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5、

 抜き身の片刃の短刀が、ひるがえりきらりと光を反射した。腕をまっすぐ伸ばして前方に突き出したかと思うと、踏み込んだ左足を軸にして一回転してまた突き出す。重心を低くすると左手を刀身にそえて地面と平行に短刀を掲げ、低くした体勢のまま斜め上に向けて刃を突き出す。右足に体重をかけながら重心を戻すと、一番最初の構えに戻って静止した。しばし置いて、水潮は足を揃えまっすぐ立つと両腕を下ろしておじぎする。

「かあっこいー!」

 いつのまにか集まってきていた子どもたちが歓声を上げた。駆け寄って教えてとせがむ子どもたちに、水潮は短刀を鞘に収めながら、「簡単なのから順にね」と返事をする。

 大広場を囲む腰丈の岩の上に座って休憩し、眼中にないという素振りを見せながら波穂はその光景を目の端で眺めていた。表面は平静を装うものの、心中は苛ついて落ち着かない。波穂は人を率いる立場にある者は感情をむき出しにするものではないと考える。そのため常日頃から感情を表情に表さないよう心がけていた。

 この日、水潮は大広場と林の間の空き地に下りてくると、短刀を抜いて演武を始めた。攻撃や防御の型を組み合わせた演武は島でも行われているが、水潮の行う演舞は島のものより複雑で派手だった。近くに居る者たちの目を引き、周囲に輪を作った。波穂の配下たちも頭である波穂に遠慮して行きはしないが、見に行きたくてうずうずして自分たちの鍛錬をおろそかにする。仕方なく休憩を言い渡し好きにさせた。今は水潮を囲む輪に溶け込んで短刀の演武を教わっている。

 波穂の水潮への警戒は、日々つのるばかりだった。

 最初は警戒され孤立していた水潮が、今では若者たちの中心に居た。波座の片腕であった黒瀬を負かし見事な操舵を披露した水潮を、若者たちは女だと感じないらしい。女に教えを乞うという屈辱を覚えた様子なく、水潮から手ほどきを受けている。

 水潮はこうして配下を集めていくつもりなのだろうか。

 波穂は不安を覚えずにいられなかった。水潮は島に帰って早々、頭領の座を要求した。今年海走うなしりの儀式を行い水潮の参加を認めることで話は決着したようだが、海走りの儀式は操舵に長けているだけで勝てるものではない。勝負は陸で決するという言葉がある。海走りの儀式は普段から地道に集め続けた配下たちの力を借りて、ようやく勝つことができる。配下を持つ者が頭と呼ばれ、頭だけが儀式で勝ちを得る可能性があると言っていい。

 男たちは体格に恵まれ、武術と操舵に優れた者を自分の頭に選ぶ。波座は条件に合致する理想的な頭だ。飛び抜けた身長に逞しい体、体力と腕力があるため操舵も武術も力押しする傾向があるが、それだけではないことは多くの配下をそつなくまとめ上げる手腕から察せられる。にもかかわらず現在頭領でない理由は、前回の海走りの儀式の際にはまだ頭になったばかりだったからだ。現在頭領である吹走は本来ならば頭にもなれそうになかった凡庸な男だ。武術操舵の腕は立つが体格はどちらかというと貧弱で、寡黙すぎて人の上に立つ才に欠けているように思う。

 それでも頭として配下の者を従え頭領となれたのは、八年前の襲撃によって男たちを率いるべき年齢層の男の多くが死んだり、後遺症が残るほどの深手を負ったからだった。

 当時頭領だった浪煙は島から逃亡し、頭たちも二人が死に、一人が隠居を余儀なくされた。

 襲撃の四年後、島がようやく落ち着いて行われた海走りの儀式では、襲撃後すぐに頭の名乗りを上げて頭領の代わりを果たしていた吹走が、頭になったばかりの波座を下して正式に頭領になった。

 それからさらに四年が経った。一度頭領になった者は続けて頭領になることが多いが、今回は違う。まだ若輩とはいえ波座は配下を増やし吹走組をしのぐ組を作り上げた。そして二年前、二十歳になってすぐ波穂が頭の名乗りを挙げた。波穂は吹走と同様、操舵と武術の腕はあるものの体格には恵まれていない。それでも頭に立つことを望んだのは、現在の島の在り方を変えたいと思ったからだ。

