344:夢
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1779年4月18日
フランス ヴェルサイユ宮殿
ようやく毒の霧が収まり、ラキ火山の噴火で発生した二酸化硫黄も減ってきた。
野外では長時間出ないことを条件にマスクを外すことが出来るようになったが、それでも大気中に舞ったであろう火山灰の影響もあってか、気温はかなり冷えている。
例年であれば最高気温が10度から15度ぐらいまで上昇するはずが、ここ一週間の最高気温は5度ぐらいしかない。
寒い日が多いにしてもやはり火山の影響が酷いようだ。
春先でこれなのだから、夏も冷夏になることは間違いない。
グレートブリテン島をめぐる戦いは一進一退の攻防戦となっており、一昨日から欧州協定機構軍による一斉攻撃が開始された。
プロイセン軍を中心とした主力部隊がオックスフォードへの進軍を開始し、フランス軍もスウィンドンへの攻撃を開始して、ロンドンを完全包囲するようだ。
犠牲はなるべく出したくはないが、革命思想が各地に伝播してこれ以上の情勢不安は避けたい。
戦争継続能力はまだあるし、あと1年ほどは財政的にも大丈夫だ。
問題はここ数か月の間に燻っている国内の不安要素についてだ……。
まずパリ大火によって焼失したバスティーユ牢獄……。
その最高責任者であるローネ侯爵が今朝自殺したという報告が飛び込んできた。
報告をしてきたアンソニーの顔色は悪い……。
安心しろアンソニー、俺は君に八つ当たりをするような人間ではないぞ。
「そうか……ローネ侯爵が……自殺したのか?」
「はい、今朝ご自宅の浴槽でお亡くなりになりました。書斎には遺書が置かれておりました。死因も自殺とみております」
「家の中にいた護衛の兵士はどうしたのかね?まさか眠っていたわけじゃあるまいし……」
「どうやらローネ侯爵は石鹸入れの中に剃刀の刃を埋め込んで隠し持っていたようです。入浴前に自殺防止の為に兵士が確認をした際には剃刀の刃までは確認できず、持ち込んだ刃で首の動脈を切って自殺していたそうです。あまりにも長時間入浴しているのを不審に思った兵士が突入した際にはすでにローネ侯爵は亡くなっていたそうです……」
「つまり、石鹼の中に剃刀の刃を仕込んでいたというわけか……あー、それは確かに気が付きにくいだろうね……だが、ローネ侯爵を助けるためにも彼を裁判で裁いてほしかったな……」
ローネ侯爵は責任を取るために自殺したという。
書斎に残されていた遺書には、承った仕事において管理体制の不十分と自身の甘さが招いた結果であると悔いた上で、これ以上家族や周囲の人間に迷惑をかけないためにも責任を取って自裁し、この身をもって罪を償うと書かれていたそうだ。
史実では民衆によるリンチの末に斬首させられた挙句、体がボロ雑巾のような状態で発見されるという悲惨な末路を遂げたローネ侯爵。
この世界でも彼を救うことが出来なかった。
せめてあと数日裁判を早く行っておけばよかったと後悔した。
パリ大火に伴って、パリ裁判所(高等法院は教会側への服従性が高く、中立的判断が行えないとして廃止させて新しく作った)では審議などが中断されてしまい、裁判審議なども延期が重なってしまうという事態になり、ローネ侯爵の責任に関しても裁判が延期となって4月30日ごろを予定して行うつもりであった。
少なくとも、彼が自殺したりするのを防ぐためにやろうとしたが、反って彼を死に追いやってしまった……。
「これでバスティーユ牢獄の最高責任者が死亡したとなれば……事件の責任の所在はどうなる?放火犯の絞り込みは出来ているのだろう?」
「はい、一つは北米に逃げたとされるオルレアン一派の者達、それからロアン枢機卿の部下たち、ポリニャック伯爵夫人の中立派、新市民政府論を信仰している革命思想家……この中から絞り込みをした結果、オルレアン一派が関わっている情報が入ってきたのです」
「オルレアン一派が?だが彼らの大元であったフィリップ1世はあの大火で死んだのだぞ?彼を脱出させて北米で暮らすならまだわからなくもないが、その情報について詳しく聞かせてくれ」
複数の被疑者や終身刑を言い渡された受刑者が収容されていたものの、放火によって彼らの大部分が死亡した。
オルレアン派にロアン枢機卿に関わっていた者、ポリニャック伯爵夫人やフランスに新市民政府論を唱えようとして非正規手段で密入国をしていた者……。
その大部分はこの国の政治力、経済力で影響のあった人物が大半であった。
逮捕されて終身刑や被疑者として収容されていても、フランスに与えている影響は完全に無視できるものではない。
その中でもオルレアン派に関しては主力幹部を含めて、金塊侯爵事件の際に逮捕されて終身刑や死刑判決を受けた囚人たちの財産の多くが国庫に蓄えられていた。
オルレアン公もしかりだが、貴族階級出身者の多かったオルレアン派には莫大な資産があり、それらの資産を換金したらフランス科学アカデミーへの投資を加速させて技術革新を早めることができるぐらいの資金になった。
今日フランスの科学技術の進歩は、彼らのお陰でもある。
「我々はブルボンの改革に従わない貴族や聖職者への見せしめも兼ねてオルレアン派の粛清に取り掛かりました。その際に、深く関与しなかった者や本人以外の家族に関しては恩赦や釈放といった形で放免しておりましたが……」
「その中に事件に関わったと思われる人物が出てきたというわけか……」
「その通りです。こちらの女性……ああ、これは1769年、今から10年前に描かれた肖像画ですが、こちらのレヴァン元男爵夫人が今回の事件の首謀者ではないかと王国内務公安部と内国特務捜査室ではみております」
「レヴァン元男爵夫人といえば……確か北米連合に蒸気機関を盗んで亡命した人だったよね?」
「はい、彼女とその家族、および取り巻きが起こした事件です。ル・マンの製糸工場から試作品を含めて蒸気機関の紡績機械が盗まれて、重要参考人として北米連合側に犯人の身柄引き渡しを要求したものの、北米側が拒否をして逮捕に至っていないのです」
レヴァン元男爵夫人はオルレアン派の首謀者と深い関わりのあったレヴァン男爵の妻であり、すでにレヴァン男爵は金塊の密入や不正な株取引の容疑者として有罪判決を受けて死刑を宣告され、すでに死刑を執行している。
そのレヴァン男爵の妻や子供に関しては事件には深く関わっていなかったとして放免されたが、後にレヴァン元男爵夫人が紡績機を盗み出して、北米連合側がそれをコピーしたものを使っているという。
背後にはより大きな組織がいるとされているが実態は不明である。
この事件以来、わが国は北米連合とは明確な対立こそしていないが、不信感を抱いており、最近ではアイルランド独立戦争にも加担しているとされている。
もしかしたら……北米連合側にとってバスティーユ牢獄で収監されていた人物が不都合だったのだろうか?
アンソニーがオルレアン派が関わっているとされる証拠を書類付きで提示してくれたのだ。




