395:安永の開国(前編)
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1781年4月2日
日本国 江戸
寒い冬も終わり、ようやく春らしい温かな気温になりつつあった江戸城にて、日本の実権を握っている男が満面の笑みで手紙を読んでいる。
彼は第十代目将軍の徳川家治だ。
その上機嫌な表情で、使節団を送るように進言した田沼意次や、使節団の代表者としてフランス王国に赴いて貿易協定などを取りまとめた平賀源内、中川淳庵、田沼意知を呼び出して聞き取りを行ったうえで、最大の労いの言葉をかけていた。
「田沼、平賀、中川……この度のフランス国への使節団派遣……誠に大義であるっ!余が将軍になって以来で最も喜んだ結果をもたらしてくれたぞ!この成果はおぬしたち無しでは成し得なかった成果だ!」
「ははっ!身に余る光栄でございます!」
「使節団として赴いた者達は厚く遇すことを将軍の名の下に誓おう。それにしてもかのフランスの国が我が国との貿易を熱望していたとは……それにしても……遠国の開拓を踏まえても、フランスが資金まで用意してくれるとは向こうの熱烈っぷりも相当だな……やはり青龍の開拓を後押ししてくれる力として我が国を必要としているのか?」
「その通りでございます。清王朝より多額の資金を使って青龍を獲得したとのことですが、開拓者の人手不足が慢性的になりがちで、それを補うために多くの国から開拓民として青龍に集まっており、そこでは人種で賃金や生活に分別なく定められた法を守る限り、自由に過ごすことが許されているそうです」
「成程……それで我が国との貿易を琉球を中継して行うようにとしているのか……いずれは直接青龍との貿易も結べるようにしないといけないな……」
蝦夷の開拓事業が冷害によって凍結状態であることから、南国の温かい気候で作物が育ちやすい青龍の開拓はフランスの優先的な課題であり、同時にアジア諸国の投資や開拓民の受け入れ場でもあった。
冷害被害の大きかった東北地方では農地を捨てて江戸に引っ越してくる棄民問題が表沙汰になり始めているが故に、青龍への開拓という名目で、こうした人々を労働移民として青龍に移民させる計画が浮上しているのだ。
とはいえ、青龍は「計画的な開拓民の受け入れ」をしており、人数も制限されている。
青龍への日本人開拓民が赴くには、まだ先の事となる。
「して……フランスのパリはどうだったか?かなり高い建物がそびえ立っていると聞いたが、それは本当であったか?」
「はい、京の法隆寺ぐらいの高さの建物がひしめき合っておりました。いずれも外壁は石材や煉瓦を使って作られており、多くの人がそのひしめき合っている建物の中で生活をしているとのことです。金物屋や飲み屋などが建物の入り口となる一階部分に多く構えており、二階以上の階で人が住んでいる建物がパリでは当たり前とのことです」
「例えるなら江戸の長屋を五重塔の高さにして、各階層に人が住んでいるのか……ふむ、すこし想像がつかないな……江戸ではどんなに高くても二階建てが基本だが、それ以上の高さを誇る建物で人々が住んでいるのか……」
田沼は使節団が日本に持ち帰った資料などに目を通し、先にざっくりと大雑把ではあるがフランス王国で滞在したことをまとめた内部資料の【仏蘭西見聞録】を家治に献上していた。
この資料を見た家治は物凄く上機嫌でその見聞録を読んだ。
西欧の中でも急速な発展を遂げているフランスの首都、パリの現状は見聞録の中でも一際輝いて見えたのだろう。
家治はパリの様子についても平賀をはじめとした使節団の代表者にどんな感じであったのか尋ねた。
中でも盛り上がった話はパリの衛生管理に関する話であった。
「ふむ……パリは今の国王が就任するまでは糞尿処理が出来なくて道の至るところに糞を撒き散らしていたというのか……」
