184:Fashion1774
中々小説の改稿が思うように進まないので初投稿です
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1774年4月29日
第一回:国際フランス服飾見本市は大成功で幕を閉じた。
一週間見本市は開かれたが、国王が主催して国の内外から人々を受け入れて行われた見本市ということもあってか、想定されていたよりも多くの人々が押し寄せた。
結果的に見本市が開催されていたブルボン宮殿には一週間で述べ3万9千人の人々が一般入場し、このうち初日だけで1500件もの服飾品の注文が行われたこともあり、服飾業界では大量のドレスや服が発注されて一種の特需とも呼べる状態を発生させたのだ。
後世では『服飾見本市に出展した店は三ヶ月間は休みなし』と言われるまでに発注が行われたと記される資料が残されている。
特需景気状態となった服飾業界はフランス国内外で注目を集め、ウィーンファッションショーやロンドンドレス展覧会といった具合に、各国の服飾を刺激してそれぞれ独特なデザインや素材にこだわった服飾店が登場する。
フランスでは帰国したユグノー派の服飾関係者によって創設された『ナント・コンセプス』がネーデルラントの服飾技術を取り入れて開発した庶民向けの奉公服が飛ぶように売れるようになった。
これは第一回:国際フランス服飾見本市において先行発売が行われた際に、飲食店の関係者が挙って購入をしたほどであった。
ルイ16世自らがデザインの設計に関わっていたのではないかと密かに囁かれていたが、記者たちはその証拠を掴むことは出来なかったという。
この奉仕服は「メイド服」という愛称で呼ばれ、主に喫茶店などの飲食店や貴族の屋敷で働く奉公人を中心に働く女性向けに販売される。
すでに発明されて実用化もされていたエプロンを、より美しく装飾を施した上で洗濯などをしても衣類が痛みにくい素材を使用し、価格も庶民層でも購入できるように低価格に抑えられていたことから注文が殺到。
見本市では累計900着分の注文が入り、見本市での噂を聞きつけた人々によってさらに追加注文として2000着分が注文されたのだ。
ナント・コンセプスだけでは製造が追いつかなかったこともあり、近隣の服飾業界と提携して奉公服を生産するようになる。
1774年度のベスト衣装として後に賞を取ったメイド服は、国内外向けの奉公服として生産されるようになり、後にフランスを代表する衣装となる。
また、見本市での成功によって服飾関係の仕事を営んでいる者達は次回こそは見本市に参加するべく腕を磨いたり、店の提携を行っている者はより人々に注目されるようなデザインの服を産み出すようになるなど、衣装に関する知識や技術の発展が著しく伸びていく。
特に服飾産業にとっては第一回:国際フランス服飾見本市が行われた前と後では全くと言っても過言ではない程に、形態様式が異なるようになる。
これは、予想されていた以上に国内外から関心が集まったことが大きな理由である。
スペインやオーストリア、オランダ、プロイセンといった国々は現在大きな戦争などを行っておらず、新大陸での動乱騒ぎで鎮圧を行っているイギリスを除けば、そうした服飾に関して関わることの余力が残されていたことも挙げられる。
戦争がないことで、必要以上の軍事費の支出もないこともあってか経済的にも好景気に恵まれていたのである。
好景気だけに財布のひもも緩くなり、特に低価格ながらも生地のしっかりとしたフランス製の服飾品は庶民層を中心に飛ぶように売れたのだ。
特にフランスではブルボンの改革以来、好景気が続いてきたことも功を奏して服飾品の需要が右肩上がりで増えていった。
女性は美しく、身体のラインがくっきりと見栄えするセクシャリティーな服が上流階級向けに、手ごろな価格帯でありながらもデザインに優れた服が庶民層に広がっていき、1774年末までに前年度に比べて服飾品の需要は実に35パーセント以上も上昇したのだ。
さらに、フランスの服飾品の需要を伸ばした理由については、ルイ16世が積極的に推進していた紡績機や工場を国内に大規模に導入した事が挙げられるだろう。
それまでは糸車を使った手作業の工程が主流であり、服というものは高級品のような扱いを受けていた。
実際に紡績機が登場するまでの間は、生産能力も限られていたこともあって服の値段というのはかなり高いものであった。
しかし、イギリスの発明家であるリチャード・アークライトが生み出した水力を利用した紡績機は従来の糸車を使用したものよりも数倍以上もの生産能力を有した。
さらにこの当時では革新的ともいえる紡績機工場を国が主体となって建設した事で、まとまった紡績機を運用して生産が行われたのである。
フランスはイギリスからライセンス契約を行い、セーヌ川やロアール川、ローヌ川など川に面した場所にそれぞれ4つの工場を建設し、1773年6月から建設が済んだ工場から順次水力紡績機を稼働させたのである。
工場はそれぞれ国が建設費用を支出し、民間からも出資者を募って行った事業でもある。
これにより繊維の供給を1774年の上半期までに2割以上上げる事と服装の製作コストを下げることにも成功しているのだ。
勿論、まだ糸車を使っている製糸業者もいるため、そうした人達の職を一気に失わせないために今後3年間の生産量を決められた量までとする「紡績数量規制法」を制定し、こうした製糸業者向けに紡績機の導入を支援する動きも同時に行われた。
こうした業界の発展と保護を布告した事により、新技術導入に異議や反対をする者はほとんどいなかった。
