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4、

 月明かりを頼りに、北西の高台に足音を忍ばせて進む四人がいる。

「ホントにやるんですかい?」

「ああ。いきがってても所詮は女。モノにしちまえば言うなりだ」

「そういや兄貴の妻も、昔は結構我の強い女でしたもんね。それが一緒になったらまぁしおらしくなっちゃって」

 黒瀬にじろり睨まれて、弟分は首をすくめて口をつぐんだ。他の弟分が口を開く。

「うっかり忘れてましたけど、黒瀬の兄貴はマズいんじゃないっすか? 密通は掟で禁じられてますぜ?」

「手伝ってやるからおまえらが行け」

 三人の弟分たちは、これ以上ないというくらい顔をしかめた。

「えー? やですよ。あんなのを妻にするなんて」

「同じく」

 ぷっと吹き出す声が降ってきた。全員びくっと体を震わせ顔を上げる。岩の上で水潮が足を組んで座っていた。膝の上に頬杖をつき、月明かりに照らされて楽しそうに笑う。

「あんまりおかしな話をしてるものだからつい笑っちゃったよ。あたしの家に入っていくまで見届けるつもりだったのに」

「て……っ! てめぇいつから!」

「村から上がってくる頃から。こんなに目立つところにいたのに、足元に気を取られて全然気付かなかったね」

 黒瀬は手の届かない高さに居る水潮に腕を振り上げる。

「下りてきやがれ! 俺がやってやる!」

 水潮は愉快そうに声を立てて笑った。

「何がおかしい!」

「いい大人なのに、やってることがあんまりかわいいんだもん」

「何だとこの!」

 水潮は口元に笑みを残したまま、目をすぅっと細めた。

 黒瀬たちは息を飲む。月明かりに青白く照らし出された水潮の表情に、何故か体の芯が冷えた。

「あたしを手篭めにして言うこと聞かせて、そんでもって掟に従って妻にして大事にしてくれるって? やさしすぎて笑っちゃう。大陸じゃありえない甘っちょろさだね。大陸は今戦いに明け暮れてて、町や村を侵略した兵士たちは当然の権利のようにその土地の女を襲うんだ。──大陸の家はほとんどが木でできていてね。中に燃えやすい物がたくさんあって、火をつけると燃え盛って天にも昇るでっかい炎になる。燃え盛る家に囲まれると、炎に触れてなくても痛いくらいに熱いんだ。やつらはそんな中、逃げ惑う女をひっつかまえては犯すんだよ。子どもがいたって構いやしない。あんまり抵抗する女はさ、切りつけて抵抗できなくさせる。わざと致命傷を避けて、死んで動かなくなるまで何人かで代わる代わる犯すんだ。そこには島人の掟にあるような、女は大事にしなきゃならないなんて考えは全くない。敵の女は家畜、いや、それ以下なんだ。──おまえらはあたしが憎くて襲いに来たんだろ? だったらあたしが傷ついて、打ちのめされるような方法を考えるべきだと思うんだけどね。──けど」

 水潮は腰から短刀を引き抜いて月光にかざした。刀身がぎらりと光る。

「あたしだって、襲われそうになりながら何もしないってわけにはいかない。命がけで迎え撃たせてもらう。それでも襲いたいっていうなら、殺す覚悟と殺される覚悟を持ってかかってきな」

 黒瀬は背後の弟分たちの気配が遠退くのを感じ振り返った。弟分たちは細い路地を及び腰でじりじりと退いている。

「おい!」

 弟分たちは眉尻を下げてすっかり毒気の抜けた様子で言う。

「やめましょーや」

「俺もまっぴらごめんです」

「おまえら……っ!」

「あんなの女じゃない」

 身をひるがえして転がるように逃げていく。黒瀬は岩の上から睨みつけてくる水潮と路地の曲りに消えていった弟分たちを数度見比べ、水潮の方にちっと舌打ちをして弟分たちを追っていった。

 水潮は黒瀬が村に入っていくのを見届けると、上を向いて長い息を吐いた。さっきまで残酷な話をしていたとは思えないほどさっぱりとしていた。そこに淋しさともあきらめともとれるかすかな笑みが浮かぶ。路地下の岩陰に隠れていた波座は、しばらく水潮の表情を眺めた後、不安定な岩が埋め尽くす斜面を音を立てないよう慎重に下っていった。

