157.夜空の散歩
ふたりの乗った箒は公爵邸の屋根を眼下に、ぐるりと敷地全体を円を描くように飛ぶ。
「そうだ。ちょうどいいので今完成させちゃいますね」
「なにを?」
「外敵避けの魔法結界です。お屋敷の宝物庫に入れてもらったときから気になっていまして……『全属性よ我が許に集え! マーヴェリット公爵家に仇なす無法者の侵入は許さない。盗っ人は一切無し無しよ!』」
アナベルの宙に伸ばした右手から六属の光が屋敷全体に放たれる。
光はまるで色取り取りの鮮やかな花が咲いたように煌めきながら舞い、音もなく屋敷や庭と同化して姿を消した。
「アナベル。屋敷を覆う外敵避けなど、とんでもない魔法ではないのか?」
あ然として状況を見ているセインに、小さく笑う。
「警備の人がいらっしゃるのはわかっているのですが……偽装婚約の契約が終わるまでに、お礼として魔法結界をと考えていたのです。それが偽装ではなくなって……いろいろあって遅くなっちゃいました」
「現在ベリルで魔法結界を張っているのは王宮のみのはずだ。それも、大勢の王宮魔法使いを動員してようやくだというのに、君はひとりで……」
動転しているようで、セインの声は少し掠れていた。その言葉を聞いてアナベルは思い出す。
「そういえば、前長官がそんなことを言っていましたね。たぶん、前長官が主体となっている物よりは強固な物が張れていると思います。もし魔法使いが襲って来たとしても弾き飛ばしますよ。グレアムのやったように窓を割らせたりなどもうしません」
アナベルは前長官の結界魔法をまったく障壁とは感じなかった。気にせず突っ切って彼らの様子を眺めたわけだが、自分の結界魔法ではそれを許すつもりはない。
強い覚悟で安心を約束したアナベルに、セインは眉を下げ複雑な顔をしていた。
「尽くしていないと君は言うが、私は君に尽くされすぎていると思う」
「私は自分のしたいことをしているだけです。セインはなにも強制していないのですから、どうかお気になさらず」
からりと笑って彼の肩の辺りに凭れるようにする。
ふたりを乗せた飛行箒は、屋根よりは低い位置まで降りた。屋敷の建物に沿ってすいっと移動していると……。
急な光の乱舞に驚いたのだろう、怪訝そうに窓の外を見ているきゅきゅとジャンと目が合った。
【副隊長。あなた空まで飛べるのね!】
きゅきゅの声が飛んできたので、空中に停止する。
「箒で空とは……まさしく人間の憧れを体現する、童話から抜け出してきた魔法使いだな。先程の光も君かい?」
食卓を立って窓辺に歩み寄り、窓を開けた。どこか呆然としているジャンにセインと一緒に笑いかける。
「そうです。今から魔法使いらしく散歩に行ってきます」
「ということで、今宵の執務は無しだ」
「はいはい。明日ということで置いておく。怖い顔でなくなって安心したよ」
セインの宣言に、ジャンが苦笑交じりに軽くうなずいた。
【いってらっしゃ~い。そうそう。どんな仕事よりも仲良し時間のほうが大事よ。……さあ、続きを食べましょう】
きゅきゅが軽快に飛んで食卓に戻っていく。ジャンも、自分たちにひらりと手を振ると窓辺に背を向けた。
アナベルは仲よく食事を再開したふたりをほのぼのと眺め、屋根より高い位置へと移る。
そうして王都の町並みをすべて見下ろすように、満月に照らされた藍色の天を銀色の箒は、ゆったり静かに飛行した。
「セインは少しも不安そうな顔をなさいませんね」
「不安? 君とこうしていられる心地いい時間に、そんなものはまったくないよ」
アナベルの囁きに本気で首をかしげている。ないと言い切ってくれた人に、なんだか泣きたくなるほどのしあわせを感じた。
「うれしいです。私という人間に信がなければ、こんなこと怖ろしくていやなだけですよね。地に足の付かない不安定な場所に連れて来られるなんて……」
「君に落とされるなら構わないよ。自分はそれだけの人間だったと思うだけだ」
動揺も緊張もまったくなくなっている、いつも通りの穏やかな声の返答だった。
「そのお言葉を頂けたので、充分です。もちろん落としたりなどしませんよ。私たちの周囲に風魔法で結界を張っています。少々箒から離れたとしても地に落ちたりなどしません」
満ち足りて頬が緩むアナベルに、セインが笑顔でキスをした。
「では、私の膝に乗って貰ってもいいかい? もう少しくっついてぎゅっとしたい」
「え?」
首をかしげたときには腰を抱くセインの腕に力が入っており、引き寄せられる。身体がちょっと箒から離れ、アナベルは言葉通りに彼の膝に座っていた。
「私も……叶うことなら空を飛んでみたいと思っていた。幼い頃に童話を読んで、魔法使いとはすごいと憧れていたのだよ。だが、本物の魔法使いは空など飛ばないと王宮で知って……とても寂しいと思ったものだ」
「そうだったのですか……」
