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7、

「頑張ったね」

 坂の途中に腰掛けて、水潮は澪筋にそう言って笑いかけた。

「え?」

「ちゃんと自分の意見言えてたじゃない」

「聞いてたの? いつの間に?」

 泉の広場と大広場はそんなに近くない。普通に話している声など届かないはずだ。水潮は演舞を教えるのに忙しかっただろうに、どの合間をぬって様子を見に来ていたのだろうか。近寄ってきていたことに澪筋は全然気付かなかった。

 目を丸くする澪筋に、水潮はうろたえた様子で言いつくろった。

「あ、えっと、顔を上げたら偶然澪が立ってるのが見えてね。もしかしてそうなんじゃないかなと。で? 何があったの?」

 疑問に思ったことをすっかり忘れて、澪筋は嬉しそうに頑張った自分のことを話した。

「水潮。まだ休憩してるのか?」

 話の途中に割り込んできた声に目を向けると、五、六人の若者たちが坂を少し下ったところに立っていた。休憩をはじめたばかりなのに変だと首を傾げた水潮だったが、すぐに得心してははーんと何度か頷いた。

「澪筋と友達になったんだ。うらやましい? 仲間に入れてやろうか?」

 澪筋も目を見開いて驚いたが、若者たちはもっと驚き慌てふためき坂を駆け下りていく。水潮はあははと笑って小さく手を振り見送った。

「美人な娘さんが一人離れてこんな場所に居るもんだから気になっちゃったのね」

「……ねえ、どうして男の人たちには男言葉を使うの?」

 澪筋とは女言葉で話すのに、男と話す時は男言葉になる。水潮は首をすくめて考え込むような仕草をした。

「女だと侮られないようにするためかな。男の恰好して男と同じことをしてると、女の顔して女の体型してても割に男だと思い込んでくれるのよ。昨日なんて澪筋と話してたのを、隅におけねぇな、なんて言われちゃった」

 水潮はおかしそうに笑うが、澪筋は何だか悲しくなった。水潮にとって男に見られることは願ったりなんだろうけど、ならば女の水潮の幸せはどこにあるのだろう。普通の娘のように恋を夢見ることはないのだろうか。

 澪筋はふと手元がおろそかになっていることを思い出すと、慌てて糸を紡ぎはじめた。水潮と話していて仕事をさぼったと思われたりしたら、水潮のことをまた悪し様に言われてしまう。

 と、注がれる視線に気付いて澪筋は顔を上げた。

「やってみたいの?」

「え? あ、ううん」

 澪筋の手元をぼんやり見つめていた水潮は、はっとして手と首をふるふると振った。

「手伝いたいとは思うのだけど、男の仕事をしてその合間に、なんて中途半端したらよけい怒られる気がして」

「そんなの気にすることないんじゃないかしら? 少しでも人手があればその分たくさん布ができるんだから。それで文句を言う人がいたら、私が言い返してあげる」

 水潮は大きく瞬きを繰り返し、それからぷっと吹き出した。口の中でくつくつと笑う。

「何? 私変なこと言った?」

 澪筋がすねて上目遣いで睨むと、水潮は笑いながら片目をちらり澪筋に向けた。

「昨日とは別人」

 澪筋はぽっと頬を赤くした。自分でもあきれかえるくらいの変わりようを恥ずかしく思う。 水潮はごめんごめんと謝った。

「こっちがあたしの知ってる澪筋だなぁって思ってほっとしたの。昨日まであんまり気弱だったから、本当に澪筋かなって心配だったのよ?」

 何を言われているのかわからなくなって澪筋はきょとんとした。水潮は意味ありげな笑顔を澪筋に送る。

「結構気が強かったものね。いじめっ子相手に怖いのを怖くない振りして、友達かばって精一杯こぶし振り上げてたのを思い出すわ」

「そういえば……」

 四つか五つの頃、男の子たちに囲まれてからかわれて、泣き出してしまった友達をかばったのを覚えている。相手は年上ばかりで体も大きくて、怒っても笑い返されるばかり途方に暮れていた。逃げることもできず、澪筋も泣いてしまうところだった。そこを水潮に助けてもらったのだ。

「あの時、水潮は何て言ったんだったかしら?」

「おまえらはこの子たちにそんなに嫌われたいのか、てね。男の子って不思議なものよね。気になってる女の子をわざわざいじめたがるのよ。あたしの一言でぴたっと動かなくなったのにはホント笑っちゃったわ」

