323:反転攻勢
★ ★ ★
1778年7月3日
イギリス エクセター
グレートブリテン島攻略の為に、陽動としてかき集められたフランスを中心とする軍隊は、イギリス南部でも有数の都市であるエクセターを最大攻勢ラインと定めて、フランス陸軍1個師団を中心とした部隊が、支配地域の男性の大多数を徴兵したイギリス国民平等軍との睨み合いを続けていた。
派遣されているフランス軍の最高司令官を命じられたのはフィリップ・アンリ・ド・セギュール大将であり、かつてイギリス軍に捕まって捕虜になった経験のある人物であった。
堅実な兵の運用を評価された上で、ルイ16世から直々に面会をした際に実戦指揮を任された経緯を持つ。
それ故に、定期的な報告は欠かさずに本国と行き来している海軍艦隊に届けている。
彼の報告書作成も決して楽な仕事ではないが、フランス軍がしっかりと戦地で仕事をしている報告を出すことは義務故に、手を抜くようなことはせずに黙々と仕事をこなしていた。
報告書は正確性をもって書くように伝えられており、如何に自軍が勇ましいとか、敵が卑劣とかではなく、どんな戦況でどんな状況で戦ったのかを書くように厳守させられていた。
それ故に、本国に送り出す戦況報告も一度司令官の目に留めてから手直しをするようにしていたのだ。
「司令官閣下、本日の戦況報告でございます」
「うむ……今日はカロンプトンの郊外で第5歩兵連隊が敵の斥候兵と戦ったと書いてあるが……斥候兵はどうなったのだ?」
「申し訳ございません、斥候兵は取り逃がしてしまいました……また、発見したのは哨戒をしていた少人数の分隊でしたので、増援を呼んだ時には斥候兵は退却して姿はありませんでした」
「そうか、敵はこちらの動向を探っているのだろう。斥候兵が現れた場所は十分に警戒するように、それと、斥候兵に遭遇した時の事を覚えている範囲でいいから必ず書いておきなさい。明日の朝までに忘れずに再提出するように、以上だ」
「はっ!失礼いたしました!」
セギュール大将に報告書の再提出を指示された当直の大尉は、直ぐに報告書の内容を追加する。
本来であれば報告書を書き終えて提出すれば、そのまま酒場に行って一杯引っかけようと思っていたのだ。
これは残念と思いながらも、できる限り報告書に詳細を添付する。
「……ここ最近、斥候兵による嫌がらせも増えてきたからなぁ……しかしこれを書かねばならないのか……また斥候兵が持ち運びできる小型カタパルトで糞便を投げつけてくるとは……これで3度目だぞ」
大尉は愚痴を呟きながら追加の報告書を書きあげる。
斥候兵……現代の軍隊では偵察兵の事である。
彼らは敵情視察を探るために前線を少人数で突破し、偵察を行う。
陽動とはいえ、鉱山地帯を占領しているフランス軍は度々、ロンドン国民平等軍が率いている少人数で構成された斥候兵による襲撃を受けていた。
主に最前線で巡回中の兵士を狙った奇襲攻撃が顕著だった。
ボウガンなど弦を用いて殆ど音の出ない弓矢による襲撃を受けて死傷する兵士が、占領してから数日以内に33名も出たのだ。
これを踏まえて一人や二人といった最小限の人数で行っていた歩哨のパトロールを、一個分隊の目安となる8人規模での集団でするよう命じ、襲撃されるリスクを減らしたのだ。
フランス軍だけではなく、スペイン軍やポルトガル軍、オーストリア軍の間でも共有されていた。
そうして弓矢による襲撃がなくなったかと思えば、二週間程前から糞便と尖った木の枝が詰まったバケツをカタパルトで投射して兵士の頭上に振らせてくるという嫌がらせをしてきたのだ。
嫌がらせいえど、木の枝に付着した糞便が身体に突き刺されば破傷風になるリスクが高まる。
それも投射してからはこちらが応戦するよりも先に、斥候兵は投げるだけ投げつけたら森の奥に逃げてしまうケースが多く、神出鬼没の斥候兵に頭を悩ませていた。
フランス軍の兵士達はこうした攻撃を「糞爆弾」と呼んで心理的なダメージを受けていたのだ。
「我が軍は陽動とはいえ、大きな戦線の動きはなし……ただし、糞爆弾によって兵士の士気は少しずつ削られていくか……この戦争は妙なことが多すぎる。なんでこうも嫌がることばかり相手はしてくるのやら……新大陸動乱で頭までおかしくなった奴が兵士にでもなっているのか?」
大尉もこの戦争には奇妙な違和感を覚えるようになっていた。
陽動として南部の鉱山地帯を占拠しているが、国民平等軍は一向に大規模戦闘を仕掛けてくる気配がないのだ。