「余りにも糞を窓から投げ捨てる者が多くいたこともあって衛生環境は最悪だったそうです。今の国王ルイ16世が屎尿を回収する国営業者を開設してやっと綺麗になったそうです。ルイ16世から直接お話を伺いましたが、江戸での下肥を参考にしたそうです」
「なんと江戸の下肥を参考にしたのか……それにしてもあの金になるものを街中に巻き散らかして捨てていたとは……豪農の者が聞けば大いに泣くのう……」
「ヴェルサイユ宮殿でも王族関係者以外は厠に入ることが出来なかったので、貴族たちは自分達で出したものを宮殿の庭先や茂みなどに捨てていたこともあって、かなり臭いが酷かったと語っておりました。私たちが行ったときには、宮殿の各所に厠が完備されていてとっても清潔でしたので、想像も出来ません」
「……一体どんな環境であればそんなことが平気で出来るか余には理解できぬ……」
パリのトイレ事情が最悪だったのは史実でも同じであったが、ルイ16世によってパリは清潔な街へと生まれ変わったのだ。
街中を散策した平賀達も、各所にトイレが整備されているのを見たし、江戸の下肥を買い取りに来る近郊の農家のような買い取りシステムを構築しているのを知り、意外にもルイ16世が日本通であることに驚いたのだ。
家治が肥料の元になる屎尿を捨てていたというフランスの事情を知って豪農の者が嘆くと語ったのも、王族などの身分の高い者の屎尿は通常よりも高値で取引されていたからだ。
(※)これは身分が高ければ高いほど良いものを食べているという考え方に基づいて行われており、その中でも江戸城の屎尿は一番高かったと言われている。
(※ただし実際にはおかずは少し、腹いっぱいになるため白米ばっかり食べる栄養値ガン無視の食生活だったのでビタミン不足による脚気……江戸患いを罹患している人が身分の高い人に多かった)
そして本題となるフランスの技術・軍事力に関しての話題に移る。
「平賀、お主に聞きたいが……フランスの技術は凄かったか?」
「はい、率直に申し上げて今の日ノ本の国力を総出で挑んでもフランスには勝てないでしょう。軍事力に関しては人数だけでみれば、武士として数十万人の兵力を即時動員できる我々が上ですが、我々が使っている銃より遥かに技術は進んでおりますし、大砲の射程距離も倍以上あります。蒸気機関なる最新鋭の機械も大量生産している上に、これらの機械を鉱山の採掘に利用しております。そして特質すべきはフランスはカリブ海やインド大陸にも経済圏を構築しております故、ざっと計算しても約3倍以上の国力を有しているのは間違いありません」
「……つまり、フランス側がその気になれば我が国を軍事的に征服することもできるというわけか……」
「ルイ16世や彼の側近はそうした侵略行為を行わないと宣言しておりますし、同行した通訳のオランダ人も現在のフランスは温厚主義だと語っておりました。……が、もしフランスを怒らせるような事態が起こればただでは済まないでしょう。フランスの事をよく知り、よく学ぶためにも専門の学び舎や交流拠点を作るべきだと進言致します」
平賀源内が持ち帰った資料には、フランスで見た蒸気機関や将軍への献上品としてルイ16世から手渡しで渡された蒸気機関の説明や挿絵などが描かれた【1779年度版:蒸気機関解説書】があった。
無償提供がされる上に、これらの蒸気機関が社会を一変させている現状についても平賀は田沼意次や家治に説明を行う。
文字が分からなくても挿絵があれば分かりやすいということもあり、挿絵を使って説明を行う。
人力よりも大きな力を発揮し、紡績機をはじめとする初期工業能力の拡充、鉱山の開拓を行っているという。
街工房にも蒸気機関が導入されて、人々はこの機械を使って大いに生活の水準を上げていることも伝える。
平賀源内から見たパリの街は、現実でありながら非現実のような機械で埋め尽くされているように感じ取られ、彼の科学者としての興味を大いに沸き立たせると同時に、これからの時代は、ネジと蒸気によって成り立つことを直感的に感じ取ったのであった。
そのことに関しても家治に説明を行ったのであった。




