1015:託すべきもの
「ぐっ……苦しい……薬を……」
「ジョゼフ、大丈夫か?」
「うん……薬を……鎮痛薬を……」
「はっ、ジョゼフ様……!こちらのお薬をすぐに……!」
医師が取り出したのは阿片粉とは別の結晶状の粉末薬であった。
粉末化した薬のようだが、どうも聞いた話によれば阿片から抽出した成分を加工して、鎮痛作用のある薬として効力を発揮できるようにしたものらしい。
その粉末薬を服用したジョゼフは直ぐに意識が遠のいて、落ち着いた呼吸音となって眠りについた。
「それで……ジョゼフは今眠ったのか……」
「はい、新しい鎮痛薬を服用致しましたのでしばらくは痛みを感じずに眠ることができるでしょう。体力を温存すればこの危機を乗り越えられるかと……」
「そうか……サンソンの指示であれば問題ないだろうし、恐らくこれが最善策なんだと思う。ジョゼフに万が一容態が急変した場合は直ぐに知らせてほしい」
「はっ、直ぐにお伝えいたします」
ジョゼフの容態は少しばかり安定したようだ。
阿片の服薬量は医師が定めた摂取量ギリギリまで調整しているそうなので、当面はそれで大丈夫だろう。
空気が張り詰めているが、医師たちも「呼吸が安定してきました」と言っているし、何かあればすぐに連絡をしてくれると語っていた。
アントワネットも少しばかりホッとした様子でジョゼフを見ており、眠っている姿を見て一安心したようだ。
どうも、この鎮痛作用のある薬は阿片ではなく全く別の新しい薬だとサンソンから伝えられたので、摂取を薦めた医師に尋ねた。
「今、ジョゼフが服用したのはテストを終えた試作品の鎮痛薬と聞いているが……」
「はい、すでに囚人へのテストを完了させております。ジョゼフ様への投与もご本人の同意を得て行いました」
「うむ……本人が同意したのであれば、余からもいう事はあるまい……君たちは最善を尽くしてくれている。その事は重々承知しているつもりだ……この薬は何というのだ?」
「はっ、この薬は試作品ではありますが”モルヒネ”という名称で呼ばれております。早ければ半年以内に正式な鎮痛薬として処方が可能になります」
「モルヒネか……」
この時代には既に試作品の鎮痛作用のある薬なども開発されており、これらの薬によってジョゼフは起きている間は痛みや重たい咳に苦しんでいるが、眠る時に関しては比較的穏やかに過ごすことができるようになった。
鎮痛作用のある薬として複数の薬が候補として挙がっていたが、その中でも死刑囚を使った実験で副作用や薬害反応が殆ど出なかったものを使用しており、この薬を将来的にはモルヒネという名称で認可制の薬として阿片の粉末薬と同じく医薬品として流通できるようにするという。
そして、モルヒネという名称が与えられていた事に驚き、医師にさらに尋ねた。
「それで、このモルヒネという薬は既に実験でどのくらいの効果が出ているんだ?」
「死刑囚や志願した囚人を使った実験では、述べ300回に渡って使用されました。結果として服用した囚人のうち副作用と思われる反応があったのが1名のみ、他の囚人たちは問題なく薬の効果が発揮されました。そのため、この薬を正式認可できるように申請手続きを取っているところです」
「モルヒネか……これが戦場でも活躍するようになれば、負傷兵の手術なども大いに捗るだろうな」
「まだ生産に時間と手間が多く掛かっておりますが、従来の阿片よりも効果が格段に上がっております」
モルヒネも史実では19世紀初めあたりに誕生した薬ではあるが、この世界では史実よりも科学者などがフランスに招待されたり亡命したりした影響で集まっている事もあってか、研究開発のスピードが速い。
鎮痛薬として処方される薬の中では現代でも使われている薬でもあり、主に末期癌の緩和ケアなどでも使われていることで知られている。
そして19世紀頃には医薬品として製品開発化したものの、当時のモルヒネは注射器を使う方式ではなかった。
何故なら、この時代の注射器はそこまで精度の高いものではなく、下手をすれば二次感染症などを引き起こして命を落とすと言われた代物である。
というのも現代でこそ注射器といえば血管に注射針を皮下注射にして差し込む方式が一般的だが、この時代の注射器はそうでもない。
原型が最初に発明された時代は1500年代。
この頃の注射器は動物の臓器などをくりぬいて使用したものであり、それも臓器などに直にぶっ刺して薬品を流し込むというやぶ医者もビックリの仕様である。
当然、そういったやり方では患者は治るどころか下手すれば致命傷になって死亡してしまうものであり、当然ながらこの時代まで普及しなかったのである。
実際に注射器の性能検査をやったそうだが、案の定効果があまり出なかったり、被験者の容態が急変して亡くなるケースが多かったのだとか……。
現代でも使われるようになった注射器の原型が誕生したのが19世紀中期ごろだったはずなので、まだこの注射器に関しては細い針に注射器内の液体を入れる実験を行っており、それが完成すれば注射器の針の使い回しなどを厳禁にした上で実用化する予定だ。
注射針の使い回しなんてするのかと思われがちだが、実際日本では1980年代まで学校の集団ワクチン接種などで針の使い回しが行われていたのである。
当然、何かしらの病気だと判明している子供にはそういった事はしなかったそうだが、そうでない子供には容赦なく一クラスで同じ針を使い回しをしていた……というのが多く、これが原因で注射針の使い回しによる感染症の拡大などが起こってしまい、B型肝炎などもこの時の集団接種によって感染した事例も報告されているのも事実だ。
そのため、針は極細で注射後は直ぐに専門の容器に入れて針を集めた上で、溶かして廃棄することを義務化にする方針だ。
将来に渡って感染症予防のためにワクチン接種をしたら、そのワクチン接種で使う注射針の使い回しで別の病気の感染拡大につながるなんて事態は避けたい。
それに、この時代では薬は基本的に粉末状にして飲みこむものというのが一般的な認識であり、それがオーソドックスなやり方でもある。
それに、当時のモルヒネの服用方法も経口摂取が基本とされていたので、実はこの方式のほうがモルヒネが誕生してから注射器による接種よりも先に行なわれていたやり方でもあるというわけだ。モルヒネの誕生によって多くの患者が救われているのも事実であり、同時にこのモルヒネは鎮痛作用のある薬ではあるが中毒症状を産み出してアメリカの南北戦争や普仏戦争時に鎮痛薬として処方されたモルヒネが手放せない状態になって中毒になった兵士が続出したと言われている。
あの第二次世界大戦時にも、ドイツ空軍の司令官であったゲーリングもこのモルヒネの中毒によって満足な指揮能力を発揮できなかったとも言われているからね。
モルヒネが実用化すれば、多くの人々が救われる。
同時に中毒者を出さないためにもガイドラインを策定しておく必要もある。
ジョゼフはモルヒネを服用したお陰で安らかな寝顔で眠っている。
今はそっとしておくべきだろう。




