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963:仙台の戦い(下)

盛岡城を乗っ取った和賀善左衛門が最初にしたことは、新庄三郎だけでなく他の幹部の暗殺も含まれていた。和賀善左衛門に対して同情的であった者を除き、鉄門組が勝利できると考えていた楽観主義者などは容赦なく斬り捨てられることになった。

その多くが就寝中であったことも相まって、城内では駆け足を共に日本刀で次々と制圧され、夜明け前までには制圧を完了。

述べ8名の幹部を暗殺することに成功したのである。


「和賀善左衛門様!城内の制圧が完了いたしました」

「うむ……これでいいのだ。これで……幕府軍に密使を送り、我々は仙台に向けて攻撃を開始する旨を伝えるのだ」

「はっ!」

「馬を扱うことができ、尚且つ足の速い者であれば5日以内には幕府軍の占領地までたどり着けるだろう。返答があればそれでいい……もしよい回答が得られなくても、我々が南下する旨を伝えればそれだけで大の字だ。半兵衛、大役だが頼んだぞ」

「……大役、必ず果たして参ります!」


和賀善左衛門から密使を託された部下の石巻半兵衛は、和賀善左衛門の部下の中でも一番足の速いことで有名であった。

密書を受け取った足ですぐに馬に飛び乗って仙台を通り過ぎ、検問として機能していた関所に関しては『新庄三郎様の命により、斥候を遣わされた』と偽の命令書を見せて関所の者を納得させて突破し、それから途中で馬が倒れたため、1日中不眠不休の状態で駆け足で走り抜けて幕府軍の支配地域にたどり着いたのである。


幕府軍は、石巻半兵衛を捕らえたものの彼は『密使』であると告げた上で、和賀善左衛門の密書を差し出したのである。

密書には幕府軍への寝返りの見返りに、奥六郡たちは鉄門組への離反を誓約しており、また幕府軍が盛岡城に入城した際には無血開城もする旨の事を書き記していた。

これをみた幕府軍関係者は最初こと罠である可能性があると踏んでいたが、連盟書の多くに所属している郷士の名前であったり、寺院や神社の名前などが事細かに記されていたことを踏まえて、和賀善左衛門の密書が真実味を帯びていることを確認したのである。

密書を受け取った軍務総裁の松平乗友は、この密書の信ぴょう性を部下たちに問うた。


「盛岡城を占領したという和賀善左衛門という者が書いた密書だが……信頼できるかね?」

「盛岡城の細かい図面などが記載されておりますし、これは部外者で知り得るものは殆どおりません。特に、浅間山大噴火以降、盛岡城の図面などを持ちだしたのは当時の藩が鉄門組の内乱によって襲撃されて以来、我々が管理している複製品を除いて例がありません」

「人数だけでなく、具体的な兵糧の数であったり兵力の総数などの記載を見る限り、この密書に書かれているのは真実であり、謀略の可能性は低いかと……」

「連盟書に記載されている寺院や神社の存在を確認しましたが、確かにその寺院や神社に関しては正しい名称を用いているので、間違いございません」


部下からの情報を聞きとっても、信ぴょうが高いという事もあり、乗友は策を練った上で石巻半兵衛に対して水と食糧を与えてから、和賀善左衛門宛てに親書を書いて手渡したのだ。

これはリスクのある行為ではあったが、すでに関所などに斥候兵として偵察を行っていると告げている石巻半兵衛だからこそできる術でもあった。


『共に仙台城を攻略し、北から南下して同時に攻め立てるように算段を整えよ。さすれば、貴殿らの働きようによっては、これまでの罪を減刑ないし不問とする用意がある。日数を調整した後に幕府軍と同時に挙兵して仙台城に向けて攻勢を開始せよ』


既に鉄門組を信頼できない和賀善左衛門たちにとって、まさに破格の待遇でもあった。

本来であれば幕府を裏切った郷土に対しては死罪すらもあり得た話である。

しかし、浅間山大噴火によって東日本地域の人口は大幅に減少しており、かつ幕府軍に投降した兵士の多くが浅間山大噴火によって生活基盤が破壊された末に、仕方なく鉄門組に参加した者が多かったのである。これは農民や町人だけでなく、武士も含まれていたのである。


「和賀善左衛門とやらは鉄門組への不満と、幕府軍側への寝返りを兼ねて行動を示すように親書を手渡した。これで親書に書かれていた通りに軍を動かせばそれ相応の決意と意思があると見なし、彼や同調した者に関しては死罪を免除してあげるべきだろう」


これらの現状を鑑みて、乗友は軍務総裁兼幕府軍の遠征軍司令官として、鉄門組の中でも責任者として討死した阿武隈半蔵など鉄門組の中でも五人衆と呼ばれたトップであったり、城主などの任を任された者や噴火に乗じて盗みなどで財を築いた者、そして婦女暴行などの悪質性が高い者以外であれば、原則として期限付きの労働刑や無罪とすることになった。


これは大きく人口が減った江戸の再建事業として囚人を活用する方針が採用され、火山灰や倒壊した家屋などで埋められてしまった水路や壊された区画などを京都の碁盤の目のようにスッキリとしたものに再編成する目的で作る際に、すでに近畿地方や中部地方などに移住をした江戸の住民の多くがその地方に定住をしてしまったため、関東一円の労働人口が大きく減っている事を解消するために労働をすれば解放する制度を作ったためである。


石巻半兵衛は親書を携えて馬を一頭貸してもらい、その馬を使って盛岡城にたどり着く。

盛岡城に到着した彼は和賀善左衛門に親書を手渡すと、親書を読んだ和賀善左衛門はいよいよ鉄門組と決別し、南下するように作戦を実施したのである。


「これより、鉄門組最後の要塞として機能している仙台城を攻略する!参加者を集めて攻撃」


決められた日時までに兵士を動員し、あくまでも志願兵かつ元服年齢を過ぎた15歳以上の者に限り参加を募ったが、盛岡城の城下町から500人、さらに郊外の農村部からも1000人以上もの参加者が集まった事で、鉄門組との対峙を行う兵力が整ったのである。

数的不利ではあったが、同時攻撃を仕掛けるのであれば『陽動』として動くことが最適解であるとを和賀善左衛門は理解していたのだ。


こうして、盛岡城を出発した和賀善左衛門の軍勢3000人は、仙台城への道のりを歩んでいる際に途中の村々でも人を集め、最終的に5000人という膨大な数にまで膨れ上がったのである。

鉄門組との決別を示す為に、彼らは腕や額に白色の鉢巻を身に着けており、これは鉄門組と混同しないようにするために予め寝返りを起こす際に鉄門組ではない事を示す識別情報でもあったのだ。


幕府軍は4万人の軍勢を率いており、それと合わせると述べ4万5千人の兵力が仙台城目掛けて総攻撃を開始したのである。

仙台城を守備する兵士達は述べ6千人あまりであり、さらに和賀善左衛門らが解き放った間者によって逃げるように叫んだ結果、多くの民衆が逃げ出して統制が取れなくなってしまったのである。

もはや状況は決した。

仙台五郎は仙台城の中で自決し、本格的な攻撃が行われるまえに仙台城は開門して鉄門組の組織的な抵抗はその日の夕刻までに終息したのであった。


こうして、長きにわたる日本の内戦は終結したのである。

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