 水潮が大笑いをするものだから、いじめっ子たちは逆上して水潮を袋叩きにした。隙をみて逃げ出した澪筋たちが大人を呼んでくるまで殴られて、助けられた時はひどいありさまだったけど、水潮は口の端を切り顔中青あざだらけの顔でにこっと笑って大丈夫だったかと訊いてきた。そんな水潮に、澪筋ははじめて心のときめきを感じたのだった。

 澪筋は糸を紡ぐ手を止めた。思い切って話し出す。

「あのね、私の初恋って水潮だったのよ?」

「えっ!?」

 水潮はうろたえて、とっさに座る位置を離した。

「え……えっと、ごめんなさい。男だって嘘ついちゃってて」

 澪筋はうろたえぶりを見て、澪筋は口を押え肩を震わせて笑った。

「今は違うわよ? その、そうじゃなくて。……だから島入りの儀式の時、その……ごめんなさい。それとこの間は波座から助けてくれてありがとう」

 ずっと言いたかったことを澪筋はようやく口にすることができた。


 夜の家の中は暗い。島では油や木など燃やせるものが貴重で、めったなことでは明かりを灯さない。入口にかけられた布を通して月光がほのかに照らすこともあるが、月のない夜は目を開けているのかいないのかもわからなくなるくらいに真っ暗になる。

 夜の風は家々の間を通りながら入口の布をばたばたと揺らす。その音に(まぎ)らせるように声をひそめる者がいた。

「もう信じられない」

 砂を均した上に布を敷いた寝床に入ってから、ずっと愚痴をこぼすのは時津だ。

「あの変わり身の早さは何なのよ」

 水浴びの時のことだった。端にいた娘たちの中から澪筋を見直す話が聞こえてきた。普段はびくびくしてばかりの澪筋が、今日は堂々としてて巫女らしかったという。そこから水潮の話になっていった。波座のところで行動してるけど、だからといって配下になったわけじゃないところがまたかっこいいと言って盛り上がった。

 水浴びの最中にはしゃぐなんてはしたない。時津が注意すると、娘たちは時津に冷ややかな視線を向けて今度はこそこそと話の続きの興じた。騒がないなら怒るわけにもいかない。憤懣やるかたなく水浴びの続きを始めた時津は、そこで友達たちが押し黙って顔を見合わせているのに気付いたのだった。

 友達たちは用事があるからと言って先に水浴びを終えて行ってしまった。時津を避けてのことに違いない。それがどうにも納得できなかった。昨日まで一緒に水潮の陰口を言っていたいたのに、そのことをすっかり忘れてしまったのか。

 夫の黒瀬のことは簡単に忘れてくれやしなかったくせに。

 波座の片腕とまで言われていた黒瀬は、水潮に負かされてからは波座の隣を歩くことがなくなった。そのかわり、今は水潮が波座と一緒にいる。女たちは黒瀬の落ちぶれようを噂しあい、時津がそばを通るとぴたり話をやめて愛想笑いをした。恥ずかしくて家から出るのも嫌になった。その上今度は正しいことを言ったはずの時津が、澪筋に返り討ちにされて笑い者になる。悔しくて腹が立ってどうにかなりそうだった。

 でも一番腹が立つのは、黒瀬が名誉挽回のために動こうとしないことだった。そのつもりがまるでない様子で、水潮の話を持ち出してもろくな反応をしないところがまた、時津をいらいらさせた。

「あんな子に負けたままであなたは平気なの!?」

 体を起こして小声だが興奮して叫んだ。黒瀬は何も言わない。もぞり動いた気配で背を向けたのがわかった。

 無性に悲しくなった。情けなくて、涙がこみ上げてきた。何で自分ばっかりと思う。

 黒瀬とは好きで夫婦になったのではなかった。年頃になり求婚されて、思う相手がなかったので周囲に勧められるまま一緒になった。体格がよく腕力が自慢で、何でも力押しでいこうとする考えの足らなさは好ましく思えなかった。二人でいてもろくにしゃべらないので、何故求婚してきたのか疑問に思うこともある。夫婦になって三年、それなりに仲良くなってもよさそうなものなのに、今回のことで更に距離が広がったように思える。