 商いを任されている者の話によると、大陸の人々は島人よりもいい服を着ていて、食べ物の種類も豊富にあるのだという。一番驚いたのが大陸の女は子どもを五人も六人も産むということだった。島の女はたいてい一人しか産まず、二人も産めばその先の人生は短かった。波穂の母もお産がたたって、波穂がまだ子どもの頃に死んでしまった。人は死ぬものだけど、今は死ぬ人数より生まれる人数の方が少ない。このままいけば遠い先、島人はいなくなってしまう。それ以前に、今の人数を保てなかったら特産品の生産が滞ってますます貧しくなる。吹走や波座は今の暮らしを続けていくことしか考えていない。だから島を豊かにしようと考える頭、そして頭領が必要だと波穂は思った。波穂は自分の考えを話し賛同する者たちを集めた。若く体格に恵まれていない者が多かった。そういう者は母親を早くに亡くしていたり臥せりがちだったりして、母親の、島の女の弱さを心配していた。また、自分の貧弱さも気にしていた。波穂は体格で負けていても技で勝つことはできると説き、小さな体でも大きな体の者に引けを取らない操舵や武術の技を教えた。小さくても強くなれるという魅力は波穂の人を惹きつける力になり、惹きつけられ集まった者たちによって頭に立てられた。

 だからこそ、波穂は水潮を警戒しないわけにはいかなかった。

 水潮がしていることは、波穂がしてきたことに近い。小さくても強くなれる方法を知る点ではまったく同じ、いや、水潮のが長けている。波穂と違って実際大陸で暮らし大陸をよく知っている。同じ魅力を持つならば、より優れたものを選ぶのが人の心の常というものだ。それに波穂の配下はほとんどが十代の若者だ。今もそうであるように、水潮の懐柔に取り込まれやすい。今まで培ってきたものをすべて奪われる不安に、波穂は人知れず苛まれていた。


 島の南側の山腹には、いくつかの泉がもうけられている。降った雨や山頂から流れてくる水がたまっていて、あふれた水が下の泉に流れるようにつくられていた。村から中腹にある泉に向けて道が伸びており、途中二手に分かれ、それぞれ大きな泉に続いている。上の泉が女の、下の泉が男の水浴び場だ。

 陽が山の陰に隠れてずいぶん暗くなってきた頃、一人の女が遅れて姿を現した。

「きゃ……!」

 最初に気付いた女が悲鳴をあげかけて飲み込んだ。男の服を着ているが、女だとすぐに気づいたからだ。水潮は頭の後ろを掻いて友好的に笑った。

「あ、驚かせちゃいました? あたしです。水潮」

 女たちは水潮から目をそらし、そそくさと身支度をして立ち去ってしまう。

「あれ?」

 女たちが見えなくなったところで水潮はつぶやいた。それから一人残った澪筋に目を向ける。

「今日は逃げないでくれるの?」

 澪筋は手桶で髪に水をかけていた手を止めた。

「……まだ、終わっていないです、から。水浴び」

 つっかえ、声をひっくりかえしながら応える。

「そっか」

 水潮は呟くように言うと、澪筋から離れた所で服を脱ぎはじめた。男服の下には胸に巻いた布があり、腰に丈の短い下ばきをはいている。胸の布をほどき下ばきも脱ぐと、洗い場に置いて手桶で水をかけてもみ洗いはじめた。泉の水は一番下の海草を洗う水場へと続いているため泉の水は汚さない。洗い場は汚水が泉には入らないように泉の縁から少し傾斜をつけて下へと彫られていて、体も服も洗い場で手桶に水を汲み洗う。

 澪筋はこっそり横目で水潮を見遣り、たしかにある胸のふくらみに、もしかしたらやっぱり男なのではという期待を消されてしょんぼりした。髪を洗い終えた澪筋は、服を脱いで体に水をかける。

 水潮は洗いあがった服を絞って広げ、目隠しになっている高い岩に貼り付けた。女は誰もそんなことしない。洗った服は家に持って帰り、家の中に吊るして乾かす。めずらしさに、澪筋はついうっかりみとれてしまった。

「何? 」

 顔だけ少し向けて水潮は少し照れた様子で声をかけた。澪筋は水潮の裸を遠慮なく眺めてしまっていることに気付き慌てて目をそらした。

「あ、あの。何故、ここでほ、干しているのでしょうかと」

「替えの服がないのよ」

 返ってきた言葉に、澪筋は驚いた目を向け、また裸をまじまじと見てしまいそうになり慌ててそらした。

「それでは……」

 生乾きの服をまた着るのだろうか。

 水潮は澪筋のすぐ隣にしゃがんで頭から水をかけた。高く上げた形のままごわごわになっていた髪に、指を差し入れて中まで水を通した。水の通った髪はほぐれてまっすぐになる。

