042.アナベル、己のおこないを知る
「現実です。……上級魔法にはこの程度の自然に対する干渉力はあるのです。ですから、災害を未然に防ぐというのは不可能でも、大きな被害を出さずにおさめることや、後の復旧作業を素早く済ませてしまうのは可能なのです」
「…………」
声が出ない様子のセインに、アナベルは花を渡した。
これで目の前の花たちが幻覚ではないことを、より実感できるはずだ。
「もし、セインの領地が自然災害に見舞われたなら、私は被害を最小限にとどめて御覧にいれますよ」
花を凝視しているセインに、自信を示すように口角を上げて笑んだアナベルはあることに思い至る。まさかと思いながらも問うてみた。
「あの……王宮魔法使いには、上級魔法の使い手がたくさんいらっしゃると思っていたのですが、もしやいらっしゃらない、とか?」
たくさんいれば、一人くらいは自然に干渉する魔法を使える者がいるはずだ。
その魔法使いは、己の領地を守れなかった長官の能力を疑ったと思うので、それがないとなると、ベリルにおいて最高峰の魔法使い集団の中に、実はまともな上級魔法使いはいないということになる。
アナベルの問いに、セインは夢から覚めたような顔をして頷いた。
「多くはいないな。しかもその上級魔法使いたちは皆、長官よりも力が下だ。自然を操れるなど聞いたこともない。現代の魔法使いは、古の時代に生きた上級魔法使いとは違い力が衰えているとのことでな……」
「そうなのですか。……そこにセインが私を連れて行けば、長官様は自身より上の魔法使いを見ることになる。それを厭って王太后様に味方したということでしょうか?」
ベリル一の権勢家に対し、恩を仇で返す行動を取る。
長官のそれは、宮廷事情にあまり詳しくないアナベルから見ても、自分で自分の首を絞めるおこないとしか思えず不可解だった。
だが、理由がこれならば納得できる。
「……それが、おそらく正解だろう。長官職は王宮魔法使いの中で最も力が強い者が就く。力が上の者が現れれば年齢など関係なく、無条件で譲ることが決まっているのだ。だから、長官は君が王宮魔法使いとなることを恐れたのだろう。死に瀕したきゅきゅを救ってくれた魔法使いだから、必ず陛下のお役に立てると幾ら言っても、頑なに聞こうとしなかったわけだ……」
アナベルは王宮魔法使いになるつもりなどない。
だが、そんなことは知らない長官にとっては、王を救うかもしれない魔法使いではなく、己の地位を奪うただの邪魔者でしかないのだ。
そして、セインの推薦するアナベルの排除というのは、王太后の意思とも合致する。
手を組むのに抵抗はなかっただろう。
「王宮にはたくさんの上級魔法使いがいて、ベリルの精鋭だとばかり思っていました……」
だが、真実は違うのだ。
魔法使いが激減していることはアナベルも充分承知している。それでも、王宮はベリル中から好条件で魔法使いを集うのだ。それなりの数と質を確保しているものとばかり思っていた。
「わが国だけでなく、他国も同じような状況だ。寂しいことだが、この世界から魔法使いが消えるのは時間の問題と言われている。……そんな中で、君は奇跡の存在だと思う」
真剣な眼差しでこちらを見ているセインに、はにかみながら小さく首を横に振る。
「奇跡など大袈裟です。私と同じ魔法使いは、探せばきっとベリルのどこかにいます。目立つのを嫌いひっそり生きて、小さく魔法を使っているだけです。魔法使いがこの世から消えるなど、そんな寂しいことを私は思いません」
祖母も、セインと同じような話をアナベルにしたことがある。
魔法屋の集まりに出かけると、皆口を揃えて未来はそうなるだろうと話すそうだ。
だから、逃れられない未来なのかもしれないが、それでも自身の口で肯定だけはしたくなかった。どんなにその能力が受け継がれにくくなっていても、魔法使いは未来にも存在する。アナベルはそれを信じたいのだ。
「そうだね。少なくとも次の代には無事存在してくれるように思うよ」
「もちろんですとも」
にこやかに笑っているセインに、そうでなければ困ると思う。いくら何でもいきなりゼロになるなどそんな恐ろしい未来はいやだ。
力強く頷いたアナベルに、セインが朗らかに言った。
「私と君の子は、君に似たとても優しくて立派な魔法使いであるだろうな。楽しみだ……」
「はへっ!」
耳に届いた言葉に、アナベルからは堪える間もなく、奇妙な叫びが飛び出していた。
心に来たあまりの衝撃に、今度は自分が土手を転がるかと思った。
なんとかその場に踏み止まって、唖然としてセインを見つめた。
子供……セインと自分の子供……きっとセインに似た誠実で可愛い……いやいやいや……そうではなく、結婚もまだ承諾していないのに、なんということを考えているのだ!