 小さい頃から仲のよかった友達たちも、最後まで水潮を非難した時津から離れていってしまった。

 ただ、陰口を言われ失われつつあった自分の居場所を守ろうとしただけだ。なのに頑張れば頑張るほど孤独になっていく。

 横になった時津は口を引き結び、ぎゅっと閉じたまぶたの端から静かに涙を流し続けた。


 時津は横になり背を向けて、しばらく声を押し殺し泣いていた。泣きつかれて寝息になったのを見計らって、黒瀬は寝返りを打ち腕の中に抱き込んだ。子どもをあやすように髪をなでる。

 黒瀬だって今の状況に甘んじ続けるつもりはなかった。しかしどうすれば挽回できるのか。思い起こす、月明かりの中で笑んだ水潮のことを。男にもあんな不気味で得たいの知れない恐怖を醸し出す者はいない。体格も腕力も圧倒的に勝っているはずなのに、自分の持たない、知り得ない何かのせいで、とうてい敵わないと感じた。あの時一緒にいた者たちは、二度と水潮と戦いたくないと怯えている。黒瀬も口にしなかっただけで気持ちは同じだった。逃げ出したと(あざけ)られても返す言葉はない。

 だが、何とかしなくてはならない。時津のためにも。


 夕暮れ近く、ほら貝が短く五度吹き鳴らされた。商いに出ていた船が帰ってきた合図だ。島で普通に使われている小舟より長さは倍くらい長く、幅は四倍もあるこの船は貨物船と呼ばれている。入り江の口から島の中央へと向きが変わったばかりの風に押されて、まっすぐ浜に向かってくる。櫂でこぐ力も手伝って、船は大きく浜に乗り上げた。

 船が止まると、遠巻きにしていた男の子たちがわっと群がった。船の上から男が一人顔を出す。少し面長で目元が下がって笑っているようにみえる、陽気な面構えの男だった。

「いつも早えーな、おい。荷揚げ終わって島長んとこあいさつ済んだら行ってやるから、邪魔になんねーとこで待ってろ」

 そこへ大人たちがやってきて子どもたちを追い散らす。

「よっ! 海境うなさか、お疲れさん! 」

「どうも! 今回も無事帰ってきましたよ。島の皆さんお変わりなく?」

「いやそれが……」

 歯切れの悪い様子に、海境は表情を引き締めた。

「何かあったんすか?」

 別の男が脇から口を出す。

「水潮が帰ってきたんだよ!」

「水潮が?」

「それがよ。八年もして帰ってきたってだけでもびっくりなのに、実は女だったっていうんだからまたびっくりだ」

「へぇー」

 海境の瞳の奥が光った。それに気付かず男は続ける。

「島の宝を持ち帰って、父さんは裏切り者なんかじゃないって大騒ぎ。おまけに宝を守ってきた自分が本当は頭領を名乗るべきだけど、今年決めなおすんだったらそれまでは今の頭領で認めてやるって言い出すんだから豪胆なもんよ」

 人数がそろってきて、荷降ろしがはじまる。背丈ほどもある船の上から、船上の者が荷を降ろし下の者が受け取る。その荷を集った男たちが次々と運んでいく。

「帰ったな」

 頭領の吹走が船の下にやってきて、海境を見上げて声をかけた。海境は後を任せて飛び降りる。

「どうだったか?」

「いい按配でしたよ。干物がいつもより高く出ましてね。でもその分麦が高くなってたんでちょうどでした。壷は少し安くしてもらったんで、言われたより多めに手に入れてきましたよ。後、海草水をもっとほしいって言われて、樽をたくさんもらってきちゃいました」

 にこにこと報告する海境に、吹走はしぶい顔をした。

「海草水は今でも精一杯なんだが」

 海草水とは、海草をもみしだいて繊維を取り出す時にできる葉の溶液だ。肌に塗るとすべすべになり色も白くなる。島の女たちは昔から使っているが数年前から大陸でももてはやされていた。ただ、繊維を取り出したあとの溶液をさらに煮詰めなければならないため、かなりの薪を必要とする。

「薪が足らないってんでしょ? 先方に薪が足らないからなぁってごねたら、ただ同然で二十束ばかりわけてくれましたよ」

 得意げに語る海境に、吹走はめずらしく笑みを浮かべた。

「おまえは本当に商い上手だな」

 海境は子どものようにえへへと笑った。

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