129.目覚め
「執着がないと言うそなたの言葉……それは偽りなく、アルフレッドの魂の声だな」
暗鬱で、深い絶望の中にいるのがわかる声が、アナベルの耳に届いた。
「王太后様……」
振り返って視線の交わった王太后は 「これでは駄目……」 と弱気な言葉を口にしたアナベルに、怒りを見せてはいなかった。
「ベリルの普通の民であったなら、とうの昔に死んでいる。それが、王族というだけで生かされる。世界中の高度な治療が受けられることを喜ぶべきなのだろうが、正直、儘ならぬ身体が憎い。私の治療分、生活の苦しい民に回してやれ……と、侍従長に語るアルフレッドの声を、何度も聞いてきた……」
「…………」
「聞かぬふりをしてきたが、アルフレッドが生きることに喜びを抱いていないのはわかっていた。虚弱な身体に疲れ果て、死にたがっているのも……。それでも、死んでもいいなどと、どこの親が口にするものか!」
悲痛な面持ちの王太后の空色の瞳には、涙があふれていた。
「そなたは、五百年ぶりにベリルに誕生した奇跡の使い手なのだろう? なんでもする。なんでもそなたのいいようにするから、助けてくれ。本人に執着がないと、諦めるな。アルフレッドを生かしてくれっ!」
王太后がアナベルの足元に縋りつくように懇願した。
その必死の姿にアナベルは、王位への執着よりも、無償の母の愛を強く感じた。
どのような事情があって王太后とアルフレッド王が親子関係となっているのか。それはわからない。でも、この二人は確かに親子なのだ。
その事実がなんだかとても嬉しくて、さらなる気合が全身に漲る。
「もちろんです、諦めたりなどしません。私は約束破りとなるつもりはありません。陛下に、是非とも生きる喜びを知っていただきます。『全属性の最上最強の力よ、我が許に集え!』」
全属性使用の最上級魔法の重ねがけ。
すべての属性の最上最強の力の光が、重なり合ってアナベルの全身を取り巻き、虹色に輝く。
アナベルは絶大な光の力を凝縮する。
己の胸元に、まるで太陽の光を放つ玉を抱いた。
『陛下。本来の寿命でないのに、私の見ている前で死ぬなど認めません。あなたがここで死ねば、残されたセインが不幸になる。そんなことは許さない。生きることに執着がないからと、私の全力を振り切って死ねると思うな。魔法使いを舐めるな~~~~っ!』
本人が拒否してもそんなものはお構いなしだ。
アナベルは思い切り王の身体に光の玉を押し込む。自分の声は届かないとわかっていても『耳を塞がずセインの呼びかけを聞け!』と命令した。
生命力を満たし、さらには活性化も促す魔法。
最強治癒魔法の力を、死にたがりの王の魂にありったけ注ぎ込む。
「……あ! 渋々だけど、こちらを向いたわ」
とても面倒くさそうではあった。
それでも、生命力の満ちた王の魂が、セインの呼びかけに応えて生者の世界のほうを見た。
アナベルは確かにそれを掴んだ。
「陛下が、私に……」
セインも感激に声を震わせている。
彼が喜びの眼差しでこちらを見たと同時に、アナベルは両手を王にかざした。
『生きることを皆に望まれし、高貴なる人よ。死の闇はさよ~なら。光を手に、目・覚・め・よ~~っ!』
黄金の光が王の全身を包み込む。
永遠のようで、一瞬の時間……。
「…………宰相? 今日は母上の誕生を祝う日ではなかったか。どうしてここにいる……母上も、なぜ?」
ゆっくりと目蓋を開けた王は、水晶のように美しい紫の瞳で周囲を見渡すと、困惑気味に瞬きした。
「お。おお……アルフレッド! よくぞ目覚めてくれた、アルフレッドよかった!」
セインが返答するより先に、王太后が強引に押しのけて王に飛びついていた。
「はあ。終わったああ~~~」
アナベルは喜びの光景を眺めながら大きく息を吐く。
ここまで魔法力が切れて脱力するのは初めてだった。これまで、限界を超えて眠くなっていたのは、まだ真の限界ではなかったのだと知る。
