029.オリヴィアとブルーノ 1
夜会の場を後にして自宅に戻ったオリヴィアは、侍女たちに盛装を解かせる。
その際、ブルーノ・カウリーを応接間に案内しているとの報告も受け、満足の笑みを浮かべた。
就寝の為の衣を纏うのではなく、華やかな青のドレスを新たに着付けさせる。
睫の一本に至るまで気を抜かない完璧な化粧を施した上で、オリヴィアは応接間に向かった。
美しい自分は念入りに化粧を施す事により、その美しさがさらに向上する。オリヴィアはそれを熟知しており、男の手駒を手に入れる際には必ずそうしていた。
応接間の扉の前には、己の護衛騎士の一人であるレオ・クラークが立っていた。
マーヴェリット公爵家を去る際、オリヴィアは彼にブルーノの人相風体を伝え、屋敷に連れてくるようにと命じたのだ。
「ご命令通り、こちらの部屋に案内しております。そして、こちらもお持ちいたしました」
「ありがとう」
オリヴィアは、レオより恭しい手つきで差し出された五十センチほどの細長い漆黒の箱を受け取った。
「ご命令ですのでお持ちいたしましたが、あの者にこれが使いこなせるとは私には思えません」
不満げな顔を見せるもっとも信頼している騎士に、オリヴィアは嫣然と微笑んだ。
「それは、渡してみない事にはわからないわ。でも、ずいぶんとあの娘も公爵も恨んでいたようだから、使いこなせる可能性は充分にあるのではないかしら」
「……そのような品に頼らずとも、私にお命じくださればよろしいものを」
悔しげな呟きに、オリヴィアは笑みを深めた。
「長年私を守ってくれているあなたに、使い捨ての汚れ仕事などさせられないわ。あなたには、王妃となった私を念入りに守ってもらわねばならないのですからね」
オリヴィアに魅了されて結婚もせず、一途に想って守り続ける忠実で寡黙な護衛騎士。
余計な口を聞かず剣技に秀でて有能な彼は、オリヴィアの大のお気に入りである。やれと命じればどのようなことであろうとしてくれると充分に知っているが、こればかりは命じる気になれなかった。
「オリヴィア様……もちろん、わが命に代えてもお守りいたします」
レオの黒瞳が輝き、喜びの感情が目に見えるような顔をした。勢いよく振られるしっぽの幻影まで見えそうである。
オリヴィアはその姿に機嫌よく目を細めながら、話が終わるまで誰も近づけないよう命じると一人部屋に入った。
「くそっ! なぜアナベルが宰相閣下の婚約者なのだ……私の出世を阻む魔女め……」
部屋に入った途端耳を打ったのは、激しく憤る声だった。
「こちらが招いておきながら、待たせてしまってごめんなさい」
「…………」
声をかけると、そこで初めてオリヴィアが部屋に入っていることに気付いたようだ。
ブルーノはこちらに顔を向け、憤っていたことなど忘れたかのように惚けた顔をした。
ブルーノは、夜会の場でもオリヴィアに見惚れていた。
それは特別奇異なことではない。男はたいていこのような感じである。オリヴィアの美貌の虜となり、少し笑いかけてやるだけで、手足のように動く道具となってくれる者は後を絶たなかった。
「あなたは、マーヴェリット公爵が婚約者として皆に披露した令嬢をよく見知っているようだったから招いたの。いったいどのような者なのか、詳しく教えて頂けないかしら?」
ブルーノの正面の席に着きながら問うと、彼の眉間に皺が寄った。
「……私とは関係ない女……」
「あれだけのことを公の場で叫んでおきながら、いまさらそんなつまらない言葉を聞かせないで頂けるかしら」
誤魔化そうとしたブルーノをぴしゃりと遮る。彼は目を瞬き、息を飲んでこちらを見つめた。
こうして間近で目にしていると、ずいぶん整った顔をしている。使い捨ての道具であっても、醜い男と話すよりは美男の方が楽しいというものだ。
