭を撫でる手に促されて顔をあげるも、アナベルは己が情けなさすぎて眉は下がったままだった。
いくらあったかい寝台で眠りたいからと、この城は自分の家ではない。それなのに、無意識の内に移動するなど最悪だ。
挙句に、またセインに抱きついて食べようとしていた。
自分はセインを守るためにここにいる。
それがどうして、甘えるばかりで礼儀正しく過ごせないのだ。
そんな駄目な己が心底居た堪れなくて、この場で塵にでもなりたいと本気で思う。
「申し訳ございません。ソファで眠ったはずでしたのに……勝手に移動してセインの寝床に上がってしまうなど……」
きちんと魔法をかけて暖かくしておいた。それがどうして暖を求めて動いているのだ。アナベルは自身のあまりに恥を知らぬおこないに呆然とするばかりだ。
だが、なんと言い訳しようとも、やってしまったことは無しにはできない。
「君が勝手に移動したのではないよ。風邪をひくといけないと思って私がこちらに運んだのだ。昨夜は、寒い思いをさせてしまい、すまなかった」
「え?」
アナベルが寝ぼけて入り込んだのではない、と証明する言葉に、目を瞬いた。
「これからは、私がおらずとも遠慮なくこの寝台を使うといい」
「これから?」
アナベルは寝ぼけて場所を移っていなかった事には安堵するも、セインの提案には首を傾げる。
ここはセインのお気に入りの寝室と聞いた。それを、まさかアナベルに明け渡すと言っているのだろうか。そんなとんでもないことをさせるわけには行かないと焦って止めようとするも、セインの言葉の方が先だった。
「いったん共にした寝室を、あれこれ言い訳して別にすれば、周囲に不自然に思われる。だから、このまま同じ寝室を使っていた方がいい。この寝台は二人で眠っても充分に余裕があるからね」
「…………」
セインの言い分に、間違いがあるとは思わない。
しかし、正式に結婚を承諾したわけでもないのに、そのような真似をしても良いのだろうか。どうしてもそこが引っ掛かる。
「同意が得られない内は、不埒な真似など絶対にしないよ」
無言でその顔をじっと見つめてしまうアナベルに、セインがまるでこちらの機嫌を伺うような声音で約束した。
セインが自分に何かいかがわしい真似をするなど元から思っていないので、アナベルとしてはそのような約束はいらない。
問題は別にあるのだ。
だから、素直にはいとは言えなかった。
「毛布を頂ければ、私はあちらのソファで構いません。そのほうがセインも安心して休めるでしょうし……」
寝台の端っこで眠っても、朝になればまたセインを食べようと側に寄っていた、などということになれば目も当てられない。寝室を別にしないということには納得できても、寝台を二人で使うことに関しては不安だった。
その広さが十二分にあっても、己の寝相が安心できずに尻込みしてしまう。
「私が安心、とは?」
不思議そうな顔をするセインに、アナベルは離れていたのを少し側に寄った。
「一緒の寝台を使うとですね……私がこうしてお側に寄って眠りを妨げてしまう可能性が高いからです。お忙しいお身体なのですから、夜くらいゆっくり休んでほしいです」
「そのような心配は無用だ。私は君に眠りを妨げられたと思ったことなど一度もない。これは本当だよ」
にっこりと微笑んで言い切られてしまえば、それはやさしい嘘ですね、とは返しにくい。
「……では、私がゴロゴロ動いて邪魔だと思われましたら、どうかご遠慮なく端の端まで押しやって下さい。寒くないように真ん中に寝かせてあげよう、などと気を遣わなくて構いません」
いっそ、寝台から落としてくれてもいいくらいだ。
同じ寝台を使うのであれば、それくらいの取り決めは必要である。それに、厳しく対応されたほうが寝相がよくなるようにも思う。
「わかった。そのようにするよ」
と言って、セインは柔和な笑みを浮かべてアナベルの頭を再び撫でた。
その、自分を見ている和んだ黄金の瞳を見ていると、アナベルの寝相がどんなに悪くて側に寄って行ったとしても、端の方になど押さないとしか考えられない。
「必ず端に押してくださいね。可哀想だ、などと恩情をかける必要はありません」
「わかっているよ。君の言うとおりにするとも」
念を押すアナベルに、セインは一点の曇りもない笑みを浮かべて頷いた。
それでも何となく疑念の残ってしまうアナベルだったが、食事の時間となり、その話はそこで終わった。
朝食後、アナベルは祖母の家に、セインは王宮に……。
仲の良い婚約者は、もちろん互いの頬に行ってきますのキスをして出かけた。
◆◆◆
「なんだか、セインにキスをするのにあまり抵抗がなくなってきたような……」
祖母の家の前に魔法で移動したアナベルは、腕を組んで呟いた。
軒下に吊られた看板を思わず睨み据えてしまう。
