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3、

 娘が一人、狭い路地の突き当たりに追い込まれていた。昨日水潮と入れ違いに集会所から出て行った娘だ。娘は男の巨体に覆い被され、恐怖に震えながら必死に体を縮込ませた。

「そんなに逃げることないだろ?」

 島の男の中でも背が飛び抜けて高く、筋肉張って厳つい男は、指先まで固く盛り上がった手を澪筋の頬から顎に滑らせて軽い仕草で強引に上向かせた。

「いいだろ?」

 近付いてくる顔から娘は必死に顔を背ける。

「どうせ来年には夫婦になるんだか──」

 男は中途半端に言葉を途切らせた。急に頭が重くなったからだ。男は目玉を動かし重しの正体を見極めようとする。男の背丈より低い屋根に人が立っていた。そいつが男の頭に片足を乗せている。男がその足を掴まえようと手を上げると、屋根の上の人物はぐっと踏み込んで足をどけた。男はよろけて一歩下がる。娘との間にできた隙間に、その人物は飛び降りた。

「誰が誰と夫婦になるって? そういう雰囲気にはまるっきり見えなかったんだけど」

 水潮だった。娘を背に庇い、腰に手を当てて立ちはだかる。水潮とわかって男は一瞬驚くが、すぐににやりと顔を歪ませた。

「巫女は頭領の妻になるんだから、澪筋は俺の妻だろう?」

 水潮はふんと鼻を鳴らす。

「巫女が頭領の妻になるなんて掟はない。それに第一あんたは頭領じゃないだろ? 波座なぐら

 男はほうと感心した声を上げた。

「俺の名前を覚えていたか」

「当たり前だ。小さい頃からでっかいことと馬鹿力で目立ってたじゃないか」

 波座はにやっと口の片端を上げた。

「それともう一つ噂があったのも覚えてるだろ」

 水潮はあからさまに嫌な顔をした。口を開かない水潮を、波座はふふんと笑って見下ろす。

「知らないのか? じゃあおまえは水潮の偽者なんだな?」

「……いずれは頭領になるだろうって」

 波座はふんぞり返って腕を組み、満足そうに頷いた。

「そうだ。だから澪筋は俺の妻だ。わかったか?」

「だから! 巫女は頭領に嫁がなきゃならないって掟なんかないんだったら。男は好きな女に結婚を申し込めるけど、受けるも受けないも決めるのは女だというのが掟のはずだ。こんなに嫌がってる澪筋が波座を選ぶわけないだろ?」

 声を荒げて水潮は言ったが、波座はまるで頓着しない。

「頭領に妻にと望まれて嫌がる女がいるわけないだろ」

「いるかもしれないだろ! 現に澪筋はこんなに嫌がって」

「澪筋ぃ?」

 波座はとぼけた声で水潮の言葉を遮り、隠れている澪筋を覗きこむ。澪筋はびくっと震え、その場に座り込みそうなくらい身を小さくした。水潮は澪筋を波座の視線から庇う。

「まだ頭領になってない奴が、頭領気取りで澪筋に言い寄るんじゃない」

「要は頭領になればいいってことだな」

 水潮のきつい物言いを軽くいなして、波座は悠々と去っていった。

 中央の坂まで出て曲ったのを見届けると、水潮は振り返って澪筋に笑いかけた。

「もう大丈夫。……って、あれ?」

 ほっとして胸を撫で下ろしているかと思った澪筋が、何故かおびえた様子で水潮を見ていた。思わぬ反応に身を引くと、脇にできた隙間をくぐり抜けて小走りに行ってしまう。

「あれれ?」

 頭の後ろをかいて見送っていると、そこに頭上から影が差した。見上げると陽を背に男が立っていた。細身の男だ。眩しくて視界が利きにくい中で、かろうじて鋭角な顎と怜悧な瞳が見えた。