ただ、ロンドン方面への偵察任務を任されている部隊が持って帰ってきた情報によれば、国民平等軍は銃や剣を大量生産して、虎視眈々と狙っているとのこと。
すでにスコットランド方面はプロイセン軍が中心となった殴り込み部隊が進攻したことで、相手側を押し戻すことに成功している。
このまま進めば国民平等軍は物資不足に陥って壊走する。
そう予測が立てられていたのだ。
大尉が翌朝一番で報告書を提出する為に、しっかりと不備が無いことを確認して読み返しをしていた頃。
セギュール大将も、この予測を基に現地の最高司令官として部下に作戦立案を検討させたりしていた。
石炭の産地を既にフランス軍が制圧していることで、蒸気機関に欠かせない熱源を確保したも同然であった。
掘削機を使って炭鉱を掘り進み、貨物船に積みこんでフランス海軍が護衛する。
これまでに少なくない石炭がフランス側に渡っていることもあって、国民平等政府の工房にもダメージを与えている。
……いや、本来であればイギリスの資産だ。
フランス軍は鉱山地帯の占領と保護を行っているが、鉱山や炭鉱の資源持ち出しについては保全対象外となっている。
フランスとしての名目上では、イギリス海軍等の軍事物資に還元する為に資源採掘をしていると明言している。
「イギリスの植民地政府は王政に忠誠を誓っているから、そうそう破られるようなことはないだろう……あとは、いつまでに決着がつくか……」
作戦案をまとめた頃には夜の11時を過ぎていた。
そろそろ夜間巡回の歩哨が警戒の為に任務を交代する頃合いだ。
セギュール大将はひと息つくことにした。
働き詰めでは息が窒息してしまいそうだからだ。
瓶に詰められているコルク栓を抜いて、グラスにワインを注がせる。
ここ最近の職務では酒を飲む楽しさが増えてきたのだ。
イギリスではフルーツが育ちにくい気候であるがゆえに、ワインなどは高級品として流通していたのだ。
今宵のワインとお供するつまみは、酢漬けされたニシンをピクルスで巻いたロールモップスと呼ばれているものだ。
いずれも保存食及び携帯兵糧食として海軍向けに納入された代物であり、兵士達からも評判の良いおつまみであった。
「ふむ……ワインに酢の効いたニシンのロールモップスとは……相性はまずまずだ。本来であれば魚料理には白ワインがいいのだが、ここは戦場の最前線だ。贅沢なことは言ってられないな」
ロールモップスを一口。
酢の香りで目が覚めていく。
とはいえ、夜更かしをするつもりはなく、これからイギリスはどうなるのかセギュール大将は考えていた。
軍部の対立に、庶民の求心力の低下……。
かつて七年戦争でイギリス軍と対峙し、捕虜になった経験があるセギュール大将にとって、イギリス全体の凋落っぶりには頭を抱えるほどであった。
安価な大麦を使った蒸留酒であるジンが下町で出回っていて、占領した際にもアルコール依存症の患者が多くいることを嘆いていたほどだ。
セギュール大将がエクセターを占領してまず初めにやった仕事が、アルコール依存症患者を治療する施設の割り振りであった。
「こんな未来も見えない状況では暗くなるばかりだ……下町ではアルコール依存症になっている者が多くいると聞く……酒とは程々に飲んで酔いを楽しむもの……嘆かわしい限りだ……」
水やミルクよりも安価故に、ジンを飲んで酔っぱらってしまうという悪循環。
新大陸動乱によってイギリスが失ったものは領土だけではなく、人々の心の余裕であった。
余裕が無くなればなくなる程、視野が狭くなってしまう。
かつて、パリでも悪臭が漂うほどに排泄物の処理が追いつかず悪化するばかりの時期があったが、それ以上にイギリスの経済状況はよろしくない。
戦場に赴いて心を病んだ兵士達は、国民平等軍に入隊するか、もしくは諸外国に亡命する道を選んだ。
今のイギリス陸軍は兵士の質は新大陸動乱の時よりも圧倒的に劣っていた。
恩赦と引換に兵士になった囚人達の狼藉行為が頻発し、かえって国民平等政府の支持を取り付けてしまう有様であった。
辛うじて海軍の残存艦隊は諸外国軍と協力姿勢を見せているものの、それがいつまで続くかは分からない。
海軍将校の中には王国政府を見限って植民地政府で独立を図ろうとしている者がいる、という噂が流れているぐらいだ。
「今は……まぁ、まだ落ち着いて対策を考慮しておくか……」
仮に、国民平等政府を倒したとしても、イギリスは再度立ち上がることが出来るのだろうか?
セギュール大将は、何とも言えない不安を実感しながら、早く戦争が終わってほしいと願うのであった。




