1018:国葬
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1796年7月6日
フランス パリ ノートルダム大聖堂
先ほどからジョゼフ兄さんの国葬が行われております……。
兄さんが僕よりも先に旅立ってしまった事は残念でなりませんが、ジョゼフ兄さんがやり遂げようとしていたことは生前に渡されていたノートに記されていました。
父さんから王位継承を授かって、次期国王として社会福祉の分野で力を入れると考えていた兄さんらしく、既に病気や生まれつきの障がいを持っている人達への支援として、車椅子やギプスなどの福祉器具を貸し出せるサービスの事業展開なども行っていたのです。
これは両親と一緒にジョゼフ兄さんの部屋の後片付けをしていた際に見つけ出した資料で、主に仕事用として割り振られた中から見つけ出した。
その中で、今後の事業で必要な資料なども一式に纏めてあったので、引継ぎも兼ねて当面はジョゼフ兄さんと一緒に仕事をしていた事務員の人を担当に置いて公務を続行させることになった。
仕事でもプライベートでも、ジョゼフ兄さんは色々と手を広げていた。
それは僕が思っていた以上に複雑で、将来の事を考えて手広くやっていたものも多い。
兄さんは流感が原因で喘息を発症し、それから背骨も曲がってしまう病気も発症してしまった。
それが原因で、福祉関係の方に力を注ぐことに注力していたようだけど、兄さんの事を考えればそれは理にかなっているようにも感じる。
福祉関係で世話になった代表者であるノアイユ夫人が出てきて挨拶を述べた。
彼女は冒頭で、ジョゼフ兄さんが行っていた福祉関係の仕事に深く関わっていたのです。
元々オルレアン派と親しかったそうですが、父さんを政界から追い出そうと画策したのが発覚して以降は、派閥を鞍替えして改革派として振る舞っております。
父さんも最初こそは警戒をしていたそうですが、ジョゼフ兄さんが福祉関係の仕事に注力をするようになると、それをサポートすることを買って出たのです。
時折声を詰まらせながらも、夫人はジョゼフ兄さんの事を語りました。
「ルイ=ジョゼフ・ド・フランス殿下は……如何なる時も、家族や国民を想い、そして優しく励まして下さっていた御方でした……彼にはまだやるべき事が多く残されておりました。殿下の志にしていたフランス国民への福祉政策も、今、その実を咲かせようとしております……殿下のご尽力があってこその必要な改革の達成まですぐそこまで来ているのです……!」
夫人の言葉には、同じくフランスを良くしようと考えて行動をしていた節が伝わります。
最初は下水関係の事業に乗り出し、国民の生活環境を変えるためにも清潔な街づくりを推し進めた父さんの「下水処理整備計画」に実費を通じて管理などを行って環境改善に貢献したのです。
その計画が実施されたお陰で、パリの街は汚物溢れる不衛生な都市から一変し、下水処理を執り行う業者によってし尿処理が行われる仕組みが出来上がったと言われています。
今こうしてパリの街で国葬を行っている際にも、不衛生な臭いがしないのも父さんだけでなく、改革派の協力などもあってこその成果なのです。
今までは信じられませんでしたが、サンソン先生や他の閣僚の人達から聞いた話では、あまりにも汚水処理が間に合わずにパリ中で窓から投げ捨てられていた程に最悪な状況だったと聞いております。
それを改善したのが父さんが発案したのが業者が回収するたびに住民にお金が入る仕組みを作ったそうです。
それまで捨てられていたものがお金になるとなれば、人々は捨てるのを辞めて石灰などの臭い消しなどを買って業者に引き渡していたのです。これによってパリは劇的に改善し、集めたし尿を発酵して堆肥にしてチューリップなどの花の堆肥に使っているんだとか……。
これ以外にも、父さんは身分制度による納税免除義務の廃止であったり、それまでは守旧派によって阻止されていた政治改革を推し進めたのが父さんでした。
時には反対派の貴族や有力者によって命が狙われたり、暗殺未遂などが起こったことがあったそうですが、それでも父さんは脅迫や暴力に屈せずに改革を推し進めたのです。
結果として、万年財政赤字が続いていたフランスも国庫収支は黒字になっており、すでに国が背負っていた債務も返済し終えたそうです。
兄さんは、そんな父さんや改革派の人達の様子を見て志を胸に秘めていたのかもしれません。
いつか自分も立派な成果を出して貢献できる大人になりたい……。
そう思っていたんだと思います。
兄さんは今、棺の中で安らかに眠っている。
いつまでもゆっくり過ごして生きていたいと生前に言っていたけど、もっと後にゆっくり過ごしていればよかったと思ってしまう……兄さんの容態が急変しなければ、僕がジョゼフ兄さんを支えて生きていくことも出来たんだけどね……。
だけど、そうはならなかった。
葬儀が始まる前に、複数の改革派の人達が会談をしている場面を見ましたが、その中でもジョゼフ兄さんと関わっていた人達は重く苦しそうな表情で語り合っていた。
「ジョゼフ殿下もこれからという時に……」
「ああ、あの方は改革派でも既に福祉関係で携わっていた御人だったからな……このような形で早世してしまう事はあまりにも惜しい……」
「今後の福祉関係は陛下に進言して執り行ってもらうしかないのか……」
「陛下は慈悲深い御方だ。ジョゼフ様が行っていたことを説明すればご理解してくださるよ」
「あの御方があってこその福祉だ。それをしっかりと説明しなければならない……」
ジョゼフ兄さんと深い関わりを持っていたのは病院などを運営・管理する衛生保健省の人達であったり、福祉用具などを設計している技師の人達であった。彼らは改革派に属しており、技師の人達に至っては組合を立ち上げてジョゼフ兄さんが融通してくれた資産を使って、車椅子だけでなく義手や義足、さらに生まれつき歩行の補助が必要な人に対して専門の器具を使って日常生活を送れるようにしている人達です。
特に、傷痍軍人や障害のある人達に対しての支援を行っている事もあって、ジョゼフ兄さんは彼らの支援を援助するべく国庫の予算から金額を割り振って与えた上で、研究成果などを報告するようにしておりました。
身体が生まれつき不自由な人や、戦争や事故等で身体に怪我を負って歩行障害などを背負った人達への支援などもジョゼフ兄さんが父さんに頼んで支援拡充のために根回しをしてくれていたのです。
(僕は兄さんのように立派になれるのだろうか……)
ジョゼフ兄さんの考えていた事までは完璧には分かりませんが、それでも父さんと同じ改革派に入っていずれは社会的に立場の弱い人達の支えになる事を目指していたんだと思います。
王として……兄さんが王冠を授かって欲しかった。
ジョゼフ兄さんの遺志は必ず僕が引き継いでいきます。
そのためにも、僕はこれから進んでいかなければなりません。
兄さんの棺の前で、僕はジョゼフ兄さんの想いを胸に最後の別れを惜しみました。