波穂なみほ

 水潮が名前をつぶやく。

 波穂はじっと水潮を見据え、息を整えようと荒い呼吸を繰り返していた。


 澪筋は家の中で、高く盛った砂の上に腰掛け、膝に置いた薄布を握り締めため息をついた。先日織り上がったばかりの婚礼の薄布、小さい頃から集め続けた海草の細かい筋だけを使い、細い糸を紡ぎ織り上げた。婚礼の際に女が頭の上から被る透かしの布だ。その後はやがて生まれてくる子どものおくるみになる。島の娘は婚礼が決まると、好いた男との幸せな将来を夢みて、想いを布に込める。

 しかし澪筋は周囲に勧められて相手も定まらぬまま織り上げたので、夢みるどころかを縦糸の間に渡す動作一つも憂うつだった。皆、波座が澪筋の相手になると決めてかかっている。女は力の強い男の妻になることを望む。島人たちの敬意を受ける巫女が、一番強い男と結婚するのは普通の成り行きだ。けれど澪筋は波座が好きになれそうもなかった。体が大きすぎて怖かったし、乱暴そうだし澪筋の話を全然聞いてくれない。

 それに波座が望んでいるのは、巫女であって澪筋じゃない。

 家の前の路地を子どもたちが駆けていった。

「やーいやーい夫婦者ー。砂紋(さもん)汐干(しおひ)は夫婦者ー」

「ちがわい、待てよ!」

 今年、島入りの儀式を受ける子どもがからかわれている。

 島の子どもは七つになった年の暮れ、島入りの儀式を受けてはじめて島人と認められる。それまでのように遊んでいられなくなり、男は男の、女は女の仕事を教えられていくようになる。

 儀式では浜で島人になる誓いを立てて、島の者たちに歓迎されながら大広場に入り、同年か一番歳の近い異性の島人から歓迎の口付けを受ける。儀式に臨む者の数が、男女一人ずつになる年がまれにある。島入りの儀式と婚礼の儀式は、浜から大広場まで歩くところや口付けを贈りあうところなど似通ったところが多い。そのため、島入りの儀式で男女一組になるとよく夫婦者とからかわれるのだ。

 澪筋の口からため息がもう一つ出た。

 澪筋も十年前、七つの年に儀式を受けた。ちょうど今年と同じく男女一人ずつの年で、やはり同じようにからかわれた。でも澪筋は悪い気はしていなかった。むしろ相手が頭領の息子で将来頭領になるだろうと期待された子だったからだ。だから一緒になるのを夢見たくらいだった。友達にのせられ調子に乗って、頬にするところを唇に口付けをした。皆から喝采を浴びて有頂天になったのに、まさか相手が女の子だったとは。

「私ってばなんてことを」

 つぶやきがもれる。申し訳なくて恥ずかしくて、合わせる顔がない。

 島入りの儀式の時のことを謝りたいと思う。けど、今更どうやって謝ったらいいかわからない。島人たちが避けている水潮に声をかけるのは勇気がいることだ。狭い島のこと、内緒というのは難しく、言葉を交わしたと知れたら変に噂されてしまうかもしれない。澪筋は水潮のように人々から冷たい目を向けられるのが怖かった。

 さっきも助けてくれたのに、お礼を言わなかったどころか怯えて逃げてしまった。そんないくじのない自分が、澪筋はたまらなく嫌だった。


 ガッ!

 青空を背景に、二本の棒がぶつかった。二度、三度打ち合った後、一方の棒が下がる。もう一方も攻撃を避けるためにそれに続く。先に棒を下げた男は、水潮のみぞおちを狙って棒を突き出した。水潮はその棒を避けるでも弾いてそらすでもなく、自分の棒でからめるようにして相手の手首をひねり上げ、取り落とさせてしまう。武器を落とすという失態に混乱した男は、伸びてきた棒先を後ろに避けようとしてつまずいてしりもちをついた。水潮はそれを追い、喉をかすめるぎりぎりのところを突いて、男の背後の地面に棒を突き立てた。

 始めてからほんのわずか、瞬きを二、三度する間に勝敗は決した。

 観戦していた者たちは幻でも見た気になったのか、目の前で何が起きたのかを隣同士で確認する。何しろ水潮が下したのは、黒瀬くろせという名の、水潮より頭二つ大きい、体格がよくて武術の腕も確かな男だったからだ。十三、四の少年と変わらない体格の水潮が敵う相手とは到底思えない。

