137.月下の告白
外に出ると、中天に満月が輝いていた。
清らかな月明りに照らされたセインの姿を見ていると、アナベルの頭の奥で、今日まで外れなかった魔法の鍵が外れた。
「セインのお屋敷に帰る前に、先日お連れくださった丘に行きたいのです。構いませんか?」
「……いいよ」
唐突な願いと思ったのだろう。セインは少し不思議そうな顔をするものの、笑顔で頷いてくれた。
彼は、牢獄の外で待っていたジャンにブルーノの死を伝える。後の手配を任せると、いまだその肩に乗っているきゅきゅが、あくび交じりにこちらを見た。
【私は先に帰るわ。疲れたから眠いの】
「私の魂をこの世に留めるために、無理してくれたのね。ごめんなさい、ありがとう」
礼を言うのが遅くなったことを謝罪しながら、アナベルはきゅきゅに疲れが癒える魔法をかけた。
【ありがとうだけでいいわ。セインのお嫁様が元気でいてくれるのが、何よりだもの。魔法のおかげで元気になったけど、私はとっても性根の良い聖獣様だから、ここは邪魔をせずに帰るわ】
「邪魔なんて、とんでもない……」
まったく思ってもないことを言われ、アナベルは首を振る。
一緒に行きましょうと誘おうとするも、きゅきゅはジャンに意識を向けていた。
【このまま肩に乗せて、私の寝床まで運んでくれるわよね?】
きゅきゅはジャンに可愛らしく片目を瞑ってみせる。
随分とその肩が気に入っている様子にアナベルは驚いた。セインも、同じ感想を抱いているようだった。
「すべて、聖獣様の仰せのままに。……じゃあなお二人さん、先に帰って手配を済ませておく」
きゅきゅに指名されたジャンは相好を崩し、アナベルたちにも朗らかに答えた。
同行を誘っても承諾は得られそうにないきゅきゅの姿に、無理強いするわけにはいかない。アナベルはセインの手を取り、そのまま丘へと移動魔法を使った。
「……きっと、今宵のような月の夜に、古の王と王妃は出逢ったのだろうね。銀に輝く月の光を纏う君は、いつも以上に美しい」
過去の遺物たる巨石に見守られた静謐な場所。
二人きりのそこで、セインは恍惚とした様子でアナベルを見つめて抱き寄せた。
「褒めすぎるのはなしで……」
しっかりとその胸元に抱きしめられたアナベルは、どぎまぎして一気に顔が熱くなった。
「褒めすぎてなどいないよ」
笑顔のセインに頬にキスされる。
その言葉を本気で言っているとわかるから、アナベルは照れが高じてなんだか乾いた笑みが浮かぶ。
褒められるのをきらいとは言わない。だが、なんであろうとも過剰は駄目だとも思うのだ。
でも、この場に来たのはそれに関して話し合うためではない。
アナベルはひとつ瞬きすると、この場で何より伝えたい気持ちのほうを優先した。
「先ほどセインがブルーノに語りかけた言葉。私にも同じ想いがあると知ったのです」
古の王妃が愛する王に出逢ったとされる、二人の始まりの丘。
絶対に離れないと決めた自分たちのこれからを始めるのに、アナベルの脳裏に浮かんだのはこの場所だった。
「アナベル?」
軽く首を傾げて目を瞬いたセインに、アナベルはにっこりと笑いかけた。
「私も、もし父の言いつけ通りブルーノと結婚していたとしても、あなたに逢えば焦がれたと思います。不貞者と誰に罵られ蔑まれようとも、あなたの手を取りこうして抱きしめてもらうことを何より望んだと思います。その気持ちをここでお伝えしたかったのです」
自分だけをじっと見ているセインの黄金の瞳。怖いくらいに美しいそれに見惚れながら、己の心を正直に言葉とした。
「アナベル! 私のただ一人の人」
さらに強い力で抱きしめられるのがうれしい。
「私のただ一人の人もセインです。愛しています」
