044.王宮魔法使いになりたくない理由
「なぜ、なりたくないのだ。君は父君が亡くなったことで邪魔にされ、カウリー伯爵家から追放されたに等しいのだろう?」
「自分で出ると決めましたので、追放とまでは……」
誠実な婚約者を裏切った人間とされて住みにくくなったのは事実だが、叔父夫婦に追い出されたわけではない。
こちらを向いたジャンの不思議そうな顔に、アナベルは小さく首を横に振った。
ジャンに話した覚えはないのだが、彼はさらりとカウリーの名を口にした。
ならば、彼はアナベルの素性をすべて知っているのだ。
突然に、主のセインが結婚すると言って連れてきた人間。
親兄弟のいない一般市民と聞いていても、調べるのが側近の仕事だろう。
しかも、昨夜の会であれだけブルーノが喚いている。それを調べずそのままにするような人間を、セインが信頼して側に置くはずがない。
セインは知らないようだったが、ジャンの様子を見るに、彼は祖母の魔法屋の位置も知っているように思う。
「領地の者がこぞってブルーノ・カウリーの言い分だけを信じて君を貶めたから、居づらくなったのだろう。それは出て行けと強要されたのも同じだ。長官となれば、その酷いおこないに対する報復ができるよ」
「報復なんてとんでもないことです」
当たり前のように報復と口にしたジャンに、アナベルはぎょっとした。
ブルーノが中央政治の場で出世していくのはいやでも、叔父夫婦や領地の人間たちに何かしようなどと思ったことはただの一度もない。
善人だからそう思うのではなく、アナベルのほうもブルーノと結婚したくなかった。だから何も反論せず沈黙を通したのだ。
必死になって戦おうとしなかったのに、味方となってくれなかったからと恨むのは筋違いだ。そんな情けない真似はしたくない。
それに、アナベルはカウリーの領地の為になるようなことを何もしていないのだ。
貴族同士の付き合いの場にも積極的に参加せず、領民と親しくなるような行動も取らなかった。
高等学院に進むまでは外に出るのをあまり好まず、屋敷の内で静かに暮らしていたのだ。
大きな被害が出るような災害が起これば己の限界まで魔法を使おうと考えていたが、幸いなことにそのような事態は訪れなかった。
だから、愛想のなかったアナベルとは異なり、これでもかと周囲に愛想を振りまいていたブルーノのほうを皆が支持してもそれは当然なのだ。
しかも、領地を出る際アナベルは叔父に充分な資金を貰っている。
領民はアナベルを非難することでブルーノと結婚という最悪の枷から解放してくれたのだから、その彼らに報復するというのはありえないことだ。
「私としてはカウリー領の者達がしたことは腹が立つばかりだがね。君には君の考えがあるということか……」
軽く頷いてはいるが、ジャンはどこか納得がいかなそうな顔をしていた。
でもアナベルは、カウリーの領地の者達に関しては、本心から何もしないので構わないのだ。
ただ、己のおこないを省みるなど絶対にしないであろうブルーノが再び目の前に現れれば、彼にだけは何もしないでいられる自信はない。
それでも、王宮魔法使いの権力は必要ないのだ。
アナベルはブルーノも己の魔法で片付ける。
そして、王宮魔法使いになるつもりがまったくない一番の理由はこれだった。
「私は陛下のために生きるとの誓いを立てられません。私の魔法は陛下のためでも国のためでもなく、私が使いたいと思った時に使いたいのです」
それは身勝手な考えなのかもしれない。
でも、アナベルはそうとしか考えられないのだ。
「私が望むのは陛下のために魔法を使うことではなく……市井で依頼を出してくれる人を相手にする魔法屋か……セインを守るため……」
セインときゅきゅだけがいる場所で言うなら平気なのだが、ここにはジャン以外にもダニエルやモリー、侍女たちもいる。
それらの目がこちらを向いているのがどうにも気恥ずかしくて、最後は声が小さくなってしまった。
だが、ジャンはそこを聞き逃さず喜んだ。
「ああ、そうか! 君はセインと結婚するのだから、陛下に誓いを立てる王宮魔法使いにはなれないよな。大事なことを抜かっていた。いらないことを言ってしまったな。すまない」
私としたことが馬鹿なことを言ってしまったものだ、と朗らかに笑ったジャンは、セインの背を楽しげにばしばし叩いた。
「痛いぞ! 主を力いっぱい叩く奴がどこの世界にいる!」