頬とはいえ、人前でセインにキスをするのは恥ずかしい、と思っていたのに、先ほどはあまり気にならなかった。
「結婚、か……」
きっと、セインを好ましい人、旦那様になって下さればいいのに、との気持ちがどんどん強くなってきているから、その身に触れることに抵抗感が薄れてきているのだ。
セインは、その身を守りたいと望むアナベルに、頼ってくれそうだ。アナベルを決して、何でもして貰うばかりのお荷物にはしない。
そして、身分の問題も解消されるのだから、求婚に応えても問題はないのだ。
そこまで考えた瞬間、顔中が熱くなったように感じた。両手で頬を包むようにすると、それは間違いではなくとっても熱かった。きっと、頬はリンゴよりも真っ赤になっているはずだ。
「う、うまく言えそうにないから……もう少し、考えよう……」
どのような言葉を使えばいいのか、纏めきれないのだ。それに、男の人に告白などしたことのない身である。こういうことは、いつ何時言えば良いものなのか、その機会とやらもわからない。
「あの……待ちきれなくて早く来てしまったのですが、魔法をかけてもらえますか?」
唐突に、横合いから小さな声で話しかけられる。
アナベルは慌てて頬から手を離し、声のする方を向いた。
そこには、おそらく順番決めで一番を手にしたのであろう令嬢が、緊張した面持ちで立っていた。
「いらっしゃいませ!」
アナベルは求婚の件はひとまず頭の隅に置く。にっこりと微笑むと令嬢を店内へ案内した。
足を踏み入れた店内は、昨日と少し様相が変わっていた。入ってすぐに、可憐な花模様の刺繍が入った布製の衝立が置いてあり、奥まで見通せなくなっている。
そして、扉の両隣には壁にくっつけるようにして、座面が布張りの椅子が二脚ずつ置かれていた。
「……模様替えしたのね、おばあちゃま」
アナベルは令嬢と共に衝立の後ろに回った。そこには、一つしかない円テーブルや置時計はそのままに、縁の装飾模様が美しい、大きな姿見が増えていた。
「美容魔法を求める客が来るとわかっているでな。鏡はあった方がいいかと隣の雑貨屋に行ったのじゃ。そこで、他の物も勧められてな……」
椅子にちょこんと座っている祖母が、苦笑してアナベルを見つめる。
祖母は店内には物を増やすのを好まない人なのだが、店の者の推しに負けて鏡一つで済ませられなかったようだ。
「でも、どれもとってもいい品だわ。……そちらにどうぞ」
その中でも鏡が最も秀逸な品だと思いながら、アナベルは令嬢に椅子を勧める。
肩に力が入っているのがよくわかる令嬢に、店主の祖母が魔法効果と価格の説明をし始めた。
来訪の理由が判明しないお客であれば、まずはそこを問う事から始めるのだが、今回は 「髪つやつや魔法」 をかけると決まっているのでそれは飛ばしているのである。
「……効果が持続する期間によって価格が違うのですか?」
最高価格は 「生涯保証付き」 であり、逆に最も安価なのものは、一日限りのものである。
令嬢はしばらく悩んでいたが、十年経ったらまた来ます、と言い置いて十年保証の魔法を求めた。
アナベルは注文通りに、十年確実に持つつやつや魔法をかけてお代を頂いた。
すると、上機嫌で衝立の向こうに去った令嬢は、そこで次の客たちに遭遇したようだ。
「まあ! 素晴らしい輝き具合ですわね!」
「でしょう! これならば、次の夜会で私にもきっと良い殿方が……」
浮かれきった明るい声がこちら側にも聞こえてくる。
アナベルは、祖母と目を合わせて苦笑した。
「ええ。見つかりますとも!」
「……ですが、十年後にまた来なくてはなりません。魔法は高価な技と聞いていましたが、まさかこれほどとは……美しさには代えられませんが、まさか持参したお金すべて使って十年とは驚きました」
令嬢は、どのような魔法をかけても価格は一律だと思っていたようで、祖母の提示した価格にずいぶんと慄いていた。
魔法力をあまり必要としないものと、たくさん必要とするものが同じ価格など、いくら祖母が良心的な商いをしていても、そんなことはしていない。
「それでも、このお店は王都で一番良心的な価格であると聞いてきたのですが……」
彼女たちは、そうしたこともきちんと調べてきているようだ。
「おそらくこの魔法……表通りのお店では貴族の中でも裕福なお家の方しか、かけてもらえないものだと思いますわ」
その通り。
美容魔法は攻撃魔法ではないので安価に思われがちだが、そのような事はないのである。表通りの店の価格は、なんと祖母の十倍である。
だから、先日三人の令嬢に祖母が無料でかけてあげたあれは、本当に破格なおこないなのだ。
「では、このお店は私たちのような者の味方ですわね!」
次のお客としてこちら側に来るであろう令嬢は声を弾ませた。
そしてアナベルの前に姿を見せた令嬢は、取引を持ち掛けてきた。