万感の想いを込めた告白と同時に、祝福魔法の鍵が完全に外れた。
感激の笑みを浮かべたセインと幸せな口づけを交わしながら、アナベルは全身でそれを感じる。
でも、魔法をかけるのは生涯一度の日に……。
アナベルはセインに微笑みながら心の内で密かに決めた。
「君を失わずに済んだばかりか、尊い想いまで貰えるとは……。今日まで生きてきてよかった」
「それほどに喜ばれると、嬉しいのですが落ち着きません。どこまでも飛び跳ねたくなりますので、お言葉は少し抑え気味でお願いしたいです」
自分の告白を、生きていてよかったなどと答えられては、うれしすぎて心が際限なく舞い上がってしまう。本気で天まで飛んでしまいたくなるではないか……。
気持ちの高ぶりを押さえられずにはにかむアナベルに、セインがどこか面白そうに笑った。
「飛び跳ねる君もとても可愛らしいだろうね。見てみたいから、これからも嬉しく思ってもらえる言葉を贈れるよう、励むとするよ」
「……これは、本気で何を言っても無駄だわ」
自分だけを見ている綺麗すぎる笑顔はなんだか目の毒で、アナベルは慄いて身体が仰け反りそうだ。
「何が無駄なのだ?」
「いえ、別に……。でも、ぽよふわさんのほうが……」
思わず視線を逸らせてしまう。
やはり、ぽよふわさんのほうが緊張は緩和されるかもしれない。
相手を病気にすることなく、ふくよかな体形に変化させる魔法。そういう魔法もアナベルは使える……。
「駄目よ、駄目。それは絶対駄目っ!」
誘惑されかけるも、慌てて首を振って打ち消す。
こちらの勝手な都合で魔法をかけて再び太らせるなど、酷いおこないだ。いくら痩せた姿は見ていて落ち着かないからと、それは愛する人にすることではない。
それに、ぽよんとしたまあるい姿に安心感は覚えても、愛する人と自覚した今、どちらの姿であっても照れてしまうのではないだろうか……。
「どうしたのだ、アナベル。何か困ったことでも起きたのかい?」
一人ぐるぐる葛藤していると、頬に触れた手にやんわりと撫でられる。自分のほうを見るようにと優しく促すそれに、アナベルは苦笑して従った。
「困ること……あ! そういえば……陛下の治療の後、私のことでなにか責められたのではありませんか?」
半ば強引に話題を変えたアナベルに、セインはきょとんとした。
「何の話だい?」
「陛下に、私の態度について文句を言われていたのではありませんか? 非礼の謝罪は私がすべきことです。セインに負ってもらうなどとんでもないことです」
王には怒っている様子がまったくなかった。それで謝罪のタイミングが掴めなかったのだ。でも、無礼があったのならば有耶無耶にしてはならない。
「陛下は、君のまっすぐな心根と素晴らしい魔法に感謝するとおっしゃってくださったのだよ」
セインは巨石に腰かけ、アナベルをその膝の上にと促した。
遠慮して隣に腰かけようとするも、彼は握ったアナベルの手を少し強く引っ張った。
「で、ですから……公爵様の膝に座る一般市民などいない訳でして……」
「一般市民はいなくとも、私の婚約者で恋人でもある君は座って当然の人間だよ」
困って逃げようとしても逃がしてもらえない。
結局、アナベルは引っ張られるまま膝の上に座ってしまった。
「恋人……」
その言葉は婚約者と言われるよりも、不思議とアナベルの心を心地よくくすぐった。
ドキドキして楽しい。が、座り心地が少し、いや、かなり違う……。
「陛下の不興を買った覚えはないから、君が心配することは何もないよ。目覚めた君にも優しくお言葉をくださっただろう?」
アナベルの不安を解消し、安心させるように微笑むセインに、嘘を吐いている様子は微塵も見受けられなかった。




