ぬいぐるみ
「まさか、レティシアちゃんが襲われるとは思わなかったわ」
ヴィヴィアンお師匠様は事情を知っているため、申し訳なさそうにしながら私の顔をじっと見つめた。
「カラスに引っ掻かれたんですって? 傷はもう残っていないわね」
「リュシアン様に治してもらったので、大丈夫です。ちょっぴり引っ掛かったくらいですし」
「災難だったわね。王子については極秘なのだけれど、それだけ分かりやすく襲われては、あなたではすぐに気付いたでしょう」
「敵認定されていたことが残念です。私がリュシアン様を推しにしてるからでしょうか。王子様の大切なリュシアン様に付きまとうなって」
「ばかねえ。なんでそうなるのよ。レティシアちゃんの顔を覚えられる事件があったからでしょう」
「あ、なるほどです。じゃあ、ギーも敵認定ですね」
「そうでしょうね。あなたたち二人は王子の前に出ない方がいいわ。すぐに攻撃されるわよ」
「とほほですね……」
フランシス王子様のご機嫌を損ねたために襲われた私は、リュシアン様に傷を治してもらった後、ヴィヴィアンお師匠様のところへ来ていた。
別のお仕事で忙しくしていたお師匠様は、フランシス王子様暴走の話を聞いて急いで王子様の元へ飛んで行ったそうだ。
エミールと同じく、暗黒の気を生成する能力のある者。それどころかその力のレベルが高く、暗黒の気に体を蝕まれることなく、力として使うことができた。そのフランシス王子様の力をヴィヴィアンお師匠様は抑えるために、暗黒の気を消すことでその力が使えないようにしている。
それでも数日持たないと言うのだから、恐るべき能力だ。
フランシス王子様はまだ善悪の理解が浅い幼い子供だ。優しくしてくれる人やおいしいものをくれる人に懐いて、自分の楽しみを奪う人を嫌がるのは当たり前のことだった。
「王子はね、ぬいぐるみ遊びが好きなのよ。動物のぬいぐるみをいくつも並べて、それでひとり遊びをするんですって」
それを聞いている分には微笑ましいのだが、内実を知ると寒気がするのは私だけだろうか。
「動物が、本物ってことですか」
「そういうことよ」
ぬいぐるみを使って障害物をまたいだり、走らせたり、物陰に隠れたりと、動かして遊んでいるのだが、その実、そのぬいぐるみを使い動物を操って、外の景色を見ているのだ。私を襲ったカラスたち、私が見た犬や、他の小動物。それらと一緒に遊んでいるのである。
「やけにぬいぐるみで遊ぶことが多いということだったけれど、そりゃ、外の世界が見られるのよ。楽しくてしょうがないでしょうね」
暗黒の力を持つ者は動物を使役のように操ることもできるし、動物の視線を得て周囲の景色を見ることもできるそうだ。犬や鳥になり、外を駆け回ったり飛んだりすることができるのならば、狭い世界しかない子供にとってどれだけ刺激的なことだろうか。
「レティシアちゃんが見た犬は、王子が犬の体を使い城を見ていた犬だったわけよ。そして下水にいた小動物たちを操って、近寄ってくるあなたたちを襲ったんだわ。先に手を出したのはあなたたちだったんじゃないの?」
「あの時は……、確かギーが、暗闇の中が見えるように光を投げて、それから犬が襲ってきたんだと思います」
「それが原因ね。王子があなたたちに怒りを持った。それで動物を操り、あなたたちを襲ったのよ」
そこで襲うという意識を持ったことが特に危険なのだと、ヴィヴィアンお師匠様はため息混じりだ。
「動物を操り、攻撃しろという命令を出したら、それらが攻撃に転じるのよ。あの死体の数を見る限り、かなり多かったでしょう。操ると言ってもあんなに操るなんてできないのよ。しかも、王子はまだ五歳。天才どころの話じゃないわ」
「お師匠様もそんな感じだったんですか?」
「私は攻撃をさせるよりも、屋敷に集めちゃって、大騒ぎになったのよねえ。だから早くその能力に気付かれたみたいで」
「何を集めちゃったんです?」
「え、聞きたい?」
ヴィヴィアンお師匠様はちろりと横目で見遣る。
何を集めたのか、庭園で乳母に抱かれて散歩をしていた時に、後ろから小動物の大群が付いてきたそうだ。
乳母は恐怖に腰を抜かし、大騒ぎになったとか。
「襲ってくるでもなく、ただずっと付いてきたらしいんだけれど、乳母が怖さに走り始めたら、一緒に走って付いてきたらしいのよね。それで腰抜かしちゃって、腰抜かしたら、そりゃ、乗るわよ。だって乳母は抱っこしてくれるでしょう?」
可哀想だわあ。なんて、人ごとのように言って、ヴィヴィアンお師匠様は笑い話にする。
それってかなり怖いのではないだろうか。子犬がたくさん集まってくるならまだしも、成犬が集まって走って付いてくるのも結構恐ろしい。それがもしも、有害動物だとしたら。
大群が押し寄せて座り込んだ自分に乗っかられたら、泣くどころの話ではない気がする。
