342:観測
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「あっ、お母様!少しだけ太陽も明るいように見えてきましたわ!」
「あらあら、本当ねぇ……だけど太陽を直接見たら目を痛めてしまいますわテレーズ、外を見るのはいいけど太陽を直接見てはいけませんよ?」
「はーい!分かってます!」
「……外の霧も少しだけ薄くなってきましたね……」
ここ数日の間、発生していた毒の霧もようやく和らいできたようです。
しかしながら太陽はあまり強く光らず、まるで満月のような月明かりしか照らされていません。
以前からオーギュスト様がおっしゃっていた火山噴火が現実のものになったのです。
最初火山の噴火を聞いた際にはまさかとは思いましたが、ここまで暗くなるとは思いませんでした。
私が思っていた以上に、ラキ火山の噴火の影響はフランス全土に広がっているようです。
パリ市内では大火によって焼失した建物の復旧作業が一時中断され、市場なども毒の霧によって食料が傷んでしまうことを恐れて市場の野外販売を中止し、建物内部での販売に限定しているそうです。
出歩く際にもマスクや手ぬぐいなどで口元を覆うようにし、毒の霧が肺に入り込まないように工夫がされているとのことです。
また、野外での販売をしない代わりに訪問販売を行う事業者が現れて、鉄で出来た防護箱に食材を入れて注文を取りに行ったりしているそうです。
中には自分で食料品を買いに行くためにペストマスクを被って出歩いたり、しばらく外に出られない事を見越して酒屋で業務用のワインを樽ごと購入し、家族や友人を集めて酒盛りをしているところもあったそうです。
それに加えて、現在フランス全土ではラキ火山の噴火に伴う物資統制を行っております。
不用意な食料品や日用品の買い占めを防ぐために、数量を限定こそすれど国民に十分な食料が配給できるようにするためです。
そして、貴族や平民だけでなく貧富の差に関係なく平等に食料を分け与えることにより、公正公平に購入ができるようにしているそうです。
近場のパリにいる情報員からはこのように説明を受けておりますが、それでもパリ大火や今回のラキ火山噴火によって発生した毒の霧で、パリだけでも経済は大きな打撃を受けているようです。
まだ麦を植える季節ではないのですが、それでも寒さに弱い小麦などは今後の育成不良に陥る危険が高いと言っておられました。
パリ大火によって生じた多くの建物の焼失だけでなく、噴火に伴う毒の霧による二重の痛手……。
我が国の……それも首都ですら混乱している状況ですから、諸外国はもっと混乱しているでしょう。
アイスランド島を所有しているノルウェー=デンマークや、スウェーデン、そしてプロイセンやグレートブリテン島でもパリやヴェルサイユのような同様の現象が観測されているようです。
この現象によって今現在ヨーロッパ地域の大部分は太陽が著しく弱まっており、陽の光が満月の時のような薄暗い状態になっているそうです。
お母様やヨーゼフお兄様のいるウィーンは大丈夫なのでしょうか?
少し、不安が胸の中にぞわぞわとうごめいているような気がしてきます。
ふと、テレーズと目があいました。
私の顔を見て、心配そうな顔をして案じてきたのです。
「お母様……?どうかしたのですか?」
「あっ、いいえ、何でもありませんわテレーズ、ここ最近お空が晴れませんからね……ちょっとだけ青い空が恋しくなったのです」
「お空が恋しいのですか?」
「ええ、この暗くてどんよりとした空は好きではないですね……私にとって……重々しいと感じてしまうのです。悪い夢みたいだと……」
そう……時折、夢に出てくるのです。
このような空が現れる恐ろしい夢を。
その夢は私が手を縛られた状態で歩かされて断頭台に立たされるというものです。
空は暗く、それでいて怒りに満ちた民衆が罵声や卑猥な言葉を私に投げかけてくるのです。
これが夢とわかっていても、目が覚めた時には汗がびっしょりと濡れているのです。
そして、隣で寝ているオーギュスト様に抱き着いてその不安をかき消そうとしていることも……。
不安が無いといえばウソになります。
以前火山噴火の兆候があると仰っておりましたが、このように現実のものになってしまうとは思いませんでしたから……。
何かとオーギュスト様は先見の明や予見じみたことを的中させてきますので、きっと神様からご加護を受けているのかもしれません。
赤い雨事件の際にもアデライードの刺客を取り押さえましたし、金塊侯爵事件でも迅速に対応してオルレアン派を封じ込めました。
それからは、様々な分野への投資や支援などを積極的に行い、気がつけばフランスはヨーロッパ随一の大国に相応しい発展を遂げております。
グレートブリテン島に革命政府を鎮圧するための軍隊を派兵しているとはいえ、戦争を行わずに内政に力を注いでいたのも、きっとこうした災害が起こることを神様から告げられて、フランスの余力を残すためではないでしょうか?
八年前の改革派設立の当初から、今日に至るまで自分から贅沢らしいことはせずに質素倹約を貫き通しているのも、そうした理由であれば納得できますわ。
この前お伺いした際に話をこぼしたのも、神様のご加護を受けたことを公表してしまうと混乱する可能性を考慮して話したのかもしれません。
(きっとオーギュスト様が言わないだけで、神様から守られているのかもしれませんね……そうすれば、オーギュスト様の行動は加護を受けたご意思に沿ったもの……オーギュスト様に守られているのであれば、私は全力で夫を支えないと……)
……コンコン、とドアが叩く音が聞こえて、ゆっくりとオーギュスト様が部屋に入ってきました。
時計を見れば午後2時59分、ちょうど仕事を切り上げて約束の時間に帰ってきたようです。
ジョセフが寝ていることを察してか、小さな声で私とテレーズに「ただいま」と言ってきました。
「お仕事お疲れ様です、今……紅茶を淹れますね」
「ありがとう、助かるよ」
「オーギュスト様は紅茶には砂糖を入れずにそのままでしたね?」
「ああ、紅茶はストレートで頼む」
ジョセフをベッドにゆっくりと降ろして毛布を掛けてから紅茶を淹れます。
甘いモノを取りすぎると病気になってしまう。
気を遣って最近ではお砂糖の入った飲み物を控えているのです。
もちろん、社交界や晩餐会などで出される砂糖入りの飲み物は飲みますが、やはり紅茶本来の味が好きなのだそうです。
紅茶とお昼頃に私とテレーズが作ったクルミ入りクッキーをオーギュスト様に差し出すと、テーブルの前にある椅子に座って紅茶を飲み始めました。
「……アントワネットが淹れてくれる紅茶は本当に美味しいよ」
「ふふっ、ありがとうございます。これでも紅茶を淹れて下さる職員さんからコツを教わったのですよ」
「ほぉ……それは何よりだ。このクルミ入りクッキーも手作りかい?」
「ええ!よくわかりましたね!私とテレーズが一緒に、かまどを使って焼きましたの!少々形が崩れてしまいましたが……お口に合いますか?」
「うん、とっても美味しいよ!アントワネット、テレーズ……二人ともありがとう!」
美味しいとクッキーを食べるオーギュスト様。
それを私は彼の横で眺めているだけでも幸せです。
テレーズもクッキーを美味しそうに食べて貰えたことで満足そうに笑っておりました。
家族とこうして静かに、そして一緒に居られるのは何よりも幸せです。
暗い時でもいつかは明るい時がやってきます。
オーギュスト様を支えて、そして妻として母として、私は皆を支えていこうと改めて決意をしたのでした。