「私はマーヴェリット公爵の味方ではないわ。婚約者を嫌い、呪いの腕輪を填めて捨てたあなたを責めようと思ってここに呼んだのではないの。あなたが私に都合よく動いてくれるなら、私もあなたの助けとなってあげるわ」
「私の助けに……」
ベリル一の権勢家に睨まれ、未来に展望がないと絶望していたのだろう。
ブルーノはオリヴィアの口にした、助け、との言葉に目論見通り食いついてきた。
「ええ。出世が望みであるなら叶えてあげるわ。だから、問うたことにはきちんと答えてちょうだい」
「……アナベルは伯父の一人娘ですが、母親は貴族でなく一般市民の出です。その母方の血筋が魔法使いであるとは思いもしませんでしたが……」
よほど憎らしいのだろう。ブルーノは素直に話し始めたが、あの娘に対する陰湿な感情を隠そうともしていなかった。
「あなたのような光り輝く物を何も持たない、地味で陰気な娘です。刺繍や読書や菓子作りが好きで、屋敷からあまり外に出ることなく暮らしていました。親しい友人などはいないと思います。だからと、大人しい娘かと思えば妙に気が強くて扱いにくい面倒な人間でした」
顔を顰めて締めくくったブルーノに、オリヴィアは軽く頷いた。
「そうね。一見大人しそうに見えたけど……確かに、大人しいだけの人間とも思えなかったわ」
オリヴィアが睨んでも、大して恐れもせず静かな目でじっとこちらを見ていた。
口を開いて言い返してくるような真似はしなかったが、何があろうとひたすら黙って耐えるだけの人間は、あのような目はしないものだ。
「まさか、貴重な白黒上級魔法使いとは……そうと知っていれば、言い包めて利用できたものを……」
悔しげにつぶやいて唇を噛みしめるようにしたブルーノに、それは無理でしょうね、とオリヴィアは心の内で返しておいた。
あの娘がそう簡単に男の見かけに騙されるような女であるなら、とうの昔にブルーノに魔法使いであることを知らせていると思う。
それを今日までしなかったのだ。
ブルーノの性根を嫌い、心底厭わしい者と見ていたあの娘を懐柔するなど、何をしようと不可能だっただろう。
「あなたの話からすると、屋敷に籠って大人しく暮らしていたような娘……。私も社交の場で一度も顔を見たことがない、そのような娘が突然公爵の婚約者となった……。以前からの知り合いというのではなく、ペルヴィ川で出会ったというのは本当なのでしょうね」
「おそらく……」
「そこで、飛竜を癒して公爵の関心を買ったのね……」
互いに一目惚れだと娘は言い公爵もそれを認めていたが、オリヴィアはそんなものは信じていない。
オリヴィアの美貌にまったく惑わない公爵が、どうしてそれより劣るあの娘に一目惚れなどするものか。
だが、特別な上級魔法で飛竜を癒したというのであれば納得できる。
オリヴィアは、マーヴェリット公爵が具合の悪くなった飛竜を癒すため、あらゆる手を尽していたのを知っていた。
王にしか魔法をかけないと言われている、最高の治癒魔法の使い手たる王宮魔法使いの長官にまで魔法をかけさせた。
王太后がそれに立腹してやめさせようとしても、王に懇願して己の飛竜に魔法をかけさせたそうだ。
王は、自身の地位を最も脅かす者とわかっているだろうに、マーヴェリット公爵をとても大切にしている。彼の言葉であれば大抵のことは鷹揚に受け入れる、というのは有名な話だ。
それでも飛竜の状態は一向に良くならず、公爵は絶望に打ちひしがれて城に篭り、政務まで放りだすありさまとなった。
財務大臣はしっかりしてくれねば困ると怒り、外務大臣の父はこのまま精神を病んで引退というのでよかろうとほくそ笑んでいた。
