394:紅の血は燃える
「……以前、お父様はお一人で錠前作りなどをしていた事がありましたよね?」
「うん……昔はやっていたね……だけど、今は錠前はあまりやらなくなったね……」
「どうして錠前を作らなくなったのですか?」
「やっぱりいつまでも趣味に没頭できる時間がないからかな……何だかんだで忙しくなったからね……」
「お母様やブリジットさんから聞きましたけど、私が生まれる前に没頭していた趣味を止めたそうですが……私の記憶にあるお父様は夜遅くまで錠前作りに没頭しておりました。それでいて、口下手でした……でも、今のお父様は出来る限り私たちと遊んでくれていて……それでいて、とてもお喋りですね……」
「うん……そ、そうだね……」
テレーズの目がどこか確信を得たような目で俺を見ている。
……実際に、ルイ16世は革命が勃発する直前まで錠前作りをよくやっていたみたいだし、テレーズは10歳の時にフランス革命に巻き込まれて以来、各地の王族などを頼って転々と過ごす日々を送っていたという。
つまり、本来であれば錠前作りに没頭しているはずの男が没頭していない。
これだけでもテレーズは違和感を覚えていたらしい。
ルイ16世とアントワネットとの間に生まれた子供の中で唯一、テレーズだけは最後まで生き延びることが出来た。
彼女と結婚したアングレーム公爵は思いやりと誠実な人であり、部下からの信頼も厚く結婚したテレーズに対しても優しく良き夫であり夫婦仲は良かった。
だが、悲しいことに彼は性的不能者であったことから二人の間に子供は出来ず、ルイ16世の血統は彼女の代で断絶した。
革命を生き延びたテレーズの人生は波乱の連続であり、その最期も寂しいものであった。
そして、目の前にいるテレーズはあの悲劇的な革命を知っている記憶を持っていることを話したのだ。
「驚かないでねお父様……私、違う人生を歩んだ私の記憶があるんです。生まれてから死ぬまでの記憶がぼんやりとですが、残っているのです」
「本当かい……?詳しく話してくれないか?」
俺と同じく、彼女は再び自分自身に転生してだがやり直しをしたのだ。
極端な話でいえば俺が数百年先の未来人であるのに対して、テレーズは転生ものでいえば逆行した人物である。
転生にも種類があるらしいが、あまり詳しくはわからないので今回はパスさせていただく。
彼女は未来でしか知り得ないような内容を話し始めた。
「……私はフランスが大いに混乱に見舞われて、そして血で血を洗うような惨状となった出来事の記憶があります」
「どんな記憶かな……」
「お父様やお母様、おば様が政権を簒奪した勢力による裁判で死刑判決を受けて断頭台で殺されてしまうのです……弟も酷い扱いを受けて亡くなりました。そして、私は狭い部屋に閉じ込められて……色んな場所で酷い扱いをされました……しばらくしてオーストリアが私を引き取ってくださいましたが……私にはその時に受けた屈辱や苦痛が未だに心に残っております」
「それは……辛かったね……」
「ある時は政治に利用されて……またある時はフランスで勃発した政変に巻き込まれて何度も国を追い出されて……最終的にゴーリッツ(現イタリアのゴリツィア)で引きこもって、過去の運命を後悔して私は死にました……」
「……」
間違いない。
テレーズは逆行して自分自身に転生したのだ。
彼女の話した顛末は、間違いなく史実におけるテレーズの運命と一致している。
ルイ16世とアントワネットが革命で処刑された後、彼女は両親が処刑された事も、弟が死んだことも知らされないまま幽閉され続けていたのだ。
せめてアントワネットが産んだ子供だけでも助けようとオーストリアが働きかけたことで彼女は収監されていた日々から解放されたが、解放されたときに両親と弟が死んでいたことを聞かされたのだ。
それからは彼女は王族の血を引く者として戦乱や革命といった運命に翻弄されていく。
フランス革命後の王政復古の際に王族として復帰したが、再び革命によってフランスを追い出される。
最終的にテレーズは夫のアングレーム公爵の血縁者の元に身を寄せて、死に場所となったゴーリッツでは王族関係者とは思えない程に寂しい最期であったという。
彼女は本当にさみしかったのだろう。
すべての事を話してくれたテレーズはぽたぽたと両目を真っ赤にして涙がこぼれていた。
「故に私は……この幸せな日常を過ごせることに感謝しているのです。お父様……」
「うん、テレーズは頑張ったね……もう大丈夫だからね……大丈夫だよ……」
テレーズを抱きしめて俺は彼女をあやした。
何というか……彼女は逆行転生していたとはな……。
何気に転生者は俺だけではなかったのだ。
……いや、正確に言うと俺はルイ16世に憑依(?)というか転生した西暦2020年代の日本人男性なのに対して、彼女はあの激動のフランス革命を身をもって体験し、そしてすべてを狂わされた事を知っているのだ。
過去の重さ……人生の体験でいえば俺の経験した過去よりもずっと重たいのだ。
本来であれば幸せな思春期を過ごすはずだった彼女は、革命によって文字通りすべてを変えられた。
優しくしてくれる相手もおらず、家族は革命によって皆殺しにされていたのだ。
史実で言われているような無愛想とか愛情表情に欠けているという表現も、この時に経験した過酷な運命が人格形成に大きく影響を与えたのは間違いない。
しばらくテレーズが泣き止むのを待っていると、真っ赤にした目を擦っていた。
あまり擦ると目にばい菌が入ってしまうのでいけないと思い、ハンカチを差し出して涙を拭く。
「ぐずっ……ぐずっ……」
「落ち着いた?」
「……ええ、泣いたお陰でだいぶスッキリしましたわ」
「それは良かった……テレーズ、お父さんに話してくれてありがとう。お父さんはテレーズの話を信じるよ」
「ありがとう……ございます……お父様も……私と同じですか?」
「……!」
ここまでしっかりと史実通りの話をしてくれた以上は転生していることに間違いない。
転生者が自分を含めて二人になったのはいいのだが、俺はテレーズに自分が本来のルイ16世ではない事を伝えるべきなのか悩んだ。
今まで接してくれた父親は肉体的にはかつての父親と同じだが、精神面では日本人ですって言えるだろうか……?
それを言ったらテレーズは卒倒するかもしれない。
ここでそれを言ったら色々と面倒になってしまうかもしれないので、嘘を言わない範囲でテレーズの言葉を肯定する。
「うん、お父さんもテレーズ程ではないけど、幾つかの記憶を持っているんだ。死んだときの事は覚えていないけどね……」
「……!」
「だけど、このことは絶対に秘密だよ?もしお母さん……アントワネットやジョセフが知ったら大いに混乱してしまうからね」
「わ、分かりましたわ……でも、お父様も私と同じで良かった……二人だけの秘密ですね」
「そうだとも、もし経験した話をしゃべりたい時はこうして二人っきりの時間の時に語ろう。あまり長い時間は無理だけどね」
「わかっております。でも、お父様とお話できるなら私はそれで大丈夫です!」
一先ず、テレーズは納得してくれたようだ。
先程の発言は嘘ではない。
転生した直後にルイ16世の幼年期の頃と思われる記憶が俺の頭の中に入り込んできたのだから。
幾つかの記憶を持っていると言ってもこれは嘘には当たらない。
ただ、未来人であることを説明しても多分納得しないだろうし、人種も全く違う人物が転生者だと知ったら本当に厄介なことになるだろう。
後でテレーズとは月に2回から3回ほど二人っきりで話す時間を設けることになったのであった。