 波座が下りていったのを感じると水潮はようやく一息つき、岩を下りて家に入っていく。

 入口の布が風になびくのみになった頃、高台側の岩陰に身をひそめていた逆浪は、なめらかな動作で物音一つ立てずに険しい岩場を降りていった。


 朝っぱらから若者たちは噂話に沸いていた。黒瀬とその弟分たちが夜中に水潮を襲って失敗したという。何があったのか誰も明かそうとしないが、二度と襲いたくないと言っているということが波穂の耳にまで伝わってきた。

 数人の男を相手にして、二度と戦いたくないと言わしめるとはとんでもない女だ。戻ってきてからもう四日になるのに、どうも騒ぎに事欠かない。

 騒ぎにもうんざりしていたが、それとは別の理由で波穂は水潮のことが気にくわなかった。

二日前は先を越された。大広場から見えて全速力で駆けつけた時には、もう澪筋は助けられた後だった。波座が澪筋に言い寄っていることは島人の誰もが知るところだ。しかし澪筋は嫌がっているようにしか見えないので、波穂はわざとその場に通りすがったりして波座を牽制してきた。巫女を守るのは頭の一人である自分の役目だと思っていた。

 なのに水潮は戻って早々、役目をかっさらった。

 いや、もともとは水潮の役目だった。同い年であったため、小さい頃から似合いの二人ともてはやされ、水潮は澪筋をかばい、澪筋はその背中に頼りきっていた。

 思い出し不愉快になった。気持ちを切り替えるため、波穂は強く頭を振る。

「波穂、今日はどういう分担でいくんです?」

 浜に立っていた波穂に配下の一人が声をかけてきた。波穂が従える配下は九人、全員が揃っている。

「ああ。今日は沖への割り振りが少ない日だから……」

 波穂は分担の指示を始めた。

 指示を始めて幾らも経たない頃、水潮は浜に下りてきた。噂など何も知らないようなのんびりした様子でぶらぶらと浜を歩く。浜全体を眺めているふりをしながら、吹走に視線を送っていた。水潮は女でまだ島人として歓迎されていないことから、腕があり舟を持っていても、許しなく海に出るのは気が引けるのだろう。頭領の許可を取りたいのだろうが、気付いているだろうに吹走はさりげなく水潮の視線を避ける。

「水潮!」

 どこかから芯が太く通りのいい声が水潮を呼んだ。水潮ははっとして声の方を向く。波座が大きく手を上げていた。

「一緒に行かないか?」

「──え?」

 水潮だけでなく、波穂も、波座の配下の者たちでさえぽかんとする。

「聞こえないのか? 海に行こうと言ってるんだ」

 水潮は吹走を見た。一度は手を止めた吹走だが、すぐ何事もなかったように舟の点検を続ける。波座を止めようという気はないようだった。

「行かないのか?」

 もう一度声をかけられて、水潮は叫んだ。

「行く!」

 足場の悪い乾いた砂地を、水潮は飛び跳ねるように駆けていった。


「おおっ!」

 水潮の舟が宙に舞った。人の背を飛び越えていく高さに歓声があがる。着水した水潮は小回りに船首を反転させ引き返してくる。若者たちは水潮の周囲に集まって、てんでに声をかけた。

「すげかった今の!」

「どうやってやったんだ?」

「風に向かって船を走らせながら、体重を後ろの方にかけて舳先を浮かすんだ。その時帆が上に向かって風をはらんで水面から飛び上がれるってわけ」

 早速水潮の真似をしようとするがなかなか上手くいかない。

「もう一回やってくれよー」

 頼まれて得意げになった水潮は、舟を飛ばす体勢に入った。

「よっく見ててよ!」

 風に向かい波頭を捉えて飛躍する。さっきより高く跳ね上がる。が、勢いがよすぎて回転し、帆から海に落ちそうになった。

「危な……!」

 見ている者から悲鳴があがる。

 水潮はかろうじて船底から着水し、横棒を懸命に引いて体勢を立て直して戻ってきた。

「びっくりしたー。肝冷やしたー」

 本当にびっくり顔で胸元を押える水潮の滑稽さに、若者たちは爆笑した。


 夕飯は大広場で島人全員がそろってとる。麦に岬の岩にこびりついて生える海藻や魚の干物をほぐしたものを混ぜて海水で味付けして煮込んだ粥を、椀に口をつけてすする。炊き出しのかまどでは、残り火で明日の朝飯が蒸されている。これを夕飯が終わった後に分けて、朝飯は家族や親しい者同士で食べることになっている。

