お守りします!
私はまるで夢うつつの中にいるようだった。
リュシアン様の美しさに目を奪われて、ただただその姿を追っていた。
「ガストン・ラメーはバルバラって子に、媚薬のような物として香木を渡したわけよね」
ヴィヴィアンお師匠様がほんのり吐息をついて、バルバラ令嬢の持っていた香木を取り出した。
香木は既に呪いを解いており触れても問題ない。香木らしく甘めの薄いウッド系の香りがしていた。この香木に掛かっていた呪いは、近くに置き続けると死に至るというもので、バルバラ令嬢は香木を王様の入る謁見室のソファーに隠していた。
お客様が座るソファーではなく、王様の座るソファーである。
「そうだろうな。レティシア嬢が聞いたメイド以外にも似たような自慢をしていた」
「犯人はあんたに使わせようとして、けれどそのメイドはそれを王に使おうとした。ってことだったってことかしら」
「さあな……」
バルバラ令嬢は何人かのメイドに、良い物が手に入ったと自慢していた。これで自分はいい男を捕まえて、楽に暮らすことができる。どうやってできるのかと問われれば、そのうち分かるのだと笑んでいたそうだ。
それとは別に、バルバラ令嬢はリュシアン様を何とかして落とそうと躍起になっていたとか。それをガストン・ラメーに知られて、度々言い争っていたことも分かった。
ガストン・ラメーがリュシアン様を羨んだのはその辺りからだろう。
それは意外と最近で、ガストン・ラメーは急速にリュシアン様を妬むようになった。
周囲に悟られることはほとんどなかったが、バルバラ令嬢の前ではリュシアン様をひどく罵っていたそうだ。既にメイドを辞めていた女性からの証言があった。
そうしてバルバラ令嬢に手渡した、呪いの香木。バルバラ令嬢は何の効果があると聞かされていたのか。おそらく彼女が言っていたそのまま、媚薬効果がある香木だったのでは。ということだ。
バルバラ令嬢はそれを好機と思ったのか、リュシアン様には使わず、王様に使おうとした。
「つまり、そのメイドちゃんは、相手になる男は金持ちだったら誰でも良かったんでしょうね。リュシアンより王の方が金持ちなのは確かだもの。香木があれば自分と結ばれる。じゃあ、リュシアンじゃなくて、王にしよう。ってとこ?」
「愚かな……」
バルバラ令嬢は、侵入しただけでそこまでの罪に問われないと思ったかもしれない。媚薬効果のある香木を置いたのを知られればそれなりの罰を受けるだろうが、まさか呪いの道具だとは思わなかっただろう。
そんな短慮で行動に移してしまったら、リュシアン様に捕らえられてしまった。リュシアン様に侵入した言い訳を伝えるわけにはいかないと思ったのか、黙っていた彼女は自分が置いた香木が呪いの道具だと知った。彼女自身も混乱したはずだ。
そうして彼女は牢に入れられて、何者かに殺されてしまった。
「あの男、暗黒の気を取り込みすぎて、まともな受け答えができなくなってるんですもの。体が病むだけじゃなく精神も病んじゃったのよね」
「そんな風にまでなってしまうんですね……」
「きっと、浸りすぎちゃったのね。精神を病む事例はいくつかあるけれど、急激に取り入れたものだから、その症状も早く出たのかもしれないわ。もう少し調べてみないと分からないけれど」
ヴィヴィアンお師匠様の言う通り、ガストン・ラメーはおかしな言動を繰り返していた。
バルバラ令嬢の名を呼んでは、大声で叫んだり気落ちしたように沈み込んだりする。質問に答えることもあればぼんやりとした顔をして、虚空を見つめた。
尋問してまともな答えが返ってくることもあれば、言葉にならない声で答えてくるので、本当にその答えが合っているかも分からない。
ヴィヴィアンお師匠様はガストン・ラメーに入り込んだ暗黒の気を取り除いたが、病んだ心が戻るかどうかは分からないそうだ。
結局、証言は曖昧なまま、リュシアン様を狙った事件は、ガストン・ラメーの逆恨みに寄るものということになったのである。
「バルバラ令嬢はどうして殺されたんでしょう」
「口封じだったのかしらねえ。それとも、本当に使うとは思わなかったのかしら。彼女の手でリュシアンを殺させるって考え方が恐ろしいわ。自分で手を下すんじゃなくて、相手の女性に手を下させるって、なかなか屈折した考え方よね」