声は怒っているのだが、セインの口元は緩んでいた。
ジャンがそれを見て余計に面白がる。
「ここにいる! いやあ、いいねえ。お前本当にいい出逢いをしたな。純愛楽しいなあ!」
「茶化すな」
「本気で言っているのだが不満か? では執務室で真面目な話をしよう」
「…………」
すました顔で言ってのけたジャンに、セインが無言であるがはっきりと不服そうな顔をした。
「アナベルとゆっくり過ごしたいのだろうが、そう都合よく事は運ばないのさ」
夕刻にはまだ少し時間がある。
政務を切り上げて戻って来たならその分を公爵家に関する執務に回す、といったところだろうか。にやりと笑うジャンの顔に、アナベルはそう感じた。
結局、セインはジャンと共に三階の執務室へ。アナベルは、モリーたちに声をかけられ、二階へと別れた。
その後、夕食の時刻になってもアナベルはセインの顔を見ることはなかった。共に食事を摂れないことを詫びる知らせが来て、やはり忙しい人なのだと思う。
セインはおなかがすかないのだろうかと気になる一人の夕食だったが、セルマやロージーたちが色々と話しかけてくれるのが楽しくて、寂しいとは感じなかった。
しかし、問題はその後に来た。
「え、あ、あの……今宵も、この部屋なの?」
陽も沈み、入浴を済ませた後。夜着に着替えたアナベルは、当然のように昨夜の寝室に案内されて、目を白黒させた。
「はい。こちらが公爵様のお気に入りの寝室ですので。いかがされましたか?」
驚いて問うたアナベルを、セルマもロージーも不思議そうに見ている。
何を問うているのかわからないと言いたげな二人の顔に、アナベルは焦った。
「セインから、何か聞いていないかしら?」
「いいえ、特には……アナベル様におかれましては、ご要望がございますのでしょうか?」
逆に問い返されて、アナベルはますます焦った。
この調子ではセルマもロージーも寝室に関して何も聞いていないのだ。
ならば、ここでアナベルが部屋を別に用意してほしいと言えば、仲違いでもしたのかと二人は疑問に思うだろう。セインの意見も聞かずに偽装婚約であるのをばらすのも気が引ける。
いい言葉の出ないアナベルに、セルマが少し困ったような顔をした。
「別の寝室もあるのですが、私たちが勝手に決めるわけにはまいりません。他のお部屋がよろしいのでしたら、アナベル様の方から公爵様におっしゃってくださいませ」
「そ、そうね……そうするわ」
アナベルが心の内で苦笑しながらも頷くと、セルマとロージーは安堵した様子で一礼した。
セルマが言っているのは、二人で休む部屋は二人で決めてほしいという意味だろう。
アナベルが一人で休める部屋を求めているとは、二人ともまったく気づいていないようである。
「…………」
これでは、再び昨夜のようにセインと同じ部屋で休むことになる。
しかしアナベルが部屋に入らなければ、二人はずっとその場から動けないのだ。二人をこのまま廊下に立たせておくわけにもいかず、アナベルは緊張に顔を強張らせながらも寝室に入った。
二人が立ち去る足音が聞こえる。
ため息が出るも、昨夜と異なり室内にセインはいない。その現状に、頭が少し冷えた。
「セインは、言い忘れてしまったのね」
一人きりの室内で、ぼやくように口にする。
忙しい人だから、それも仕方がないのだろう。
同じ寝室ということで焦ったが、冷静になれば、今宵は寝台で眠らなければいいだけなのだと気がつく。
あったかそうな寝台につい目が惹かれてしまうのだが、アナベルは振り切る。
そこから少し離れた場所にあるソファに横になり、少し身体を丸めた。
起きて待っていたほうが良いのだろうが、横になりたい気持ちのほうが強くて我慢できなかった。
「寝室の天井にまで絵が描いてあるのね。さすがは、公爵家……」
昨夜は気付かなかった物が目に入り、アナベルは感嘆の息を吐いた。湖と山と森……目に優しい色調で、美しい自然の景色が描かれている。
大して芸術に明るくないアナベルでも、著名な作家の手によるものだとわかる精緻なものだった。
「明日は、別の部屋にして貰おう」
このような立派な部屋でなくとも、もちろん構わない。でも、毛布は欲しいのだ。新緑の季節であるが、夜は冷えて肌寒い。
アナベルは魔法で己の周囲を暖めると目を閉じる。
睡魔は一瞬でアナベルを夢の世界へと誘った。