胸元に抱き込み、頭を撫でてくれる。その手が心地良くてアナベルの機嫌は良くなるばかりだった。
「ありがとう。楽しい夢を叶えてくれて」
大きな満月の正面でふたりの影がやさしく重なる。
とん、と互いの額をやんわりと触れさせて笑い合った。
「あなたに喜んでいただけるのがなによりです」
「空を飛べたこともしあわせだが……君が私の腕の中にいてくれる。それがなににも勝るしあわせだよ。自分でも不思議に思うほど心があったかくなるのだ。アナベルは本当にすごい人だね」
しみじみと語るセインに、アナベルは面映ゆくてそわそわした。
「私はそこまで言って頂けるような立派な人間ではないかと……。浮かれて王宮に通ったりして悩ませたわけですし……」
「王宮のことは私に宝石をと考えてくれてのことだったわけだから、余計な妄想に取り憑かれて勝手に悩んだ私のほうが……」
自分を悪者にしようとするセインを遮った。
「実は、浮かれていたのはそれだけが理由ではないのです。私、王宮で宝石を探す以上に、陛下やソフィア王妃様、王太后様の知っているセインのお話が聞きたくて……それで王宮を訪問するのがつい楽しくなっちゃいました」
決して、セインを悩ませようと王宮に通ったわけではない。
それでもアナベルの浮ついた態度がセインを苦しめてしまったのは確かだ。頬に触れる夜風を心地良く思いながらも自省していると、セインがぱちくりした。
「私の話?」
「どんなに諫めても領民の暮らしを破綻させる、悪辣な貴族たちを絶対に許さない。相手の抵抗を物ともしない、容赦ない断罪。逃げ場を一切作らせない周到な追い詰め方、とか……そこまでするのかと陛下は何度も驚かされたと仰って、お話しくださいました」
悪徳貴族たちのどんな懐柔策も徹底無視する精神の強さ。減刑を懇願されようとも、罪に相応しい罰を必ず与える、民の期待を裏切らない厳然たる姿勢。
立場の弱い民を守ってくれるセインのそうした話を聞かせてもらえるのが、アナベルはとにかく楽しくて堪らなかったのだ。が、にこにこで教えるアナベルに、セインのほうはきょとんとしていた。
「何を言って……。二度言って聞かない相手を見捨てることはあるが……私はそこまで容赦なく追い詰めたことはないよ」
「そうなのですか?」
「そうだよ。容赦ないと言えば絶対に陛下のほうだ。あの方がベリルの害と判断した相手に見せる姿は冷酷以外の何者でもない。神話に登場する魔王であっても逃げ出すと断言できるよ。私などよりはるかに意地が悪く怖ろしいのに……なぜその陛下が私に驚くのだ?」
納得いかないとはっきり顔に書いてあるように見えるセインに、アナベルは噴き出した。
「さあ、なぜでしょう……」
「……だが……そう言えば、どうしたことか私が嫌って潰したように世間では言われる。私の好き嫌いで家の断絶が決まるなど、そんな馬鹿げた話があるわけがない。貴族の取り潰しは国王にしかできないと皆知っているはずなのに……」
いつも通り陛下と呼んでいるが、最後のほうはぼそぼそと、なんだかものすごく不服そうに口の中で呟いた。そんな彼がとてもかわいらしく見えてしまい、アナベルは目を細める。
「ふふ」
「あ! 綺麗なものなどほとんどないから、政治の話はできれば聞かないでほしいと言いたいよ。でもそうか、私の話が聞けるから陛下とお茶をするのを喜んでいたのか……」
ちょっと目尻を赤く染めて狼狽えている姿もかわいい。
眼福で、頬が緩んで仕方のないアナベルだった。
「あとは父君に、たまには女性に贈り物のひとつでもしなさいと言われて、大きなエメラルドを購入して喜ばせておいて、隊長の首飾りにして怒らせたお話であったりとか……そういった大変興味深く面白いものです」
セインの逸話がとにかくなんでも聞きたくて、侍従や管理者たちの変な目がどんなに付き纏ってきても……それは不愉快で堪らなくても……王の招きを断り切れなかった。
「ああ、あのことか……。エメラルドの中でもとても珍しい物だったから、余計に父上に叱られたのを覚えているよ。最初から、女性に贈るなどと約束した覚えはなかったのだがね……」
過去を懐かしむように、セインがちょっとしんみりとつぶやいた。
「あなたが語らないことを他の人から聞くのは、良くないとも思ったのですが……セインのことであるなら、聞けるものならなんでもいくらでも聞きたいと思ってしまって……」
苦笑するアナベルの頭を、彼がやさしくポンポンとした。
「私も、君のことであるならどんな些細なことでも聞きたい。そうだね。聞かせてもらえるなら、どこにでも喜んで通ってしまうかな」
「私のことなら祖母が一番詳しいと思いますが……セインが通ったら祖父が絶対怒って戻ってくるでしょうから……。なんだか怖いことになりそうなので、私のことは私に直接聞いてください」