オリヴィアはその話を耳にした時、首を傾げたものだ。
いくら禍を払う貴重な飛竜といえど、両親や身内が死ぬわけではない。
宰相を務めるような者が、たかが動物一匹が死ぬ程度のことでそのように精神を弱めるなど、オリヴィアにはまったく理解できなかった。
死んでしまったなら、新しい飛竜が手に入るように世界中に手を回せばいいだけの話ではないか。
それを可能とする権力を持っているくせに、一匹に拘るというのはどうにも訳がわからなかった。
娘は、公爵が過剰な愛を注ぐその飛竜を回復させたのだ。
そして、上級治癒魔法の褒美として公爵夫人の地位をねだったのだろう。
オリヴィアとてそれほどの魔法が使えれば、娘と同じく公爵に大いに恩を売りその地位を求めたに決まっている。
いや、早々に王を癒して王妃の地位を得ているだろう。
ねだられるままポンとその地位を与える公爵の飛竜への愛情は異常に思うも、これで娘が王を快癒させてくれるというなら、オリヴィアにとって悪い話ではない。
ただの婚約者であればオリヴィアの望みを阻害する憎き邪魔者でしかないが、王を快癒させられる上級魔法使いというのであれば大歓迎である。
なんと都合の良い者が登場したものだとオリヴィアは浮かれていた。
「まったく腹立たしいことながら、その通りであると思います」
「公爵夫人ともなれば、己を捨てたあなたに復讐するなど容易いことですものね」
ふふ、と笑ってみせるとブルーノは渋面となった。
「っく……」
「このままではあなたは社交界の鼻つまみ者として、生涯、中央での要職など得られないわ。地方で静かに暮らすのが望みであるならそれで構わないでしょうが、あなたは違うのではなくて?」
「もちろんです。私は中央政治に携わりたい。ベリルを動かせるほどの力を持ちたいのです」
正直に己の野望を口にしたブルーノに、オリヴィアは笑みを深めた。
「では、あなたを嫌っている元婚約者とその娘を守るマーヴェリット公爵はとても邪魔ではないかしら?」
「……憎らしい邪魔者でしかありませんが、そう簡単に排除できる相手でないことくらいはわかっています」
唇を歪めるようにして声を発し、ブルーノは目蓋を伏せるようにした。
激情に駆られてやみくもに襲い掛かっても意味がないと理解しているようだ。
夜会の場で狂気を剥き出しにして娘に掴みかかろうとした。公爵に諌められても激しく喚き散らしていた姿に、何も物を考えず、まっすぐ突き進むだけの愚か者であったら使い物にならないと案じていたので一安心である。
「それでも排除しなければ、公爵はその気になればあなたを死なせることも可能であるし、カウリー家も潰せるのよ。公爵は一見物静かで穏やかそうに見えるけど、敵には容赦しない人間なの。公爵家を守るためにそのように教育されているうえに、本人がそれをまったく苦にしていない。そして、誰より王の信頼を受ける人間でもあるわ」
公爵は自家の力と王の信頼という二重の力に守られている非常に厄介な人間なのだ。
だから父は、公爵の上位に立つことができずに苦慮している。
「アナベルは公爵に私を悪く言うに決まっている。公爵がそれを信じて私を厭えば、私の命はないということか……」
青ざめて声を掠れさせたブルーノに、オリヴィアは小さく頷いた。
「そんなの嫌でしょう? だから、これをあなたにあげるわ」
膝に置いていた漆黒の箱をテーブルの上に乗せる。
ブルーノの前まで滑らせるようにすると、彼はそれを不思議そうに凝視していた。
「いったい、なんですか?」
「開けて見ればわかるわ」
促すとブルーノは素直に箱を開けた。
深紅の絹布が敷かれた中には、鞘も柄も漆黒の、濡れたように輝く細身の剣が一振り納められていた。




