128.死に引かれる魂
黄泉の入り口に留まる王の魂に、何の動きもない。
本人が生きることを放棄しようとしているのを感じ、アナベルの目が険しくなった。
「なんだと? 目覚めを約束すると言ったではないか!」
王太后から厳しい声が飛んでくる。
「ここで打つ手なしと諦めたりなどしません。……セイン。全身全霊で、陛下の魂にこちらの世界に戻るようにと呼びかけてください。あなた様の魂の力を貸してください」
アナベルは王太后に一言返答すると、セインの右手を取った。
「喜んで」
躊躇いなく微笑んでアナベルに応えてくれるセインに感謝し、その手を王の胸元へと置いた。
ところが、魔法を使用しかけたところで背後から肩を掴まれる。
「なぜマーヴェリット公爵なのだ? アルフレッドの意識を戻す呼びかけであるなら、必要なのは私や妃たちではないのか。妃は三人とも揃っておるし、何なら王宮魔法使いでもよいのではないか? そなたは呼びかけぬのか?」
王太后が不満と不安の感情が入り混じる目で、アナベルを凝視していた。
「私は陛下の魂を見ることはできます。でもそれだけなのです。響き合うもののない見知らぬ他人の私では、いくら呼びかけたところで陛下のお心に触れることは敵わず、こちらを向いてくださることはないでしょう。……黄泉の入り口まで行ってしまっている魂を呼び戻すためには、陛下と親しく魂の響き合う人間が必要なのです」
「親しい人間と言うなら、私が一番……」
食い下がってくる王太后に、アナベルは小さく首を横に振った。
「申し訳ございません。陛下の魂は死の気配に捕らわれてもいないのに、先日治療した瀕死の友人よりも、黄泉に強く引かれ過ぎています。それをこちらの現世に呼び戻すには、ただ親族というだけでは難しいのです。陛下と親しく、しかも、その魂をこちらに引っ張る力のある魂の持ち主でなければならないのです。私の見るところ、この場でその条件を備えるのはセインだけなのです」
近しい血筋に加え、過去に一度、王を死の淵から救ったこともある強く輝く光属性の魂。
それを持つセイン以上の適任者などいない。
王太后の王に対する愛情に嘘はないと思う。
それでも、邪悪な腕輪に支配されるほど精神が不安定で、その上、魂に王の魂と重なる部分をまったく持たない王太后では、今の王の魂をこちらの世界に引っ張ることはできない。
「そなたはそう言うが、公爵は本当に呼びかけてくれるのか? 黄泉の国に引かれているアルフレッドに死を望んだなら、どうなるのだ?」
「素直に聞き入れるでしょう。陛下の命の灯はその瞬間消えます」
心配そうに問うてくる王太后に、アナベルは何も隠さず正直に答えた。
寝所中が揺れるほどの、ざわめきが立ち起こる。
「そ、そんなもの認められるわけがない! 他の人間を使え! 強き魂とやらが必要なら、新長官でよいではないか。そなたと同じ上級魔法使いだ。条件に合うのではないか?」
「条件に合う人間はセイン以外に存在しません。ここで王太后様がご許可を下さらなければ、陛下の魂をこちらの世界には引っ張れない。私がどんな魔法をかけようと陛下は亡くなられます!」
王太后の強い拒絶を、アナベルは間髪入れず固く否定した。
「…………」
その姿からまったく目を逸らさないアナベルに、王太后は無言だった。
「では王太后様。陛下に触れて呼びかけてください。他の方も、我はと思う方はご遠慮なくおこなってください。その中に陛下の魂を感じられた方がいらしたなら、セインではなくそちらの方に目覚めの呼びかけをお願いします」
納得しがたい顔をしてアナベルをひたすら睨む王太后の前にて、無視してセインと二人で魔法を使うわけにはいかないだろうと、心の内で肩を竦めて提案した。
王太后が真っ先に王の右手を握る。
ソフィア妃をはじめとする、おそらく二妃と三妃であろう美しい女性たちも必死に、祈るように呼びかける。
新長官や王宮魔法使いたちも、医官や近衛たちも……その他、部屋にいるすべての人員が、王の目覚めを願って一心に呼びかけた。
「アルフレッドの魂とはなんだ? わからぬ……」
