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1019:亡き弟の為に(上)

★ ★ ★


1796年7月10日


ネーデルラント連邦共和国 首都ブリュッセル 復興広場


現在のネーデルラントは連邦共和制を採用しているが、王室も存在している。

その中でも、ルイ16世の娘であるテレーズ妃が嫁いだ先であり、そのテレーズ妃にとって弟であるジョゼフ王太子が逝去されたことにより、悲しみのムードが漂っていたのだ。


無論、このブリュッセルの人々にとって弟のジョゼフが来訪したことは一度もないのだが、彼が福祉関係において活躍しており、フランスだけでなくプロイセン王国との戦いによって戦火に巻き込まれたハーグなどで貧民窟とされている地区においても病気に苦しんでいる子供たちのために、定期的な医療支援を行っていたニュースなどが庶民でも認知されていたのである。


「王妃様の弟様がお亡くなりになられたとは……」

「何でも、フランスだけではなくネーデルラントにも支援の手を回してくれた御人だったそうだ。慈悲深く、それでいて天使様のように優しい御人だったとか……」

「そのような御人がなぜこうも早世されてしまったのか……」

「公式の発表では流感で患った喘息が肺炎となって容態が急変してしまったと書かれている。それに、病によってお身体が不自由になってしまったとも書かれているぞ……」


フランスでは、公式の場でシャルル王太子の死が伝えられた上で、その死因や最期には家族に看取られながら天国に召された事も伝えられ、国葬に参加した代表者からの追悼の言葉や、シャルル王太子が行っていた福祉の慈善活動なども紹介したのである。

その中で、フランス王室の収入の割合のうち、収益分の金額から傷痍軍人や障がいのある人への支援金や福祉に関する費用などを出していた事も包み隠さずに公表したのである。

これにはネーデルラント市民たちも驚いた。


「そのような事まで包み隠さず公表したのか……」

「今のフランスでは王室の事は隠し事はせずに、王室関係で使われた予算や収益などを公表し、そして収益で利益を得られた金額の半分を傷痍軍人や身体の不自由な人のために寄付をしているそうじゃ」

「そうだったのか……それに、傷痍軍人への支援はルイ16世陛下自ら進めている政策だと伺っているが……ジョゼフ王太子殿下の尽力もあったのだな……」

「病でお身体が弱かったからのう……それで自分よりも辛い境遇にいる人への手助けがしたいと申し出ておったそうだ。本当に、ご自身の病も抱えた上で他の人を救おうと尽力為さっていたようじゃ」

「それに、テレーズ王妃様も今回の一件で喪に服しているそうだからなぁ……王妃様にとっては大事な肉親だったはずだ」

「ああ、国王陛下も喪に服すことを認めたそうだし、今はテレーズ様はそっとしてあげよう……」


紹介の中で、ネーデルラントへの医療支援の話などもきめ細かく伝えられており、さらにネーデルラント政府も公式にテレーズ妃が弟への弔意を述べたうえで、国民にむけた談話の中でフランス政府を通じてネーデルラントの貧民層に向けた医療支援に携わっていたことが公開され、それによってジョゼフ王太子の功績を知ることになった者達が、最大の支援者であったジョゼフ王太子の死を悼み、悲しんでいたのである。


その中でも、テレーズ妃の悲しみは深く、彼女は夫である国王に喪に服したいと願い出て、それが許されたのだ。

歳も近く、良き弟として可愛がっていた彼女にとっては、史実よりも健康で長生きできるのではないかと期待していたのだが、二十歳を迎えてすぐに急逝したことにショックを受けていたのである。

実の弟の国葬に駆けつけたい気持ちを抑えて、彼女は宮廷内にある礼拝堂にて、ジョゼフ王太子の冥福を祈った。


「それで、手向けの花束を買ったのは貴方も一緒か」

「うむ、自国だけでなくネーデルラントにも救いの手を差し伸べてくださっていた御方が亡くなってしまうのは悲しいことだ。それに、本人は公表するのを伏せておったそうじゃ……せめて、こうして手向けの花束を渡して別れを惜しむのが礼儀じゃ」

「そうですな……我々市民にとって弔意を示す機会はこれぐらいしか出来ませんからね……」


自発的に市民が花を手向けたいとフランス大使館前に願い出て、献花台が設置されたのである。

ただ、その献花台に備えられた花束も量が多くなり、大使館前だけでも大量の花束が置かれたことで急遽場所を変更して、プロイセン王国との戦いの後に出来た復興広場にて献花台が設けられたのである。

ネーデルラントの中でも南部地域に住んでいる住民がこの献花台に足を運んだのだ。

その多くがプロイセン王国との戦いで家を失って戦争難民になった人々であったり、戦いに参加して手足を失った傷痍軍人の姿も多く見られた。


彼らは戦争によって傷つき、肉体的にも精神的にも苦しみを味わっていた人達である。

戦後の復興が進んだ後も、傷痍軍人や戦争によって身体に障害が残ってしまった人達へのケアを推し進めて支援を行っていたジョゼフ王太子への想いは一つであった。


そして、ネーデルラントの経済界にとっても、フランスの支援があったからこそ復興を遂げることが出来たのである。ロッテルダムなどのネーデルラント北部地域……史実ではオランダが領有している地域の大部分が戦火によって焼失や破壊といった行為が行われ、ネーデルラント北部地域の被害は甚大であった。

その甚大な被害地域に支援を差し伸べたフランスに対する感情は良好なものとなり、以前プロテスタントの一派に属しているカルヴァン派を追放して一時的に険悪な仲だったころとは大きく変わっている。


フランスの王室関係者であり、ネーデルラントへの支援を行っていたジョゼフ王太子が亡くなった事を受けて、ロッテルダムでは亡くなったジョゼフ王太子に敬意を表するために建物を作ることにしたのである。これは最初こそ市の関係者が予算不足を理由に難色を示していたが、ネーデルラントの貿易会社や複数の商工会などが連名で資金援助を行うことを表明し、ロッテルダムの中心部で空き地となっている場所に建設計画が持ち上がったのである。


それが高さ50メートルにも及ぶ巨大建造物である『不屈の炎』と呼ばれている建築物だ。

一時的にプロイセン王国の占領下となった地域だけに、この地域ではプロイセン王国軍の中でも過激と称された薔薇十字団によって不当に逮捕・勾留されてそのまま亡くなった犠牲者が数多くいる地域でもあるのだ。人口密集地だったこともあり、戦火によってロッテルダムの多くが被災し、戦後から十年近く経過するも、その多くの地域ではまだ戦争の傷が癒えていないのだ。


そのため、不屈の炎はプロイセン王国による占領下でも耐え抜いた人々のシンボルであると同時に、ジョゼフ王太子がネーデルラントの為に尽くしていた事への感謝を示す印としてモニュメントとなって何世代にもわたって子孫に意思を示す目的も含まれており、この建築物は1796年末から建設が始まったのであった。

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