343:暁
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1779年3月10日
グレートブリテン島 エクセター
ラキ火山噴火に伴う、二酸化硫黄が多く含まれた毒の霧は内戦中のグレートブリテン王国を襲った。
事前に通知があったとはいえ、国民平等政府の討伐を任された欧州協定機構の軍隊は足止めを喰らってしまっていたのだ。
本来であれば3月初旬に北部や中部を制圧したプロイセン軍指揮下の主力部隊と、陽動部隊であるフランス軍が一斉攻勢を開始する予定だったのだ。
それがラキ火山の噴火によってロンドンへの全面攻勢は停止となり、グレートブリテン島の解放を担うシーライオン作戦の最終段階で全軍は軍事行動を停止していたのだ。
戦場の最前線では双方が毒の霧によって身動きがとれず、睨み合いを続けていた。
「くそっ、今日も進軍をしないのか……」
「前線に目立った動きはなし……敵も大規模な動きは控えているみたいだからこのまましばらく睨めっこさ」
「こんな息苦しいマスクをしなきゃならないとは、難儀なものだな」
「まったくだ。おまけに太陽も暗いから日中でも氷点下で寒くて敵わない……早く休憩時間にならないかな……」
どんよりとした重い空気が漂い、太陽も明るくない。
おかげで、3月だというのに全然温かくないし日中でも氷点下を下回るほどの寒さだ。
温かい恰好をしている兵士達でも、流石にこの寒さには凍えている。
スウェーデン軍をはじめとする北欧出身者でも、3月でこの寒さを味わうのは酷なものであった。
まさに世紀末的な現象を見た兵士たちは思わず、この世の終わりが来たのではないかと震える者も少なくなかった。
火山の噴火だと上官から説明を受けても、それが未知の現象に遭遇してしまったために、説明を受けても理解が追いつかないのだ。
それ故に、精神的な面で不安定になったり間違った行動をしてしまう兵士もいた。
あまりにも現実離れした光景を見てしまい、精神的な衰弱状態に陥って心を病んで本国に送り返される者。
マスクを着用するのは健康に悪いと自己判断でマスクを着用せずに毒の霧の中を巡回し呼吸器疾患症状が現れた者。
度胸試しと称して毒の霧を思いっきり吸い込むといった者まで現れた。
こうした兵士はフランス軍だけで32名にもおよび、欧州協定機構の軍隊では実に500名を超えた。
この現象は「世紀末的な現象が起こったことによる精神不安症」及び「正常的誤認判断」という名前がそれぞれ付けられて、軍医によるカウンセリングや外でマスクを外して毒の霧を吸い込んではならないとする通達が再度徹底される。
グレートブリテン島では毒の霧が薄くなってきたとはいえ、ラキ火山の噴火による二酸化硫黄が多く飛来していた。
屋外での活動を控えるように徹底され、巡回の兵士たちはマスクを装着している。
グレートブリテン島に派遣されているフランス軍最高司令官フィリップ・アンリ・ド・セギュール大将も、軍の進軍を中止して様子を伺っていた。
「この霧と視界が暗い状態では満足に外を出歩けないな……」
「はい、マスクを着用せずに巡回した兵士数名が結核のような症状を発症しております。既に隔離措置を施しましたが……何分、このままの状態が続くと軍の作戦は大幅な修正をしなければなりません」
「それに外では毒の霧によって、このままでは部屋の空気の換気すらできぬとはな……妙に臭うし……これは何とも嘆かわしい……」
セギュール大将を悩ませていたのはフランス軍だけでなく、欧州協定機構の軍全体で進軍が停止状態になっていることだ。
既にロンドンへの侵攻作戦は決定事項であり、早ければ4月下旬までにはロンドン攻略のために軍隊が突入する手筈であった。
それがラキ火山の噴火によって停止となり、全軍で何時迄に攻撃を再開するかで慎重な判断を迫られていたのだ。
「指揮系統は事前の報告書の通りに共同で行うことが義務化されていることもあって、独断専行を行うことは例え勝利したとしても各司令官が厳罰に処されますからね……」
「共同作戦とはいえ、指揮系統にある程度自由な裁量を求めれば良かったな……」
ラキ火山の噴火による指揮・作戦内容の修正などは各地の軍隊からそれぞれ、海軍の連絡船を通じて行われていた。
これは、まだ電信通信などが実用化されていないために、わざわざ海峡を渡って各地の最前線まで馬を走らせてから各地の将軍の意見を聞き取り、尚且つまた戻って意見を纏めるという途轍もなく手間のかかるやり方を採用していたからだ。
そこまでして意見を纏めるのには理由がある。ヨーロッパでも大規模な共同軍事作戦ということもあり、また各国軍隊のドクトリンや兵士の運用方法が異なっていたこともあって、調整を行う必要があったのだ。
今の状況は、各国軍の佐官クラスの連絡将校が陸海軍同時に行動を共にし、補給なども含めて調整を重ねた結果の賜物であった。
それでも、不安な要素は多くある。中でも懸念しているのは国民平等軍の戦力の回復であった。
「天候の回復を待って攻勢を行うとなれば4月ごろになりますね……更新された作戦命令書では一か月ほど先送りと書いてありますから、それに従うほかありません」
「だとすれば……それだけ敵の国民平等軍の兵力と士気が回復する恐れがある……だが、我々が単独で突出でもすれば総攻撃を食らう……何とも難儀なものだな……」
国民平等軍は質ではなく量で補っている軍隊であり、マスケット銃を最前線の兵士に配り、奇襲と夜襲を徹底させた戦法で対抗している。
北アメリカ連合州軍に苦しめられた戦法を学び、その戦法を応用して欧州協定機構に少なくない損害と犠牲を出させている。
そう、国民平等軍のメリットは人的資源には困らない点にあるのだ。
接収した王国政府や貴族・企業家の財産などを末端兵士に至るまで平等に配るのだから、兵士になって勝利すれば必ず報奨が貰える、という誘い文句。
健全な成人男性を兵士として徴兵していて、国家や王、貴族の軍隊などではなく平民の軍隊としての意識からか士気も高く、兵力は欧州協定機構が動員している兵員数を上回る。
これまでに多くの国民平等軍の屍を作り上げてきて、国民平等軍側の兵力補充がうまくいっていないのを見計らい、ようやく陽動部隊も含め欧州協定機構による一大攻勢を仕掛けようとした直前に、ラキ火山の噴火が発生したのだ。
「補給はともかく、今後の作戦を考えれば4月の一大攻勢の際までに敵がどれだけ戦力を回復させているかにもよりますが……」
「わからんよ。ただ、国民平等軍は追い詰められている。最悪の場合、全ての成人男性が徴兵されて経済基盤すら崩壊するだろう。であれば今後グレートブリテン王国の人口は女ばかりになるかもしれないな……」
「もしそうなればグレートブリテン王国は……」
「ああ、遅かれ早かれもうこの国は分裂するだろう。あとはプロイセンや我々フランスがどの場所をもらえるか……そうした事も考慮しなければならない」
グレートブリテン王国の植民地を今回の討伐遠征費用として受け取るかもしれない。
そうなれば、遅かれ早かれグレートブリテン王国の経済は立ち行かなくなり、やがて国家そのものが消滅するだろう。
そしてまた時間的にも、一か月ほど猶予が与えられてしまったことで、今もなおロンドンでは健康な青年たちを中心に兵士の育成が急ピッチで進められ、経済から担い手をどんどん奪い続けていた……。




