134:医療へのメス
サンソン兄貴が主体となって行っている実験はまだ途中ではあるが、これだけ感染症に罹るリスクが軽減できるだけでも大収穫だ。
やはり熱処理は大切だってこれでハッキリわかる。
医学的にも、科学的にも十分に微小動物こと細菌やウイルスが人体にもたらす影響を示すデータになるだろう。
このデータだけでもフランス医学会に叩きつけてやるぜ!……と思ったのだが、サンソン兄貴はフランス医学会がこれを認めないかもしれないと語りだしたのだ。
「陛下、先程語った怪我をした箇所を熱処理を施したタオルや器材で治療とした場合と、従来通りの方法の方法で治療する際に感染症や致死率に関わる話ですが……もしかしたら医学会は認めないと突っぱねるかもしれません」
「えっ、それはどういう事かね?ちゃんと科学的な情報もあるんだろう?熱で人体に有害な微小動物を殺しているからこれだけでも十分に良いハズだが……」
「はい、確かにこれだけでも科学者からは有益な情報だと思いますが……残念ながら今の医学界隈というのは教会の力が強いのですよ。術後の予後が良かったとしても、イエス様のお陰で治ったとか微小動物のせいではなく身体が丈夫か否かで判断してしまうので微小動物の事は片隅に追いやられてしまうかもしれません」
「……これだけ科学的な事を書いても医学界は認めない可能性が高いのか……」
「残念ながら……」
サンソン兄貴は申し訳なさそうに答える。
フランス医学会だけではなく、これはこの時代のヨーロッパ全域でも同じような対応になってしまうだろうと語っていた。
単純に見ても熱処理を施したタオルや器材を使った術後の感染症発症率は3分の1にまで減少している。
それも6名の医師のデータだ。
場所もパリ市内の別の場所……客観的な情報でもこれは正しいと思うだろう。
しかし、フランス医学会ではそうは行かないらしい。
まだ医学会には科学よりもキリスト教などの宗教的な力を重視する傾向が強くて微小動物の事をもっと結びつきを強めて説明をしないと理解してもらえないようだ。
国王の命令で熱消毒の大切さを語っても、医師たちが実行しなければ役に立たないというわけ。
となれば微小動物……微生物学に関する論文もセットで説明をする必要があるのだ。
高等法院も似たような感じだったし、やはり宗教の力が及んでいたりしていると通説を覆させるのは難しいのかもしれない。
勿論、微小動物が多くいる環境が何も洗っていない手などであり、石鹸で手洗いをして熱処理を施したタオルで拭くと殆どいないことは分かってはいるのだ。
顕微鏡で観察した科学者のレポートがあるからね。
それでも目に見える形で出さないといけない。
レポートなども既に記載しているようだが、それでも頭でっかちな医学会は認めるのを渋るらしい。
どこぞの国の厚生労働省かな?
「微小動物が如何に多いか視覚的な説明をして彼らを納得させるしかないのか?」
「はい、恐らく直接見て確認が取れるようでしたら、医学会も納得するでしょう……」
「うむ、微小動物を直接見れるようにするために必要な事か……」
うーん……微小動物……微生物……。
あんな小さいものって肉眼で確認できるっけ?
大きい細菌とかなら顕微鏡で確認できるが、ウイルスに至っては電子顕微鏡でないと観察できないしな……目に見えて分かるようにする方法か……。
ばい菌やウイルスが付着した状態と、そうでない状態の差を分かりやすいように見せればいいのだろうか?
微生物学って確か真菌類もこの中に当てはまるんだっけ?
カビの類であれば一番分かりやすいかもな。
「サンソン……君は毎日パンは食べるかい?」
「え、ええ……毎日食べていますが、それが微小動物と関係あるのですか?」
「勿論だとも、パンを使って微小動物の事を証明できるかもしれない。安上がりだけど、もっとも分かりやすい方法を思い付いたんだ」
現代の医学調査だと、スマートフォンやパソコンのキーボード辺りは洋式トイレの便座カバーより雑菌類が繁殖しているというニュースをチラホラ目にしたので、そうした汚れやすい場所を触った手で食パンに触れるのと、石鹸で汚れを洗い流した上で熱処理を施したタオルで拭いてから食パンを触った後に一週間ほど経過観察してもらったほうが効果が一目でわかるだろう。
理科の実験とかだと寒天を使って細菌やウイルスの培養を行うのだが、この時代は寒天という食べ物は実は日本でしか開発されていない。
第二次世界大戦時まで日本は世界でも寒天の生産がトップで、科学の実験用として国内外で使われている程に貿易の輸出品として有名だったとか……。
そんなわけで寒天培地という手段も頭に浮かんだが残念ながらそれはキャンセルだ……。
寒天の作り方とか分からないしな……。
「手洗いなどをせずにパンに手を触れるのと、石鹸で手を洗って熱処理を施したタオルで拭いてからパンに触れるのとでは雲泥の差があるはずだ。恐らく手洗いなどをせずに触ったパンが最初に腐るだろう。それを見せれば医学会の頭でっかちでも分かるはずだ」
「つまり、パンを使って微小動物を繁殖させるという事ですか?」
「そうだ、同じ釜で焼いたパンを使って同時実験を行えばいい。そうすればパンにどれだけの微小動物が付いているのか肉眼でも分かる。最も分かりやすい手法だとおもうけどね……」
肉眼で確認できる手法といえば、これしかないだろう。
それにパンであれば医学会の連中も未知の物ではないと理解してもらえるだろうし、手に付着した微小動物こと細菌やウイルスによる感染リスクを減らせるという事も知ってもらえるかもしれない。
微小動物の事はこの案でやればいい。
(それでもだ……やはりフランス医学会には強烈なパンチを喰らわせてやらねばなるまい、勿論物理的手段じゃなくて視覚的な意味合いも含めてだ……これと同時にやはりサンソン兄貴にあの大役を任せるしかない!)
