952:メキシコシティ(上)
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1795年9月30日
スペイン領 メキシコ植民地政府 メキシコシティ
メキシコシティは暗雲の空気に包まれていた。
温暖な気候であるはずなのに、人々の心は荒んでいる。
特に、純血派としてメキシコ各地で現地人やメスティーソと呼ばれている混血派の人間を虐げてきた者達にとって、一刻も早く安全であるメキシコシティへの逃避に向かうのは自然の流れでもあった。
メキシコシティの一角にある喫茶店には、スペイン行きの船を手配する手配師の斡旋が堂々と行われており、スペイン本国に帰還を希望している本国人から割増金を添えた上で脱出の手配をしている。
主に富裕層が含まれており、彼らは植民地政府の高官であったり資産家としてメキシコで富を得ていた者達だ。
国境での小競り合いから戦争に発展し、すでにテキサス方面は北米複合産業共同体による陸上戦力が雪崩れ込んでいる状況で、戦局は軍関係者から【悪化の一途を辿っている】との報告を受けて国外脱出のために財産を売り払ったり、金の価値があるうちにスペイン本国だけでなく、ポルトガルやフランスの通貨に両替をして脱出を試みているのだ。
喫茶店に早速、身なりの良い投資家たちがやってきて手配師と対面する。
手配師の男は船の準備や、船までのルートを移動する手筈を整えて男たちに説明を行う。
「まず、持ち運べるのは人と必要な荷物だ。衣類もできるが最大で1人20kgまでの手荷物しか受け付けられない」
「1人20kg……?!たったそれだけしかできないのか!」
「おたくらみたいに国外に逃げようとしている連中が大勢おってな……それに、スペイン本国の海軍艦艇に搭乗する際には厳格なチェックが設けられているんだ。生憎だが、理解してくれ」
「20kg……ではテーブルや食器類は持っていけないな……」
「ああ、割り切って捨てるしかないが……食器類などを買い取ってくれる業者なら知っている。そちらに売れば幾らか足しにはなるだろう」
「まぁ……確かにそうだが……」
「全く、投資のためにやってきたというのに利息程度しか返せられないとはな……」
「仕方ない。戦争が起こっちまったのは割り切るしかないさ……」
投資家たちは持ち家やその家にあるアンティーク家具、必要ではない洋服なども全て売却することになった。
すでに見切りのいい人間の多くは北米複合産業共同体が侵攻を始めた当初からスペイン本国への移住手続きを始めており、最初に逃げた人間は正規価格の3分の2で売りさばいてドンズラすることが出来た。
しかし、今では同様の富裕層が逃げ出そうと手配師に頼んで逃げ出す事案が多く、手配師側も植民地政府やスペイン軍への交渉費用や賄賂への受け渡しなどを含めると、それ相応の金額が必要になっているのだ。
無論、これらの家具などは高級品を使っているため、手配師の男は同業者の回収屋に屋敷などから家具を持ち出して第三国経由で売りさばいているのだ。
本国に持ち帰れないため投資家たちは二束三文で売り飛ばし、手配師や回収屋は訳あり商品として海運会社に売却すれば定価の半値で買い取ってくれる。
高級品の半値であったとしても、それだけで輸送費や人件費などを差し引いても十分なぐらいにお釣りが帰ってくる。
投資家や政府の役職者であれば、尚更高級品を抱え込んでいるので、今が書入れ時でもあるのだ。
一般人の多くはスペイン本国であったり、欧州協定機構加盟国に向かう船に乗ろうとしても、植民地政府の認可が無ければ渡航できないように禁止措置を出しているため、難易度はより高くなっている。
富裕層の場合は密入国という形ではなく『植民地政府から出航許可が下りた』という形で植民地政府の役人を使って書類を作成し、手配を行うという形をとっている。
それに出入国管理を行っている役人への買収費用などが嵩んでいるのだ。
「先週までは1人100スペインドルで費用捻出ができたが……今では150スペインドルが必要だ」
「150スペインドル……そんなに掛かるのか」
「ああ、こちらも費用が高くなっているのは重々承知している。だが、それさえ払えばいいんだろう?」
「ああ、確実に150スペインドル払えば間違いなく出航できる。それは約束する」
手配師にとっても、海軍とのコネを駆使してスペイン本国への輸送を行い、軍人への賄賂としての手付金と資金を送ることで、彼らにも貸しを作ることができる。
お互いに困らない、まさにWIN-WINな関係に手配師も回収屋も笑いが止まらないのだ。
(全く……好き勝手にやってきた連中のお陰でこの国はもうじきに北米複合産業共同体との全面戦争でヤバくなるだろうに……俺は植民地政府がヤバくなったらドンズラして、稼いだ金で本国で屋敷を建てて優雅に過ごす事ができそうだ……)
必死になって笑みを隠しながら、投資家たちに船まで向かうルートなどについても説明を行う。
「指定された金額を支払ってくれれば、明日にでも出発できるように手配をしておこう」
「本当にそれができるんだな?」
「ああ、一番早いので5日後に輸送キャラバンが出発する。他の投資家たちも一緒だが、事前に書いてくれた身内や愛人の人数分は用意はできる。それは安心してほしい」
「……それで、次のスペイン行きの船はいつ出るんだ?」
「一番早い便がベラクルスに到着するスペイン本国の輸送艦隊だ。それが来航するのが一か月後だ。それに乗り込めるように手配はする……だが、戦況が悪化すればさらに倍率は高くなるぞ。決めるなら今のうちだ」
メキシコシティから港湾都市として栄えているベラクルスに輸送艦隊が到着する。
そこまでの道のりは二週間程度かかる。
投資家たちは自分や家族の事を優先し、手配師に対して前払いという形でそれぞれメキシコドルの主軸になっている銀貨を渡した。
決して安くはないが、必要な分であったために投資家たちは使用人などを使ってその日のうちに手配師に銀貨や金貨、高額紙幣などを渡したのである。
「確かに承った。明日の正午迎えの馬車を寄越す……それに乗って欲しい。話は以上だ」
手配師との面談を終えて国外脱出をすることになった投資家たちは手配師の吹っかけた費用に愚痴をこぼしながら呟いた。
「手配費用が思っていたよりも高くついたな……」
「ああ、これで国外脱出するとなると……結果として損しかしていない」
「だが、まだ命がある分いいじゃないか。本国に戻って再興すればいい」
「くそっ……俺たちが指導をしてやっているというのに、戦争になったら反乱側に付いている連中は何を企んでいるんだ……」
「昔からそうだっただろう。不平不満を奴隷階級の分際で威勢よく解放を唱える愚か者が……そういった連中が好き勝手に行動しているのさ」
メキシコシティの中央部では、多くの純血スペイン人が守りを固めて行動をしていた。
彼らは現地人やメスティーソからの襲撃を恐れているのだ。
これまでにも襲撃事件は度々発生していたが、北米複合産業共同体が軍事侵攻を開始してからというもの、それまで仕事や身分などで差別を行ってきた者達の多くが襲撃されて死亡する事案が多発している。
判明しているだけで28人のスペイン人が死亡し、80人以上が負傷しているのだ。
決してメキシコシティも安全ではないのだ。