「着心地はよくないけど、海水に濡れたままよりましだから。夕飯を食べ終わるくらいにはね、だいたい乾いているのよ」

 澪筋はくすり笑う。

「何?」

「舟に乗れて武術ができても、替えの服に困ったりするのですね」

「そりゃあ操舵の腕や武術の技が服を作ってくれるわけじゃないから」

 肩をすくめる水潮に、澪筋はくすすと笑い声をたてた。

「何だか普通なので安心しました」

「普通って……」

 水潮は苦笑した。

「あたしは普通よ? 他の女の人たちと変わったところなんてないわ」

「そんなの嘘です。女の人なのに舟に乗れて武術もできて……」

「島の女の人はそういうことさせてもらえないから、不思議に思うのかもしれないわね。でも大陸では割と普通よ? 女の子も自分の身を守るくらいの武術は身につけるし、舟に乗る人は少なかったけれどそれでも居ないことはなかったわ」

 島しか知らない澪筋には信じられない話だった。島の掟では男は女を守り、女は男が守るにふさわしく、美しさをみがき清楚で慎ましやかでなくてはならないとされている。武術をするなんてはしたないこと、もってのほかなのだ。それは大陸でも同じことだと思っていた。

「澪筋もやってみればできると思うわよ?」

 勧められて澪筋は慌てた。

「わ、わたしにはとても、無理です。そ、それに、男の人に勝てるほどの腕前なんて、水潮くらいしか……」

 水潮は体に水をかけながらあははと笑い声を立てた。

「今だけよ。技が追いついてこればあたしだって敵わなくなるわ。島の男たちは広い世界を知らないの。あたしは学んだものが多い分、何とか優位に立っていられるだけで、男女の体格や体力の差はそのうちどうしようもなくなる。いずれは追い抜かれるわ」

 何でもないことのように話す水潮に、澪筋は気遣わしげに曇らせた表情を向けた。

「でも、水潮は誰にでも武術や操舵を教えてますよね? わざわざ教えてあげてしまっては、その──」

 澪筋が言いよどんだ部分を汲み取って水潮はつないだ。

「頭領になろうと考えてるなら、不利をつくってることになるわね」

 同じ技を持っているなら体格のいい者の方が断然有利だ。今のうちはいいけど、そのうち誰もが水潮を凌いで注目しなくなる。

 前々から疑問に思っていたことがふと頭に浮かび、澪筋は遠慮がちに訊いてみた。

「何故、頭領になろうと思ったのですか?」

「島を守りたいからよ。それにはあたしだけが強くてもだめなの。だから不利とわかっていても、あたしの知っているすべてを皆に教えていこうと思うの」

 澪筋は悲しくなって目尻に涙をためた。

「何故頭領になって島を守ろうとするのですか? 不利とわかってて皆を鍛えて、女の子なのに男の人と競い合って、おじいさまである島長と対立して。男の人はたくさんいるんだから、何も水潮が大変な思いをして島を守ろうとしなくたって」

 水潮は島の血を継ぐ娘だから大事にされるだろう。島長も、水潮が女の姿をして女らしくしていれば、孫と認めてかわいがると思う。なのに何故、苦しい道を選ぶのか。

「決めてきたことだから」

「え?」

 ひとりごとのような声を澪筋は聞き返した。水潮は立ち上がり空をあおいだ。

「島に帰ってくる前に、全部、決めてきたの。だから」

 全部とは何をなのか、どうしてそのように決めてきたのか。まるでわからないけれども澪筋は訊ねることができなかった。濡れた髪を風になびかせる水潮の、遠くを見つめる眼差しに揺るがない決意を垣間見て。