「私がたくさん君に頼れば結婚してくれるのだろう?」
気が動転してまともな表情を作れずにいるアナベルに、セインが面白そうに片目を瞑ってみせる。
「いっ……え、ま、まあ……そのようなことを言ったとは思いますが……今は、そういう話をしているのではなかったはずです! 魔法使いの長官様のことです。長官様は陛下がお元気になられるよりも、自身の地位のほうが大事なのですよね!」
セインの中では自分と結婚することは本決まりになっているとしか感じず、アナベルは焦って捲し立てた。
それがいや、というわけではないのだが、あまり駆け足で進めないでほしいのだ。
しどろもどろになるアナベルにセインはのどを鳴らして笑うと、長官の話に戻してくれた。
「そのようだ。……実は、私は陛下のお身体に関するこればかりは、オリヴィア嬢の意見に賛成なのだ。長官を蔑ろにするつもりはないのだが、王宮魔法使いや宮廷医だけに頼るよりも、有効な方法があるなら陛下のお言葉を聞いた上で試みるべきだと思っていた。……長官も同じ考えでいるかと思っていたのだが、己の地位を守るほうが大事とはな……」
情けないことだ、とセインは最後に呟きを零した。
その横顔には、長官に対する失望の感情が色濃く滲んでいた。
王宮魔法使いの長官の権限は大臣位と同等である。しかも、王の側近としてその側に侍るのだから、色々と得るものは多いのだろう。
そう簡単に手離せる地位でないのは、アナベルにもわかる。
それでも、王宮魔法使いはアナベルたちのような市井の魔法使いとは違う。
彼らは与えられる富と権力の代わりに、王の為に生きると誓いを立てるのだ。
だから、長官は何と引き換えにしようと、王のことを最優先に考えねばならない。
しかし、長官は己の欲に負けてそれを忘れた。
セインが怒るのも道理である。
「長官様に話は通らないと確定しましたので、第一王妃様と王太后様のお側に行けるようにたくさん頑張りますね。正体を知られないように変装するなど簡単ですし、きっとやり遂げて見せます」
アナベルは気合を入れるように伸びをした。
第一王妃も王太后も、セインの婚約者として公表されたアナベルの絵姿をきっと入手している。素顔を晒してその御前に出るなどすれば、最初から計画は台無しだ。
「すまないね」
「謝るのはなしにしてください。……それと、私、明日から魔法を売りますので、お昼間は祖母の家に帰ります」
大事なことを伝えていなかったのを思い出したアナベルは、きれいな水で気持ちよさそうに水浴びをしつつ、ついでに魚も獲って口に入れているきゅきゅを眺めながら口にした。
その捕まえ方がとてもうまくて、もう何匹もきゅきゅはおいしく食べている。
器用なのね、と感心しながら見つめていると、唐突に肩を掴まれた。少し強引にセインのほうを向かされる。
「帰るとはどういうことだ。魔法屋となり私の傍を離れるのか?」
自分をまっすぐに見据える黄金の瞳が底光りしているようで、怖い。
「……そ、祖母の魔法屋に、いきなりお客が増えまして……あの人数を祖母一人が対応するとなると負担がかかりすぎますので、私が代わりに魔法をかけることにしたのです。長時間ではありません。ほんの少しです。セインの守りに手を抜くつもりはありませんし、婚約者としての務めもきちんと果たします。反故にして消えたりなど致しません」
いきなりどうしたのだ。
怒らせるようなことを言った覚えなどないアナベルは、セインの変貌の理由がわからず困惑する。
柔らかなものの消えたセインの気配に気圧され背筋が震えた。
「そうか。短時間、祖母殿のお手伝いか……」
納得してくれたようで眼光を和らげてくれたセインに安堵する。
「わ、私は嘘吐き人間にはなりませんよ。約束したことはきちんと果たします!」
まだ少し声が震えてしまうが、しっかり主張した。
すると、優しい気配に戻ったセインは、己を反省するような苦笑を浮かべた。
「わかっているよ。君が生真面目な人間だということはね……ただ、急に帰るなどと言われて、気が動転してしまった。抱きしめてしまったことや子の話をしてしまったことで嫌われたのかと恐くなってしまってね……余裕のない男ですまない」
言葉で謝るばかりか頭まで下げようとするのを、アナベルは慌てて止めた。
「そ、そこまでされなくてもいいです! それに、抱きしめられるのをいや、などとは思わないと言ったはずです。ですが、往来で抱きしめるのは別です。人目の多くある場所で男性が女性を抱きしめるなど普通はしないことですので!」
これはしっかり言っておかねばと思い、こちらをじいっと見ているセインに少し強い口調で己の知る常識を訴えた。
すると、セインは少し首を傾げ小さく笑った。
「それはわかっているのだが……お菓子を食べさせてくれたからね。構わないのかと思ったのだよ」
「え?」
お菓子を食べさせたのは、特別おかしなおこないではないだろうに。
セインは袋や瓶に手を入れるのが難しそうだったから、代わりにアナベルが摘まんで取り出していただけだ。
食べてほしかったから頼まれるとおりに口に運んだだけで……。
「人目を気にするのであれば、食べさせるのも拒否するものではないのかい? 手に渡せば済むことなのだしね」
からかうような目をしてこちらを見ているセインを目の当たりにして、アナベルはここで初めて気がついた。
手に渡して勧めるという方法があったのだ!
自分はそれを忘れて往来で、男の人に手ずから食べ物を食べさせた。
あれはもしや、抱擁しているのと同じくらい、いや、それ以上に恥ずかしいおこないではないのか。
「ああああ……ど、どうしよう……し、しばらく表通りは歩けない……」
アナベルは両手で頭を抱えると、額と膝をくっつけて丸まった。