 夕飯は、女子どもの輪と年寄組の輪が一つずつ、男は頭を中心に三つの輪に分かれる。

 この日は昨日まで一人だった水潮が波座の輪に加わっているのを、他の輪の者たちが信じられないという様子でちらちらと見遣っていた。

 水潮は若い者たちに囲まれて大陸の話をしていた。

「外界に出たことがあるのか!?」

「うん。あたしは外海で操舵を学んだんだ」

 称賛の目を向けられ有頂天になってもいいだろうに、水潮は何でもないことのように答えた。

 島の男は外海に出ることを禁じられているため、行ったことのない外海にあこがれるのだ。二十歳前後の男たちが、まだ島入りの儀式を済ませていない子どものように目をきらきらさせて訊いてくるので、水潮は乞われるまま外海を泳ぐ大きな魚のことや、外海のむこうには知られざる国がたくさんあることなどを話して聞かせた。

 一人が夢みるように空をあおいで言う。

「行ってみたいもんだなぁ」

 他の者たちも考えていたのだろう。とたんに行ってみようと盛り上がる。

「外海へはどうやって行くんだ?」

 話を振ろうと顔を向けた時、水潮が笑顔を凍らせているのに気付いて場は一気に静まり返った。

「ごめん。期待させるようなこと言っちゃったみたいだ」

 若者の一人が顔をしかめた。

「掟のことか? 今思ったんだが、その掟に意味はないんじゃないのか?」

「そうそう。水潮だって行って戻ってきてるんだし」

「あたしは」

 水潮は真顔になって皆を見回した。

「あたしは行くしかなかったから行ったんだ。それも大陸を回って外界に出た。今、大陸は旅をできるほど安全じゃない。……外海に出るなって掟はやっぱり正しいよ。内海と外海を隔てる大渦を間近で見たことがある者はいるか?」

 顔を見合わせた。掟で近付いてはならないとさだめられている場所だ。内海と外海の潮がぶつかり合い、いくつもの渦をつくっているという。大渦は海に大きな穴を開け、近寄るものを引き寄せ引きずり込み海に沈める。そう年上の者たちに散々脅されて、行ってみようと思った者もいない。

「内海から直接外海に行くには、あの大渦を突破するしかないよね。渦と渦には切れ目があるから、そこをたどることができれば通り抜けることができるかもしれない。でも、どんなに行きたかったとしても、あたしはあの渦を突破しようなんて気にはなれないよ。切れ目をたどりきる自信なんて全くないね」

「じゃあ大陸はどうなんだ?」

「さっきも言ったように、今はとてもじゃないけど旅をできるような状態じゃない。それに安全だったとしても、島を出て外海をちょっと見て帰ってくるだけでも半年はかかるぞ。ちゃんと見て回りたいなら一年、それ以上だ。島の守りをおろそかにしてまで行ってみたいと思うか?」

 若者たちはそれぞれ物思いに沈んだ。迷わず外海を選ぶ者がいないことに、水潮はほっとする。

「掟そのものは理由を語ってはくれないけど、一つひとつに定められた時の思いが込められている。どれも決して無意味なんかじゃないとあたしは思っているよ。けど、時が移るにしたがって島や島を取り巻く状況は変化していく。現在に合わなくなった掟は、皆で考えて変えていく必要があると思う」

 他にも納得いかない掟があるのか、と水潮が言うと、若者たちは気を取り直して常々気になっている掟を言い合いはじめた。輪に再び活気が戻る。

 島長は近くにいる者たちの会話に耳を傾けているふりをして、ずっと水潮の話を聞いていた。掟に反しておきながら掟を肯定する水潮に、不機嫌になってふんと鼻をならした。隣に座っている老人は、島長の不機嫌の理由がわからず、島長の鼻息を聞いた他の者と顔を見合わせて首を傾げた。

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