さて、ここまでは現在サンソン兄貴が主体となって研究している内容の話だが、そろそろ本来の目的である交渉に関する本題に入ろうじゃないか。
一回だけ咳払いをして話題を切り替える。
「ンンッ!それと……サンソン、貴方と交渉をしたいのだが……それもいいかな?」
「交渉ですか?」
「ああ、この研究をフランス医学会に提示しても彼らが認めなかった場合、俺は今年の9月までに『フランス衛生保健省』を発足させるつもりだ……その際にサンソン、貴方の記した医学書を衛生保健省の公認医学書として全国の医師に配布したい」
「なっ……それは本当ですか?!」
思い切って言ってやったぜ。
そう、俺が密かにサンソンノートと呼んでいるサンソン家秘伝の医学書だ。
残念ながら頭でっかちでアンポンタンな日本の厚生労働省(特に幹部)並に、頑なに首を振らない前時代的な医学会なんて潰れてしまえと感じている。
サンソン兄貴の功績を認めないばかりか、処刑人であるという理由で医学会への参加も認めなかったんだよねあいつら。
俺がそうした身分差別はよろしくないからと、医学会に交渉して入れて貰ったけど……やはりあの学会は腐ってやがる。
そんなことなら、医学会よりも公的権限を持っていて国がお墨付きを与えている医療機関を作ればいいんじゃないかと思い、現在ハウザー氏を始めとした国土管理局のメンバーで衛生保健省の草案を練っている所だ。
で、草案するにあたって重要な事が浮かび上がってきた。
それが衛生保健省の公認する医学書についてだ。
従来の医学書というのは、まぁ基礎的な事はいいのかもしれないんだが、医学が発展途上な上にいい加減な治療法というものも存在している。
そんないい加減な治療方法が基本として出来上がってしまっているのは大変よろしくない。
正しく、しっかりと病気や衛生管理を調査して管理する省の設立が必要だなと思っている。
そして衛生保健省の設立は、フランス人にとっても今後の出生率や医学の発展の為に必要不可欠だ。
「陛下は私の医学書の事をご存知だったのですか?」
「勿論、国王であるこの俺に知らないものはあまりないから。サンソンの事だから詳細な実験を記したノートがあるのではないかと思ってね、現実的で優れた医術を持っていると噂で聞いている。今のフランス医学会の記されている治療方法よりは遥かに役立つものだろう。違うか?」
「……陛下は私のことをお見通しのようですね……我々サンソン家は処刑人の家系です。処刑人の一族は医者に診てもらう事も出来ませんでした。我々サンソン家は処刑した囚人の身体を解剖したり、拷問刑に処した者の治療を行って独自の医学書を作り上げてきました。父、ジャン・バチスト・サンソンが脳卒中で倒れて以来、私は診療の内容を医学書にまとめてあります。それを公認の医学書として本当に使用するのですか?」
「ああ、データとしては申し分ないからね。それにサンソンが刑の施行後に医療を施した人は生存率が高いからね。貴方の記した医学書……いや、サンソン家の集大成が詰まった医学書はフランスだけでなくヨーロッパでも大いに人々の医療を発展させることが出来るだろう」
サンソン兄貴に猛烈なプッシュを仕掛ける。
実際に変な宗教まがいの医療よりは圧倒的に信頼できるデータでもある。
後世における歴史書やゲームなどでもサンソン兄貴の事を悪く書いている資料よりも、むしろ革命という時代のせいで彼の信念であった人道的な処刑方法として考案されたギロチン刑で、彼自身が敬愛していたルイ16世を含めて多くの囚人を処刑するという結果にもなってしまった事を悲劇として捉えている。
そうした悲劇に見舞われた彼は晩年までルイ16世を処刑したことを悔やんでいたという。
ここではそうした悲しい想いさせたくないしね。
個人的に尊敬しているフランス人ベスト5に入っているのもあるけど、この人は優しくて紳士的な人物だ。
彼を医療の立役者として大々的に宣伝することで、処刑人としてのイメージを変えていけるチャンスでもある。
サンソン兄貴は暫く考える素振りをして、3分ほど時間を掛けて返答してくれた。
「分かりました。陛下がそうお望みであれば医学書の提示を行います」
「ありがとうサンソン!ありがとう!」
「どれほどお役に立てるかは分かりませんが……陛下の為に全力を尽くします」
サンソン兄貴から承諾を貰い、俺は嬉しさのあまりサンソン兄貴の手をガシッと掴んで握手をした。
これでフランスの医療は進むぜ!ヒヤッホォォォォイ!
サンソン兄貴は目が飛び出すぐらいに驚いているけど気にしない、気にしない。
こうして、フランスの医療を発展させるためにサンソン家秘伝の医学書の公認及び使用を許可する方針で政府がまとまることになったのであった。