 朝、村の泉まで下りてきた水潮に、澪筋は早足で近寄った。

「おはようございます!」

 島に帰ってから女の方から声をかけてもらったのははじめてだったので、水潮は嬉しそうにはにかんだ。

「おはよう」

「今日はどちらに行くのですか?」

「海に出ることになっているの」

「昨日も海じゃありませんでしたか?」

「うん。でも若い子たちに操舵を教えるよう頼まれているから」

 頼んだのは多分波座だろう。澪筋は少し顔をしかめた。自分へのことといい、水潮を好きに使っている様子といい、どうも好きになれないことばかりする。

「波座が誘ってくれるから海に出られるんだから、そのところは感謝しないとね」

 不機嫌に気付かれて澪筋は目元を赤らめた。それから呼び止めた用件を思い出す。

「そういえばお話ししたいことがあったのでした。これから朝のご飯は一緒にしませんか? 私、いつも一人なのです。その……父を八年前に亡くしましたから」

 澪筋は口をにごらせたけれど、八年前の一言から水潮は察した。気まずげに視線を落とし頭をかく。

「そっか……。それは辛かったね」

 しばしの沈黙の後、水潮は顔を上げて話を切り換えた。

「ねえ、逆浪っていつ島に帰ってきたの?」

「え──?」

 澪筋の瞳が動揺に揺らいだ。水潮は聞いてしまったのだろうか。逆浪が島を出ていた理由を。

「島から出たって話を小耳にはさんでね。いつ帰ってきたのか気になって。それと、逆浪のお父さんはどうしたか知ってる? 姿見かけないけど」

「逆浪のお父さんは旅先で亡くなったって聞きました。それで逆浪は島に帰ってきたんです。確か……三年くらい前に」

「ありがと。それが聞きたかったんだ。……朝ご飯のことは考えておくね」

 じゃあねと言って坂を下りていった水潮を、澪筋は残念そうに見送った。昨日話ができて嬉しそうだったので、朝食に誘えば喜んでもらえるとばかり思っていた。去っていこうとする水潮は何だが逃げるようにも見えた。何故だろうと首を傾げながらひねりながら席に戻った。

 糸を紡ぐ時に座る場所はだいたい位置が決まっている。澪筋の席は泉を囲む腰掛の一番後ろにあった。結婚していない若い娘は年配の女性に遠慮して階段や泉の広場を囲む腰丈の壁の上に腰掛けるが、澪筋は巫女になった九つの年からその場所に座らされている。その場所に座るからにはもちろん友達と並んでおしゃべりをしながらというわけにはいかない。何かにつけて特別扱いを受けるために友達と距離ができるようになり澪筋は孤立してしまっていた。

 水潮と話せて嬉しかったのは澪筋も同じだ。久しぶりに同年代の人と話すことができた。いや、同年代どころか同い年だ。島に二人きりの同じ年生まれの人。

 そう思ったら何だかわくわくして、しばらく周囲の視線に気付かなかった。編みかごから紡ぎかけの糸がついた杼を取り出し、楽しげに海藻の繊維を紡ぐ。しばらくして澪筋は、女の人たちの様子がおかしいことに気がついた。手を止めて顔を上げると、年上の女たちがこそこそ話しながら澪筋を見ているのと目が合ってしまった。眉をひそめた不快を訴える目。澪筋は強張った。

「水潮と仲良くするのはやめた方がいいわ」

 澪筋ははっとして見回した。すぐに一人の女性と視線がぶつかる。少しつり目の、細くてはっきりとした眉の女性だった。澪筋から三つ離れた席に座るその女性は遠慮がちに声をかけてくる。

「男として育てられたことはかわいそうだと思うけど、だからって女が男の格好をして男と同じことをしていていいはずがないわ。女には糸を紡いで機を織る大事な仕事があるというのに、水潮は遊び呆けてやろうともしない。巫女であるあなたがそんな人と親しくすると、他の人に示しがつかなくなってしまうわ」

 澪筋は答えられなかった。唇は言葉を紡ごうと開くものの、何の言葉も出てこない。そのうちいつものおしゃべりが聞こえてきた。澪筋の返事を待っていた女性も、隣り合う友人たちとの会話に戻る。

 女たち全員の手元が動き始めても、澪筋ただ一人は身じろぎすらできなかった。口調も表情も澪筋に同情的だったが、言葉の裏には悪意が感じられた。──水潮と親しくするのは巫女としてふさわしくない──彼女たちに水潮の一体何がわかっているというのだろう。島を守りたいのだと言った。水潮はそのために島長と対立しに不利になるとわかっていながら自分の持てるすべてを教えて回っている。そんな水潮のことを皆に訴えたかった。でも、澪筋の声はとうとう出てこなかった。澪筋は今でも孤立している。その上皆に反発して、さらに孤独になることが恐ろしくてならなかった。

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