「動物を操るのは難しいとされているけれど、そういうことを簡単にできてしまう者もいるってことよ。子供の頃は好奇心ばかりで、善悪など考えないから、一番危ない時期なのよね」
だから、フランシス王子様については簡単な話ではないのである。私とギーは王子様に気付けばすぐその場を去ることを命じられた。ギーにもこの説明はされる。ギーが気を付けなければ防げない可能性もあるからだ。
フランシス王子様の力を抑えるための道具ができるまでは、王子様が現れる公の場への出席も不可となった。私は特に出席する予定はないが、ギーは聖騎士団の団員として胸を張って出席できる場を奪われたことになるため、ショックだろう。
「あれ、どうしたんですか?」
ギーが鍛錬から一人遅れて帰ってくると、抜け殻のようになっていた。
「今月末にある感謝祭のパーティで聖騎士団は会場を警備するのだけれど、ギーは外回りになったのよ。それで落ち込んでいるの」
「あらー」
早速障害が起きたか、聖騎士団として誇れる場の一つである感謝祭のパーティに参加できなくなったようだ。
メイドの時は雑用で裏方として大忙しな日だったが、聖騎士団は入団した聖騎士をお披露目する最初の場となっており、王族を挟むように待機する姿を見るのは圧巻だとか。
(私もこっそり見に行こうとしたけれど、私のようなメイドの立場だと入られなかったのよね)
リュシアン様をじっくり眺められる場とあって、パーティには興味はないが、覗きには行きたいと常々思っていたお祭りである。
ギーはがっかりが強すぎて、白目を剥いたようになっている。やはり聖騎士団という誇れる立場の一員になったので、参加したかったのだろう。
「女性にも注目される場だし、ご両親も胸を張って自慢できる場になるから、外回りとなると何か悪事でも働いたように見えるのよ」
アナスタージア様がこっそり耳打ちしてくれる。なるほど、確かに皆がパーティの警備を行うのに、ギーだけが外回りでは、何か間違いでも起こしたと想像されても仕方がない。
しかもその理由を口にできないのだから、精神的ダメージは大きいだろう。
「どうしてそうなったのか分からないけれど、王から命じられたらしいわ。特別任務だからと。それならばあそこまでショックを受ける必要もないと思うのだけれどね」
アナスタージア様は理由をご存じないのだろう。王直接の命令となれば特別に感じるが、実際はフランシス王子様に会わせないだけの処置である。
「まあまあ、ギー。今回だけですよ。寂しく私と外にいましょう」
「あ、……そっか、お前も」
お前も何も、私は聖騎士団に入っていても聖騎士ではないので、パーティ内で並んだりはしないのだが、ギーは同じ立場の私に気付き、少しだけ気落ちした気持ちを軽くしたようだ。
感謝祭で私は何をしていればいいのか知らないのだが。もしかしたら一人書類整理かもしれない。それの方が余程切ないのだが。
ギーはがっかりを顔に出したまま、よろよろと自分の席に着く。
ご両親や恋人などが、ギーの姿を見に来る予定でもあったかもしれない。もしかしたら、その日を楽しみに話していたかもしれない。それはがっかりで当然である。
「ところでギーさんや、前言ってたやつ、調べてもらえましたでしょうか?」
「ああ、ほら、これ……」
力のないギーは一枚の紙をぺらりと私にくれる。
「リュシアン様を狙った可能性のあるやつらのリストには、名前載ってなかったぞ。関係ないんじゃないか」
「んー。そうですか」
私はその紙を見ながら、小さく唸る。
(気のせいかしら。関係があると思ったのだけれど……)
「何のリストなの?」
「白の花を購入している者を調べてもらったんです。大量に購入している貴族はいないか、警備騎士さんたちにお願いしてもらいまして」
「この間言っていた、白い花を買い占める者がいるって話ね。リュシアン様を狙った者が、暗黒の力で苦しんでいる可能性があるのではという」
「生贄を使った儀式では暗黒の力を長く使うことはできないみたいですけれど、暗黒の気は体に蓄積されることがあるそうです。なので、例えば幽霊を引き寄せてしまったりして、怖くて白のお花を購入することはあるかなと」
「幽霊ぐらいで、そんな買い占めるか?」
「分からないですよ。子供の頃のトラウマを思い出させる者が見えたりしちゃうかもしれません。私の呪い返しも相まって、悪夢で眠れない日々を過ごしていたら、穢れを消すためにお花の力を借りようとするかもしれませんからね。なにせ犯人は魔法陣を描き慣れていない、魔法もあまり得意でない人ですし、暗黒の気を祓うなんてできないですから」
「そういや、呪い返ししてたんだよな。睡眠障害になるんだろ? 悪夢ってなんなんだよ。どんな効果にしたわけ? 普通の返し方とは違ってるんだろう?」
「それはですね……」
私はうふふと含み笑いをして、呪い返しの詳しい説明をしたのである。