今の自分は立っているだけ……何もできない。
「アナベル。ありがとう、よくやってくれた! でも君はすぐに休まなければ。今にも死んでしまいそうに見える。私は気が気でないよ」
慌てた様子のセインが、隣から抱き上げてくれる。自分の足で立たなくてよくなり、アナベルはほっとして頬が緩んだ。
「いくらなんでも死ぬことはありません。しばらく眠れば元通り元気になります。陛下はもう大丈夫です。具合の悪いところはまったくありません。どこまでだって自由に走れます。滅多なことでは熱が出ることもないでしょう。セインと同じくとっても健康です」
「それは真か! 意識を戻しただけではないのか?」
王太后にも聞こえていたのか、勢いよくこちらを向いた。
顔中紅潮させて期待している姿に、アナベルは悪戯っぽく微笑む。
「私のいいようにするとまで言っていただいているのに、意識を戻すだけなど、そのような中途半端な治療で済ませたりなどしません。王太后様。私の望みは一つ……」
「うっ! な、なんでも好きに申すがよい」
いやそうではあったが、王太后は自身の言葉を知らぬ存ぜぬ、記憶にないとは言わなかった。
「どうか、この先はセインを苛めないでください。陛下の第一の臣……ベリルを守るよき宰相であると、信じてください」
「アナベル……」
セインが声を震わせてアナベルの名を呼んだ。
ふふ、と笑ってその顔を見つめると、王太后のほうにも笑顔を向ける。
「王太后様。もしもセインが悪いことをしたなら、この私が全力をもってお仕置きします。あのような腕輪よりも、上級白黒魔法使いたる私のお仕置きのほうが、何倍も効果がありますとも」
「うっ! そ、それは、怖そうだね……」
アナベルの約束にセインがたじろぐ。
彼の本気で怯えている様子に、王太后は納得してくれたようで……気配が覿面に柔らかくなったのが伝わってきた。
「……本当に、公爵が恐れるほどの仕置きをしてくれるのか?」
「はい、王太后様。私は悪にも魔物にも従いません」
しっかりと頷き、アナベルは再びセインをその目に映した。
「セイン。私は王位簒奪を企む悪のマーヴェリット公爵ではなく、陛下をお助けしてベリルに幸せをたくさん運んでくださるあなた様に求婚されたから、お嫁に行くのです。それでよろしいでしょうか?」
「もちろんだ、アナベル。君は私の心を映す鏡となってくれるのだね。君の笑顔がいつもそばにあるように、生きると約束するよ」
「嬉しいです」
心の籠った返事に、幸せすぎて顔が緩む。
でも、もう意識が飛びそうだ……。早く、眠りたい。
「母上。苛めはよくないことですよ。私は今、その娘の言うとおりに呼吸がとても楽で、胸の痛みがないのです。身体の軽さは言葉で言えるものではなく……これが、健康であるということですか……。生まれてきて、これほど嬉しいと思ったことはありません」
王の柔らかな声が寝所に響く。
皆が一斉にそちらに注目すると、誰の助けもなく寝台に起き上がり、とても血色の良い顔で穏やかに微笑んでいた。
「アルフレッド……」
「望むとおりの褒美を与えてやってください。……娘よ。私からも、なんなりと望みの品を取らせるぞ」
最後の言葉は自分に向けられていると感じたが、魔法力が完全に切れたアナベルは、とにかく眠かった。
「私の望みはセインのお部屋で眠ること……。褒美は私専用のクッションをひとり……」
「それでいいのかい? ではお望みのままに」
とても機嫌のよいセインの声を耳に、アナベルは半ば眠りながら頷いた。
「クッションをひとり、とは? それにしても随分と眠そうだな。宰相の屋敷に戻るまで我慢せず、すぐに横になったほうがよいのではないか。ここで眠るか?」
ぽん、と自身の隣を気軽に叩いた王に、寝室中が騒然となった。




