028.前向き……後ろ向き……。
「私は君に清廉であれなどそんなことは望まない。清濁併せ持つからこそ、魅力的なのだ。それに、幼馴染みに平然と呪いの腕輪を填めて詐欺師呼ばわりまでするような、あんな男を許すなど気味が悪くて私は嫌だよ」
「ですが、偽装……」
美しい心根でなくとも構わない。魅力的とまで言われて嬉しくないわけがない。
だが、いきなり本当の結婚を望まれるなどまったく思わぬことで、アナベルは心の動揺を鎮めきれなかった。
「私はね……婚約者となってほしいと言った時に、本当に私の妻となってくれればいいのに、と思いながらあの言葉を口にしていたのだよ」
「え?」
これ以上驚かせないでほしい。
セインはこちらの心臓を止めるつもりなのかとまで思ってしまう。
「あの時から、君なら私の夢を叶えてくれるのではないかと思えてね……。だが、君にそれを期待するような素振りは一切感じなかった。逆に、婚約者など困ると本気で怯えていた。それを見て、性急に話を進めれば嫌われてしまうと思った。だから、振りであるなら頷いてくれるかと嘘を吐いたのだよ。側にいてくれさえすれば、いつか私のことを好きになってくれるのではないかと考えてね……」
「…………」
卑怯ですまないね、とセインは苦笑しつつ軽く頭を下げるようにした。
アナベルは、卑怯と思って腹立ちを覚えるようなことはなかったが、まったく思いもしなかったセインの心情に、呆然とするばかりだった。
「君は、私の年や体型は結婚の障害とはならないと言ってくれた。気になるのは身分のみだと……。だが、身分の問題などそれこそ簡単に解消できるものだ。どうだろうか、私のことを前向きに考えてみてはくれないだろうか?」
「前向き……」
に考えるとは、セインがアナベルの伴侶……旦那様になるということで……。
光属性の、こんな立派な人間の出来た人が、足りないところばかりの自分の旦那様になってくれる。
そうなれば、いつもそばにいてくれるのだ。頭も撫でてくれるだろうし、愛していると囁いて抱きしめてもくれる。
あったかい暮らしになるのは間違いなしだ!
そこまで妄想が広がった途端、ぼん、と音がしそうなほど首まで真っ赤に染まったのが自分でもわかった。顔だけでなく、全身が熱い。
アナベルはふらりと立ち上がるも、よろけて床に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫かい!?」
慌てたセインがすぐそばに同じようにして座り込んだ。
心配そうにアナベルの様子を窺っているのに、小さく頷きかけたところで、頭がくらっとして目の前が霞んだ。
「す、すみません……限界が来ました。今日は強い魔法を使いましたのでもう意識が保てそうにありません。ね、眠らせてください……」
きちんとセインの言葉に返さねばならないと思っても、意識が急激にぼやけてしまい思考が纏まらない。
強力な魔法を使った後は、自分の意思とは関係なしに睡魔に襲われるのだ。突然に訪れるそれが来ると、どんなに抵抗しても無駄である。アナベルは必ず眠ってしまう。
なんとか立ち上がってソファに行こうとしても、身体も思うように動かない。
膝をついている絨毯はとても毛足が長くてふかふかしているようだし、汚れている様子もない。ここで蹲って眠るのでいいかとアナベルは床に丸まろうとした。
「そんなところで寝ては風邪をひくよ」
やんわりと背を撫でられた後、身体が浮いたように感じた。
落ちかけの目蓋をなんとかこじ開けて見ると、セインがアナベルを抱き上げ寝台に寝かせてくれようとしていた。
「……一緒の……寝台など……駄目です……」
「眠る女性を襲うなど、そんな下衆になるつもりはないよ」
断るも、そっと横たえて優しく頭を撫でてくれる。
うっとりしてしまい、アナベルは目蓋が落ちてしまった。
「そうではなく……ふしだらな女と見做され、結婚相手がいなくなると教わりました……」
眠り込んでしまった後、セインに襲われるということはまったく考えなかった。
眠る女性に疚しいことをするような男性を素敵と思えるほど、自分の目は曇っていないと思うからだ。
だが、未婚の女が身内でもない男性と一緒の寝台で眠るのは結婚に悪いように響く、との教師の言葉だけが、妙にぐるぐる頭の中を回っていた。
「それなら大丈夫だ。いなくならないよ。君の相手は私なのだからね。安心しておやすみ」
前髪を掻き上げるようにして、そっと丁寧に撫でてくれる。
そのおこないと甘い声音に、アナベルは全身の緊張が緩んで口許もほころんだ。
「いなくならないなら、安心ですね……」
教師の言うことだけがすべてではないのだ。セインの言葉をそうと受け取り、アナベルは安堵の息を吐いた。
「ああ、いなくならない。前向きに考えてくれるのだね。嬉しいよ」
「……前向き?」
完全に眠りの世界に旅立とうとした意識が、その一言で現実世界に引っ掛かる。
重要なことを考えずに放りだそうとしているように思えて、アナベルの眉根が寄った。
セインが自分の旦那様など、そんな安売りをしてはいけないと言わねばならないのではないか……ここで眠ってしまってはいけないのではないか。
そう思うも、アナベルは眠い。
すぐに意識はぼやけてしまい、難しい話は起きてからにして貰おうと流されてしまう。
「無理に起きなくていいよ。難しい魔法を使ってくれたというのに、長々話してしまい配慮が足らなくてすまなかったね。ゆっくり眠って疲れを癒しておくれ」
アナベルを眠りの世界に誘うかのようななんとも都合の良いセインの声に、嬉しくなって小さく頷く。
「前向き……後ろ向き……」
無意識の呟きを最後に、アナベルの意識は完全に途切れた。
◆◆◆
「後ろ向きは駄目だよ」
アナベルは自分を拒絶しない、と浮かれていたところにその言葉を聞いて、セインはぎょっとして焦った。
頭を撫でて囁いても、アナベルは何の反応も返してはくれない。
緊張のまったく見えないその顔は、完全に眠っているのだと何より証明するものだった。
「どうか、前向きで頼むよ……」
眠る女性を襲うような下衆にはならないといったものの……愛らしい寝顔にどうにも我慢がきかなくて、セインはそっとその額にキスをしてしまっていた。
傍らに座り込んで頭を掻く。
「我慢。我慢……」
政敵の攻略よりも、アナベルの心を得る方が何倍も難しい。
何年も待ち望んだ存在なのだ。それだけ価値があるのだから仕方がないと思いながらも、安心しきって眠る姿を見ていると、その姿は魅力的すぎてセインの煩悩を激しく掻き立ててくれた。
「今宵はきっと眠れないだろうな……」
ぼやくように呟きながらも、他の寝室に行こうとは考えないセインだった。
◆◆◆
理性と戦いながら、どうにかセインが眠りについた頃。
夜会を途中で抜けたオリヴィア・ラッセルは、己の屋敷に客を招いて語らっていた。
客は怨嗟の叫びをまき散らしながら公爵の城より放り出された、ブルーノ・カウリーだった。