それが一番平和だ。
なんでも答えますよとアナベルがまっすぐに笑顔を向けると、セインは深く感じ入ったようにうなずいた。
「君の私にくれる、その曇りのない笑顔以上の真実などどこにもないな。この先は、もう誰から何を聞こうとも余計なことは考えない。君の目的が無事に達せられるように願うだけだ。素直な気持ちで王宮へ行くのを見送るよ」
「では目的達成のためにも……興味が無いというのは少し横に避けて……お好みの宝石の名をぜひとも……」
どきどきしながら問うたアナベルに、セインはちょっと考え込むように視線を巡らせた。
「……そうだな……しいて言うならアレキサンドライトだろうか。あの石の色変化は素晴らしいと思う」
「アレキサンドライト……」
さすがは公爵様。宝石に興味はないと言いつつ、あっさりと物凄い宝石の名前を口にした。常に一流の物ばかり目にしている証拠だ……。
アナベルは半ば呆然としてその姿を見つめる。
アレキサンドライトとは室内の光では赤紫、自然光の下では青緑に輝く。ある意味ダイヤよりも希少な宝石だ。その色の変化がはっきりしている物ほど価値は高くなる。アナベルは父からそう聞いていた。
カウリー家が持っていたのはとてもちいさな物で、しかも色の変化も曖昧だった。それでも『ご先祖様は大枚をはたいて必死で購入したのだよ』と父は苦笑していた。
「言いはしたが……君の好む物でいいのだよ。私に結婚の宝石を選ばせてくれたようにね。どうか私のことで悩まないでおくれ」
アナベルの微妙な表情になにか感じるところがあったのか、セインは心配そうにこちらを窺っていた。
淀みと翳りの完全に消えた、力強く美しい大好きな黄金の瞳に微笑み返す。
「大丈夫です。セインの好きな物が探せるのはとてもしあわせなことです」
たとえ宝物庫に見つからなくとも、見つかるまで必ず探す。
世界のどこにだって堀りに行く。
アナベルは改めてその決意を強く胸に抱いた。
「絶対に無理だけはしないでくれ」
「はい」
きちんと約束の返事をするも……。
「本当に無理は駄目だよ」
念押ししながらセインが自身の唇でアナベルの唇に柔らかく触れた。
相変わらずの心配性だが、それがうれしい。
アナベルはうっとり微笑みながらその背に腕を回して抱きしめる。甘やかな口づけに陶然と浸った。
読んでほしいなあ、漫画版コミックス。
ということで、自分の好きなところを書いてみる。
【1話】
婚約破棄を突きつけるブルーノから始まる。
漫画の良さが発揮されるインパクトを、ということで、小説書籍とは物語の流れを入れ替えておりまして……そのシーンから始まってアナベルの回想となり、ふたりの険悪な関係が描かれ、父親が亡くなると続くのですが……。
これがわかりやすくて良い。
自分には出来ないことだったのでタナ先生と編集様には頭が下がるばかりです。
私はブルーノに罵られるも俯かず、呆れて明後日の方向を向いているアナベルの絵が好きです。その表情に彼女の精神的な強さを感じます。アナベルだなあ、としみじみ思うわけです。
そして、魔法を使う姿がかっこいい。
字で読むだけよりも、漫画の絵として見る魔法使いは、とにかくわくわくする。
呪いの腕輪が外れないアナベルが、ブルーノに問い質すため、その背後に現われる絵が体勢表情共に、抜群に好きです!
ブルーノを懲らしめつつ『拷問……』と言っているシーン。
目が据わっているアナベルを、ぜひとも見ていただきたい。そして踏んづけるところも……。
すごく動きがあって、華麗。自分の書いた話にはもったいない漫画だといつも思っています。
丁寧に描いていただいているので読んでほしいなあ、と思う気持ちが消せなくて……ついつい毎度お願いしてしまいます。
1話の時点でセインも登場するように変更しているのですが……彼と共に居るきゅきゅのかわいらしさにめろめろです。
憂いを帯びたセインにくっついているのがすごく良いわけです。見た瞬間「わあ!」と自然に言ってよろこびました(笑)
コミックスの詳細は、下記のアドレスから確認して頂ければありがたいです。
(アナベルとセインが飾る表紙の絵が見られます。パステル調でキラキラしています)
https://arianrose.jp/comic/?published_id=3960
(↑ 紙版・電子書籍版どちらもございます。お好みのほうで、どうかよろしくお願いします!)
https://arianrose.jp/comic/?published_id=3802
(↑ こちらは電子書籍配信の、1話単位となる分冊版です)
私としてはぜひとも全話読んでいただきたい、と思いますが……。
いきなり一冊分はちょっと……と思われました方には、こちらがいいのではないでしょうか。無料お試し読みとかもあったりしますので……よろしくです。