私もそう思う。妬みや僻みで直接手を出すのではなく、リュシアン様を好きだというバルバラ令嬢にリュシアン様を殺させようとした。歪んだ性格どころではない。
「警備騎士は牢に入れたんでしょ? 隊長だもの。その子を殺して、リュシアンを恨むっていうのも万人が考えることじゃないわ。逆恨みにも程があるでしょう」
ガストン・ラメーはリュシアン様への恨みを呟いている。バルバラ令嬢が側にいるような発言をしながら、やはりいないのだと口にし続けた。
屋敷の調査も終わり、白い花はバルバラ令嬢の肖像画が飾られた部屋に、床を埋め尽くすほどに置かれていたのが見つかった。私の呪い返しで見る彼女を悼むために大量の白い花を集めたのか、死んだのに姿を現す彼女を恐れて集めたのかは分からない。
暗黒の気から守るための白い花を大量に手に入れながら、自らは暗黒の力を手に入れて、体も心も病んでしまった。
「まあ、まあ、お疲れだったわね。レティシアちゃんは、暗黒の気を消す力を活用するために、リュシアンに集まった暗黒の気でも消して、何ができるか試してちょうだいね。私は次の仕事に行ってくるわあ」
「はい、お任せください!」
私は大きく胸を叩いてヴィヴィアンお師匠様を見送る。ヴィヴィアンお師匠様は軽くウインクして、私とリュシアン様を二人にしたまま部屋を出て行った。
二人きりしていただいてありがたいが、最近二人きりだとなぜか私は緊張してしまうのである。ぎこちなくリュシアン様に向いて、ソファーに座り直した。
「あの、リュシアン様、お疲れ様でした。夜通しお仕事されたのですから、私が本日の暗黒の気を取り除くまで、ゆっくりリラックスなさってください!」
ガストン・ラメーの屋敷に行ったりパーティ会場を調べたり、リュシアン様は忙しくされていた。その間時間を取って暗黒の気を消していなかったので、リュシアン様の顔色は悪いままだ。
やっと時間が取れて、私も安堵している。ここは集中して行わなければならない。
「君も、大変だったな。新しい技を学ばせるとか、ヴィヴィが言っていたが」
「次は物を使って暗黒の気を消す技を極めろとのことです。呪いと同じように、例えば石などにその力を封じて、他の人が使えるようにできないかとか、考えられることを試してみようとなりまして」
ヴィヴィアンお師匠様は私の適当な力の使い方が気になるようだ。学ばず行えるのならば、思い付いたことも行えるのではと、宿題をくれたのである。
それが実現できればリュシアン様にお渡しして、暗黒の気を消すこともできるのだ。
私はお役に立てるのだと、意気揚々と実験を繰り返している。
エミールに手伝ってもらい、目下実験中だ。
「毎日このようにしてもらうのは、君に負担になるからな……」
「そんなバカな! 私は毎日こうしてリュシアン様の治療を行えることを、心待ち……ゲホン、私が行えることを行うのは当然のことです!」
ドーンと言ってみたが、リュシアン様が何も言わず立ち上がった私を見守るように見つめているので、へろへろと座り直す。
(お疲れなのだわ! そんな、小動物でも愛でているような目でこちらを見つめるなんて。お疲れすぎて、もう意識が薄れているのでは!?)
逆に居心地が悪くなってくる。リュシアン様はお疲れだ。そうに違いない。
「……王子が気付かなかったら、俺は気付かなかったかもしれない」
「え?」
「君がガストン・ラメーと対峙していることに、もっと早く気付かなければならなかった。上部の警戒を怠ったせいだ」
「そんな、私たちがいたところは見えづらいところでしたし、王子様が気付いたのは私たちの嫌いが勝っていて……」
言いながら落ち込みそうになる。一瞬視線があっただけでカラスがやってきたのだ。フランシス王子様は私とギーを完全に毛嫌いしている。
「私たちは王子様にはもう謁見できませんね。私はリュシアン様の艶姿を堪能してただけなのですけれども、一瞬で見付かってしまいました」
「あんな上からか?」
「がっつり眺められるとなれば、上からの方が!」
「そういえばいつも階上からだな」
「うふふ」
それはもう、上から見た方が良く見えるからである。私は下手な笑いでごまかした。
(怒られないわ。とってもお疲れなのね)
いつもなら真っ赤になって怒られるのに、リュシアン様は私を見つめたまま、お叱りの言葉がない。
(なぜかしら。そんなに見つめられると、緊張が!)