また、各地に建設した製糸工場は蒸気機関を大々的に取り入れた上で稼働された代物であったために、パリやその周辺だけではなくフランスの地方都市にも蒸気機関の重要性が伝わるようになる。
一つの工場に述べ数百人に及ぶ作業員が雇われた事で雇用が生まれ、さらに工場周辺には雇われた作業員の住宅や飲食店も建設されていき、工場周辺の活性化にも繋がる事でメリットが大々的に取り上げられるようになったのだ。
しかしながら、この第一回:国際フランス服飾見本市で課題が見受けられた。
来年の1775年度に開催予定の第二回目のフランス服飾見本市はブルボン宮殿よりも場所の広いルーヴル宮殿とテュイルリー宮殿で執り行われることが決定された程だ。
それだけ複数のトラブルが発生したのもまた事実である。
その中でも大きなトラブルがルイ16世が危惧していた窃盗団の存在であった。
ルイ15世統治時代にヴェルサイユ宮殿内部に窃盗団が紛れ込んで盗難事件が相次いだことが知られていたが、この窃盗団対策として入場規制や持ち込みの検査などが行われた。
そして案の定というべきか、これらの検査で窃盗が発生していた事が発覚し窃盗団数名が逮捕される事案が起きたのだ。
逮捕されたのはパリを中心に財布や貴金属類を盗むことに長けていた窃盗団であり、判明しているだけで10万リーブルにも及ぶ被害を出していたのだ。
以前から警察が目を付けていたものの、捕まえることが出来なかった。
目撃者からの証言などから、小柄な人物だったことで【黒鼠】と称して捜査をしていたが、彼らはあっさりと捕まってしまったのである。
捕まえた彼らを尋問したジョセフ・サン・ジョルジュは、この窃盗団が女性を中心に構成されていた事に驚いたのだ。
一番背が高い者でも150センチにも満たない。
一番低い者では130センチ前後と、子供と変わらない程に小さかったのだ。
窃盗団の頭領を務めていたのは26歳のアイリーン・ハドスンという女性であった。
「アイリーン・ハドスン……出身はイングランドか?」
「ええ……でも捨て子よ。7歳の時にナントの商人の家に引き取られたけど……そこで慰み者として利用されて……ひたすら乱暴されたの……16歳の時に家を飛び出してから窃盗団に入ったわ」
「それは、辛い過去を背負っていたのだな……窃盗団ではどんな事をしていたんだ?」
「主にスリや置き引きね……意外かもしれないけど、自分は大丈夫だと思い込んでいる若い男は引掛けやすかったわ。色気で騙しちゃうから……ここに来たのは大金を稼げそうだったから来ただけよ」
置き引きやスリを行いやすいという理由でブルボン宮殿にやってきたが、予想以上にセキュリティーがしっかりとしていたので、計画を変更して荷物預かり所で荷物を預けた貴族の婦人から預かり所で引換券として受け取った番号が印字された紙を盗み、そして預けた荷物を頂こうとしたのだ。
理由としてはそれなりの裕福そうな服装で貴族を装って荷物を取りにきたのだ。
怪しまれずに済むと見込んだのもあるし、実際に貴族の婦人から引換券を盗むところまではうまくいっていたのだ。
読み書きができるメンバーで唯一識字ができる少女が受け子をしたが、彼女は大きなミスを二つ犯した。
一つは預かり所で番号を「1691」なのに「1961」と答えたことと、もう一つは預けていた人物の名前のスペルを間違えていたのだ。
「テレーゼ」と答えるべきところで「エリーゼ」と名乗ってしまった事で、引換券で渡された名前と番号に矛盾が生じた。
それがセキュリティー対策として導入していた荷物預かり所で、名前と番号が一致せずに不審に思った係員からの通報で取り押さえることが出来たのだ。
アイリーンは不審に思われたと察して逃げようとしたが、周囲にいた内国特務捜査室の職員に取り押さえられ、彼女の仲間も迂闊に逃げることが出来なくなり、係員や警備の者にあえなく御用となったのだ。
以前であれば杜撰といっても過言ではない程のセキュリティーだったが、国際的な大規模イベントという事で事前に係員などがそうした窃盗対策の訓練を積んでいたのだ。
アイリーンが逮捕されて、取り調べを受けている際にも彼女は観念したのか窃盗団が行ってきた数々の悪事を自白した。
勿論、罪が減刑される事を条件として喋っているので嘘を言う事もできない。
他の仲間にも確認と取って証言が真実なのか聞かなければならないからだ。
仲間も減刑目的で罪を自白し、それらの証言を照らし合わせて嘘や辻褄が合っているかどうか確認する作業に追われることになる。
その中でもアイリーンの交際相手である男が4年前にヴェルサイユ宮殿において窃盗の犯行現場をルイ16世に目撃されて咎められた際に、傍にいた香水屋の夫人を突き飛ばして逃走した男であることが判明したのであった。
「他に窃盗団の仲間はいないのか?もしいるのを正直に言えば減刑をするように取り計らう事を約束しよう」
「そうね……この窃盗団を立ち上げたのは彼氏よ。今もまだアジトにいるはずよ……彼は昔、王様を以前突き飛ばしたとかで自慢していたわ……あれを自慢と呼べる人間なんてそうはいないと思うけど……」
「何、国王陛下を突き飛ばしただと?それはいつの話だ?」
「4年前だって聞いているわ。なんでも盗んだところを目撃されて捕まえられそうになったから傍にいた人を突き飛ばして逃げたって……」
「なんだと……あの事件は未解決のハズ……直ぐにその男が住んでいるアジトを教えなさい」
こうして思いがけない形で4年前の犯人が捕まることになったのだ。
偶然な巡り合わせとなったが、この一件は翌日の新聞にも取り上げられてることになり、パリを根城に活躍していた黒鼠窃盗団は瓦解したのであった。
次回はアントワネットの出産回にしますので初投稿です




