124.緊急事態
「なんということ……医官長は、魔法使いの長官は何をしておる!」
王太后が激しく動揺し、甲高い声で侍従を怒鳴りつけた。
王の許へと足早に会場を後にしようとする。その面前に、ラッセル侯爵が悠々とやって来た。
「すぐに飛竜の生き胆の毒見をおこない、効力を見て陛下に召し上がっていただくべきです。ベリルの主が危篤状態など、何たる不幸。この災いは一刻も早く取り除くべきです!」
力強く主張するラッセル侯爵に、王太后の瞳が揺れる。王を助けるためなら何でもするべきではないか、とばかりにこちらを見た。
セインにきゅきゅを差し出せ、と今にも言い出しそうなその人の前に、アナベルは急いで進み出た。
「私に、陛下へ魔法をかけさせてください!」
予定と違う事態となってしまったが、無言でいれば再びきゅきゅの危機が訪れる。それは看過できなかった。
「そなたに?」
「白黒両方使える上級魔法使いの、全力を持ってあたります。最高の治癒魔法をお目にかけるとお約束します!」
アナベルは誠意を込めて誓う。
しかし、セインの肩にいるきゅきゅから、目の前に立ったアナベルに視線を移した王太后は、嫌悪を剥き出しにしていた。
「マーヴェリット公爵の妻となる魔法使いなど信用できない。陛下の意識がないのをいいことに、死の魔法を使われては堪らぬ!」
「そのような真似は……」
「黙れ、聞きとうない!」
最後は怒鳴りつけられて、アナベルは奥歯を噛みしめる。
でも、きゅきゅを差し出すのだけは何があってもいやだ。
「伯母上さま。私に希望を与えてくれた彼女は、信用に足る者です。マーヴェリット公爵の王位を望む魔法使いであるなら、私の治療などしません。私が王子を産まぬほうが、公爵にとって有利と判断するでしょう」
「ソフィア……そなた、なにを言っておる?」
毅然として進み出てきたソフィア妃に、王太后が怪訝な顔をする。
「医官の診察を受けました。私の身体にはどこにも異常がなく、子が産めるそうです。ですから、私は陛下のお子をこの手に抱くことを諦めたくありません。私の身体に若さと健康を取り戻してくれた、素晴らしい魔法使いである彼女に、陛下の治療をお任せいただきたく存じます。陛下が亡くなるなど、受け入れられません!」
王太后へ切々と訴えるソフィア妃に、招待客すべての視線が集まる。その視線は、続けてアナベルへ……。
異様な熱を感じる視線を向けられて、アナベルは魔法屋に詰め掛けてきた令嬢たちを思い出す。
体内癒しの注文が山と来そうで、正直にぞっとした。
ソフィア妃は王太后に懸命に執り成してくれているだけだとわかっていても、顔が引き攣りそうになる。
「なんだか、若返っているように見えたが……そういうことであったのか……」
王太后が呟き、こちらを見た。若返りというのが魅力的に心をくすぐったのだろうか。アナベルに対する警戒心が少し薄れていると感じた。
「伯母上さま。なにとぞ……」
ソフィア妃が今にも泣きそうな目で懇願する。王太后はその眼差しに負け、ついに頷いた。
「……治療の場に王宮魔法使いの精鋭を配せ。もし、少しでもおかしな魔法を使用したなら、その娘もマーヴェリット公爵も即刻抹殺せよ。それでもよいなら治療を許可する」
重々しく響いた王太后の声に、大広間がざわざと波打った。
「それならば、まあ……よろしいのではありませんか」
ラッセル侯爵とその支持者たちが満足そうに笑う。
「抹殺など、それはあまりに無体な……」
一方、ジャンをはじめとするセインの側に立つ者たちは、そんなことは受け入れられないと拒否の声をあげようとした。
「それでよろしいのでしたら、彼女に治療をお任せください」
その彼らを制し、誰の声よりもよく通る声を発したのはセインだった。
