1017:旅立ち
「陛下、王妃様……!ジョゼフ様の容態が……!」
「わかった!すぐにいく!」
医師が部屋に入ってきて状況を説明する間もなく、ジョゼフの容態が急変したことを告げてきた。
やはり喘息と肺炎が悪化してしまったのだろう。
……いや、もしかしたら肺炎ではなく肺がんだったのだろうか……。
(慢性的な喘息だと思っていたが……肺がんという可能性も考えておくべきだったかもしれん……肺がんは呼吸器喘息と似たような症状も出るからな……もし最初から肺がんであったら、今までやっていたのは延命処置に過ぎないというわけか……)
喘息や肺炎はまだこの時代でも治療や治すことは可能性があるが、肺がんに関しては自然治癒力で治る病気ではない。
ガンを自然治癒出来るとか歌っている医者もいるが、基本的に化学治療を行って強力や薬や癌細胞に侵された部位を除去する外科手術を執り行わないと治すことが難しい病気だ。
まだ肺がんや食道がんなどは検査等で発見がしやすいが、すい臓がんなどは自覚症状が殆どないため、異変を感じて病院に行ったら既に末期だった……という例も少なくないのだ。
転生前に俺の友人がすい臓がんで命を落としてしまっている。
二ヶ月前までに元気そうに居酒屋で酒をがぶがぶ飲んでおいしそうにつくね団子などを食べていた奴が、次に病院にあった際には点滴に繋がれて緩和ケア病棟に入って治療を受けていた姿は忘れられない。
アイツから自室に飾ってあったオタクグッツなどを譲ってもらったが、結果として奴の忘れ形見になってしまった。
その時は身近でガンで亡くなるという事の実感が多少はあったが、それが自分の血の繋がった息子がそういった事態になっているとなると、心苦しい感じで一杯だ。
(もっと早くにガンの可能性を指摘していれば……いや、仮にそうだったとしても、外科手術でジョゼフから肺を摘出するなんて芸当は流石に出来ない。まだ安定した麻酔薬なども開発が進められてこそいるが、モルヒネとてあれは鎮痛目的であって、神経を一時的に麻痺させて行う全身麻酔手術を成功させた日本の華岡青洲ですら、全身麻酔薬を開発したのが1800年代初頭だからな……まだその薬すらないな……いや、浅間山大噴火によって変わっているだろうし、史実通りに薬作っているかも分からないな……)
ガンの摘出手術という話も考えたが、この時代で世界初の文献に残した全身麻酔を行った癌摘出手術を成功させた華岡青洲ですら、史実通りに進んでいた場合は麻酔薬に開発が進んでいない状態となっていてもおかしくはない。
特に、華岡青洲が執り行ったのは乳癌治療であり、摘出手術を行っても身体の構造上切除をしても健康的に問題がない部位であることに留意しなければならない……。
肺は人体にとって欠かせない臓器である上に、その肺のガン部分を切除したとしても、程度によっては全摘出をしなければならないケースもある上に、今のジョゼフの体力で手術をした後に乗り越えることが出来るかどうかすらも怪しい。
恐らく手術中に体力が持たない可能性の方が高まる。
間接性肺炎の可能性もあったが、症状の容態が悪化してきていることを鑑みれば、肺がんかもしれない。
それも、進行速度の速い肺がんであれば感染してから一気に広がるまでにそう時間は掛からない。
肺炎であれば助かる見込みはほんのわずかだがあったが……肺がんで末期となれば、そこから助かる見込みはゼロに近いだろう。
部屋に入ると、医師たちがジョゼフを必死に介抱していた。
背中をさすったり、モルヒネの服用などを行おうとしているが、ジョゼフの身体はもうすでに限界を迎えてしまったようだ。
呼吸音も荒く、見るからに状況は悪い。
医師でない俺からも、ジョゼフの容態はかなり危うい状況になっている事だけは分かる。
「ジョゼフ……!容態はどうなっているんだ?」
「先ほどから呼吸が乱れて吐血をしている状態です!すぐに複数の医師が手当てを行っておりますが……血を吐きだして止まりません……薬なども受け付けていない状態です」
「それは……容態は芳しくないか……?」
「その通りです……右の肺の呼吸音がかなり破けているような音をしております……症状が急変している状態であると見て間違いないでしょう……」
「……それでは……息子は、ジョゼフはもう長くはないのだな……」
ジョゼフの容態からして、あと一時間……いや30分持てば大の字といったところだろう。
ジョゼフの傍に駆け寄って右手を握る。
……冷たい、まだ生きてはいるが……それでも冷たい。
体温が低下している事は、身体の免疫機能が弱くなってきている証拠だ。
さっき会ったときは意識もあって、会話もこなすことが出来た。
だけど……今はそれが出来ない。
意識がない。
いや、あるにはあるが朦朧としている状態であり、目も見開いていて瞳孔が開いている状態だ。
既にジョゼフの身体は魂が抜けようとしているのだ。
アントワネットとシャルルは涙目になりながらもジョゼフに語りかけていた。
「……ジョゼフ!しっかりして!」
「ジョゼフ兄さん!僕が分かりますか!」
二人は語り掛けていたが、ジョゼフの呼吸は重く、苦しそうであった。
そして、一回深呼吸のように深く息を吐きだした後、ジョゼフの身体からゆっくりと力が抜けていくのを目の当たりにした。
これは明らかに亡くなった時の様子だ。
周囲にいた医師たちもジョゼフの瞳孔を見たり脈や心臓の音を確認しているが、その場に居合わせた全員がジョゼフが臨終したことを告げたのである。
「ジョゼフ王太子殿下ですが……只今、お亡くなりになられました……」
「……ジョゼフは最期まで弱音を吐かなかったのだな……」
「はい、最後に意識のあったときに『水が欲しい』と言っておりましたので、コップに注がれた水を一口お飲みになられました」
「水を欲しがっていたのか……少なくとも、最期は家族に見守られて亡くなったのだ……ジョゼフは病と戦い、そして最期まで諦めずに踏ん張っていたのだ。ジョゼフは強い子だ……よく頑張った……だから、今はゆっくり休んでくれ……」
ジョゼフが逝去した事は、フランス中に発せられるだろう。
今現在北米複合産業共同体との戦争が続いているが、戦争の状態であってもこのニュースは明日までには海外県を除くフランス全土に伝わっている頃合いだ。
(やはり、ジョセフは親よりも先に旅立ってしまったか……それでも、史実に比べたら十年以上は長生きしたけど、アントワネットやシャルルの動揺が激しいな……)
アントワネットやシャルルは嗚咽をしながらジョゼフの亡骸の前でワンワンと泣いている。
アントワネットは遺体を抱きしめて、シャルルはジョゼフの手を握って涙をこぼしている。
ジョゼフ、お前はよく頑張ってくれた。
お前がやり遂げたかったことの遺志は俺が引き受ける。
親子としての使命だけでなく、アントワネットやシャルルがその事を目的にお前の悲しみから少しでも慰めになってくれたらありがたい。
だからどうか今は休んでいてくれ……。