「私もですわ。伯母上さま……」
寂しげな声が、王太后とソフィア妃からあがる。
それは他の者たちも同様だった。新長官でさえ、何も掴めないと辛そうに首を横に振っていた。
「闇の中に……黄金の、小さな光が見える……」
呟くようなセインの声は、落胆の感情が広がる寝所によく響いた。アナベルはその言葉に瞳が輝く。会心の笑みを浮かべた。
「その光こそ、私が見ている陛下の魂です。セインと同じ……光属性のとても清らかな魂です。お二人は共鳴しているのです。だからセインの呼びかけこそが、陛下に届く唯一の希望となりえるのです」
まさか光属性の人間に、続けて二人も出会うことになるとは思わなかった。
でも、病弱であろうとベリルの民を思い、悪辣な貴族たちを許さず政をおこなう清廉な王に、光属性の魂はこの上なく相応しい。
「共鳴……アルフレッドは、公爵とだけ……」
なんだかひどく落ち込み始めた王太后に、これはまずいとアナベルは焦った。
「陛下の魂がこちらの世界に向かって戻り始めたならば、王太后様の呼びかけも、お妃様方のお声も届きます。必ず陛下のお力となりますから! 決して、セインだけが陛下のお役に立つと言っているわけではないのです!」
懸命に言い募る。
ここで拗ねて、治療の妨げとなるおかしな命令を近衛たちに出されてはたまらない。
「…………」
「陛下と魂が響き合うセインは、絶対に陛下の死を望むことはありません。陛下は彼の呼びかけで目覚めます。彼の王家に対する忠誠が本物であることを、王太后様は必ず知ることができます。魔物などではないとどうか信じて……陛下の目覚めを望まれるなら信じてください!」
腕輪は放棄してくれたが、長年政敵としているのだ。王太后のセインを憎む気持ちは、そう容易く晴れるものではないだろう。
それでも今、アナベルにできるのは、王太后の瞳から目を逸らさずに、こうして言葉にしてひたすらに願うことだけだった。
「……私は黙って目覚めを祈ることにする。そなたの思う通りにするがよい」
やがて、願いが通じたようで……拗ねた様子は変わらぬものの、王太后が少し下がった。妃たちも同じようにしたので、寝台の傍に空間ができた。
アナベルは王太后の承諾に安堵し、再びセインと並んで床に膝をつく。王の胸元に互いの手を重ねて添えた。
「セイン。今、目にしている光に黄泉ではなく、この世で未来を見ることを望むと強く伝えてください」
「わかった」
返事と共にセインが固く目蓋を閉じた。
一心に祈りを捧げる姿を見て、アナベルも一呼吸して目を閉じる。
『全属性よ、我が許に集え! 高貴なる魂に力を満たせ。微かな命の灯を、大きな輝きとせよ。ベリルの王者よ、死の手に身を委ねるな。現実を生きる喜びを思い出せ! 永遠の眠りはまだ早い。眠るな。眠るな。共鳴者セインの声を、聞・く・の・よ~~~~っ!』
取り繕うのをやめ、いつも通りに呪文を唱えた。
「やはり、あんまりな呪文だと思うが……」
王太后が呆然とした様子でぼそりと呟くも、アナベルはその声を無視した。慣れない呪文を使うと、変に緊張して魔法が使いにくいのだ。
『死の闇に沈まず光を……セインという光を見てください陛下。どうか、陛下……見~る。見~る』
ところが、どれほど魔法をかけても王の生命力は満ちない。
まったく生者の世界を見ようとしないことに気が焦り、アナベルの額に汗が伝った。
存在を希薄にし、今にも黄泉の国へと旅立とうとしているのに、アナベルは首を横に振る。苦渋を噛みしめて立ち上がった。
「身体を治療してもこれでは駄目。陛下は元々この世に未練がないお人なのか……魂に、生への執着が感じられない」
死にたくない、助けてくれ! と叫ばれたほうがずっとましだ。
そのほうが魔法のかかりが圧倒的に良い。すぐにアナベルの魔法を受け入れてくれるのだ。プリシラもそうだった。
でも王は……セインに玉座を託して死んでも構わないと本気で思っている。
セインもそれを感じ取っているのだろう。
固く引き結ばれた口元がとても辛そうで、苦しい気持ちでいるのがよく分かった。