自身に対する抹殺指示にまったく臆することなく、ゆったりと微笑みさえ浮かべている。泰然たる態度にアナベルは我が身への絶対の信頼を感じて、胸の奥がとても熱くなった。
「ほう。よく言った! 皆も確かに聞いたな。陛下のご容態が安定しない場合、マーヴェリット公爵は生きて王宮の外には出られない。本人が承諾しておるのだ。マーヴェリットの一族の者どもよ。どのような結果であれ、王家を恨んで盾突くでないぞ」
セインから言質が取れたので、悪くないと思っているのだろう。王太后がどこか嬉しそうに宣言し、アナベルに治療許可を与えた。
誕生祝賀会は急遽中止となる。
アナベルは侍従に先導され、急いでその場を離れた。もちろんセインもジャンも、ソフィア妃や王太后も一緒である。
「アナベル。本当に大丈夫か……」
「ジャン。余計なことを言うな」
ジャンが耳元で不安げに問うてくる。それは微かな声だったが、セインには聞こえていた。彼は咎めるようにジャンを睨んだ。
「私の命に代えても、セインの抹殺だけはさせません。必ずお守りします。それだけは信じてください」
ジャンが大切な主としてセインの身を案じるように、アナベルも、この世で一番大切な人としてセインを守る。こんなところで死なせるつもりなど毛頭ない。
その瞳をまっすぐに見つめるアナベルに、ジャンが満ち足りた顔で頷いた。
「主を敬う目でなくなったな。恋する乙女は誰より強い。よい報告を待っている」
侍従が王の寝所の扉を開けた。
真っ先に王太后とソフィア妃が入室する。続けて侍従に促されたアナベルは、セインと手を取り合って入室した。
◆◆◆
優美な曲線を描く白い家具調度品の置かれた広い寝所で、医官も王宮魔法使いたちも、皆が必死で王の治療にあたっていた。
それでも、絹の寝具に包まれた高貴な麗人は、まるで彫像のように固く目を閉じたまま……。
その目蓋の開く様子はまったく見られない。顔は土気色……呼吸もか細く、とても頼りないものだった。
「アナベル殿! あなたも治療に来てくださったのですか」
王の額に触れて解熱呪文を唱えていた新長官が、アナベルの存在に気づいた。喜びに目を輝かせる。
「その者が少しでもおかしな魔法を使う素振りをみせたら、即殺せ。マーヴェリット公爵も同罪として、生きてこの場より外に出すな。それを条件に陛下の治療を許した。皆、その娘を厳しく見張れ!」
王太后の声が殷々と響き渡る。
場の緊張がさらに増した中、アナベルは手を繋いだままのセインを見る。
「必ず、皆が幸せになる結果を手繰り寄せます」
「ありがとう、頑張っておくれ」
いつもアナベルを案じるばかりのセインが笑顔でくれた言葉は、以前アナベルが望んだものだった。
苦労をかけてすまない、とは言ってほしくないアナベルの気持ちを、セインはきちんと汲んでくれているのだ。
とても嬉しくなるも、少し強くアナベルの手を握ったセインの手は微かに震えていた。
隠そうとしているが隠しきれていない心配そうな眼差しからも、いつも通りに『無理しないでおくれ』と言いたいのだと伝わってくる。
「お任せください」
さらに嬉しい気持ちになったアナベルは、誰よりもセインの喜びと幸福を掴むために、この治療を成し遂げてみせると改めて心に誓った。
「王太后様。陛下に触れてもよろしいでしょうか?」
アナベルはセインと繋いだ手を離し、王太后に願う。
「……否と言っては治療が始まらぬだろうからな。許可する」
王太后は腕を組み、渋々であったが頷いた。
アナベルは新長官の開けてくれた場所に立つ。少し身を屈めるようにして王の額に触れた。
「っ!」
あまりの熱さに目を見張る。
隣にいる新長官が苦しそうに首を横に振った。