「お、お疲れでしたら、お休みになってください。時間が掛かりますから、リラックスなさって……」
推しの視線が耐えられない。自分から見るのは良いが、推しに見られるのは話が別である。しかも至近距離。私を殺す気なのか。
薄い紫色の宝石のような輝きをした瞳が私を映している。ような気がする。いかんせん直視できない。
「ゆっくりされてください!」
「そうだな……」
「で、では、さっそく」
私はリュシアン様の長い指に触れて、その手を自分の手に乗せる。
少しだけ冷たい、長い指先。剣の鍛錬で硬くなった手のひらが私の肌に触れる。集中しようと思った矢先、なぜかリュシアン様はぴくりと手を動かして、私の手をぎゅっと握った。
「りゅ、リュシアン様?」
「……レティシア嬢、ありがとう」
リュシアン様がかつてないほど弱々しく感謝の言葉を告げた。しかし、どこか決意したような強い意志を持った視線が私を釘付けにする。逸らすことのできない力強さに、私はただ硬直するしかない。
「りゅ、リュシアン様をお守りするのは、私のお役目ですから!!」
食い入るように見られて、その薄紫の瞳に吸い込まれる前に、私は耐えきれないと目を瞑って叫んだ。
シンとした部屋の中、反応のないリュシアン様に、私はそろりと片瞼を上げて様子を見遣る。リュシアン様は自由になっている手で、落ち込むように顔を覆っていた。
「リュシアン様??」
「……。そうだな」
どこから出したのか、いつもと違う、低い唸りのような声でリュシアン様は頷く。
「これからは、暗黒の気を祓ってもらうためにも、しっかり守ってもらおうか」
そう言ったリュシアン様は、口角をぴくぴくさせて、私に強張った微笑みを向けると、私の両肩をぎゅっと握った。
「は、はい。頑張ります!」
(なぜかしら、怒っているような気がするけれど)
リュシアン様は私が集中している間、ずっとその顔で、私の治療を受けたのだ。
後日
その後、リュシアン様は私を見るたびにこりと微笑む。微笑むというか、強張った笑顔というか、つくったようなにこやか笑顔を向けた。
リュシアン様が怒っているのかとアナスタージア様に相談してみたが、自分で考えなさいと放られてしまった。
ギーも似たようなことを私に問う。
「お前、リュシアン様となんかあった?」
「分かりません! よくお話ししてくれるのに、何かおかしいのです! うう、私が何をしたのでしょうか??」
「近いのは、いいんじゃねえのか? 笑ってもらえるんだろ?」
「推しは眺めるものであって、嗜むものではありません!!」
「言ってる意味分かんねえが、怒られてるのはそこで間違いないだろうな」
「どういう意味でしょう……?」
「そのまんまだ、そのまんま。ああ、ほら、言ってる側から」
「レティシア嬢」
私は前からの呼び声にどきりとする。リュシアン様が聖騎士団の執務室から出てきて、私の名を呼びながら近付いてきた。
「ヴィヴィのところに行くのだろう。一緒に行こう」
「は、はい! 今、書類を置いて参ります!」
ささっと持っていた書類を執務室に置いて、ギーの、バーカ。という口パクを見つつ、廊下で待っているリュシアン様の元に行く。
リュシアン様は目を眇めながら私の動きに視線を合わせ、隣についた私に緩やかに笑む。
(何がどうしたのですか!? いつもの鋭い突っ込みは!?)
そんなことを問えば、きっとあのにこやか笑顔を向けてくる気がする。それはとても恐ろしく、この間まで気にせず腕に巻き付きたいとか言っていた自分を懐かしく思うほどだ。
「レティシア嬢?」
「はい、ご一緒します!」
私の背を押しながら促す仕草に、どきまぎしてしまう。その手を何度も握っているのに、差し伸べられれば私の心臓は打ち付けられた。
私はリュシアン様の変化に慣れるのだろうか。
ちらりと見遣ったのは、リュシアン様の凛々しい横顔。どんな角度でも絵になります。
(そうよ。私はリュシアン様をお守りすべく、日々絶えず、努力を続けるのです!)
そう心に誓っていると、リュシアン様がぎろりと睨んできた。
「また、何か余計なことを考えているな?」
「よ、余計なことなど考えておりません!」
「いや、今の顔は余計なことを考えている顔だ」
「ええ、どんな顔ですか!!??」
どんな顔をしていたか。私は表情筋を押さえてみる。それを見て、リュシアン様はにこりと笑顔を向けてきた。あの、迫力のある、有無を言わせぬような笑顔である。
「レティシア嬢は、覚悟を決めておいた方がいいな」
「覚悟? リュシアン様??」
リュシアン様はそう言ったきり、すたすた行ってしまう。
覚悟って一体なんなのだろうか。私の問いかけ虚しく、リュシアン様は固まった笑みを湛えつつ、けれどどこか何かを含んだような微笑を浮かべて私の手を取ると、ゆっくりと歩み始めた。