見間違いではなかったとわかると、今度は黒瀬に向かって野次が飛んだ。だらしないぞ、手を抜いてんじゃねーよ、と好き放題だ。水潮は引き抜くように黒瀬の際から棒を外すと、自分の足元を音を立てて突いた。

「他にあたしと試合いたい者はいるか?」

 とたんに野次は消えた。黒瀬のことをさんざ言いながら、自分たちに勝てる自信はないのだ。一瞬のわずかな動きで相手が強く握り込んでいる棒を取り落とさせる手管は、勝負を尻込みさせるくらいにあざやかだった。

 静まり返ると黒瀬はようやく自分の情けない恰好に気付き、慌てて立ち上がった。立ち上がりながら棒を拾い、すぐに構える。

「転んだところを狙うとは卑怯な! あれで勝負がついたと思うな。仕切りなおしだ、正々堂々勝負しろ!」

 通りかかったところをおもしろ半分に勝負を挑んだ手前、負けて終わるわけにはいかなかった。言いがかりをつけてでも再戦し勝たなくては、黒瀬の立場がなくなる。

 しかし水潮は黒瀬の挑発にふんと小さく鼻を鳴らした。

「武器を落した段階で負けは負けだろ? それとも武器を落とされたせいで転んだのだからこの試合は無効だと言いたいのか? やれやれ、がたいのいい奴は大変だね。自分より小さい奴に負けたと認めるわけにはいかなくてさ」

 黒瀬はかっとして棒を振り上げた。

「言わせておけば!」

 振り下ろされた棒を水潮は半歩で避け、自分の持つ棒に体重をかけて黒瀬の棒を横にはじく。棒を大きくはじかれて体勢を崩した黒瀬の肩を、水潮は棒の先を押し込むように突いて再び黒瀬を倒した。そしてすかさず体を起こそうとした黒瀬の喉下に切っ先を突きつける。黒瀬は喉を突き上げられる恐怖に身を竦ませた。

「ただの棒でよかったね。もし試合じゃなくてこれが真剣だったら、黒瀬、あんたはとっくに死んでる」

 そう言って厳しい表情で黒瀬を見下ろす水潮に、男たちは水潮の実力が本物と知って言葉を失う。そんな中、黒瀬を兄貴と慕う三人の若者が棒を手にし、一斉に水潮に挑みかかっていった。

「この女ぁ!」

 水潮は跳躍して黒瀬から距離を取ると、棒を両手で持って構える。

 双方の切っ先が振り上げられた瞬間、重たい声が響き渡った。

「やめんか!」

 黒瀬の弟分たちは慌てて止まろうとするが、勢いがつきすぎていて前のめりによろけてしまう。水潮はとっさに棒を引くとぶつかってくる彼らを一歩脇へ退くことで避け、背筋を伸ばして声の方を向いた。

「鍛錬の最中に喧嘩を始めるとは何事か!」

 大広場から林手前の空き地に杖を突きながらゆっくり降りてきた島長は、怒鳴りながらその場に居る面々を見渡した。

 島長とは舟に乗れなくなり年寄組に入った者たちの中で選ばれる。頭領は舟を駆る男たちの先頭に立ち島を外敵から守る役を担う者で、島長は女子どもを含めた島人すべてをまとめ島の生活を守る者だ。鍛錬は頭領の管轄だが、島の秩序が乱れそうになるのを島長は見過ごすわけにはいかない。頭領がいなければ、島長がその役を担うことになる。

 場を任せられる人物がここには居ないと判断すると、島長は目をつり上げて声を張った。

「いつまでも休憩しとらんと鍛錬に励まんか! たるんどるから喧嘩を誰も止めやせんのじゃ。掟で喧嘩が禁じられておること忘れたか!」

「お言葉ですが、喧嘩をしていたわけではありません。試合っていたのです」

 島長は眉をひそめて水潮を見遣った。

「女のそなたが何故ここに居る? そなたが男であったとしても三対一は卑怯じゃ。そんなもの試合などではない」

「戦いに卑怯も堂々もありません。肝心なのは勝つことです。鍛錬とは戦いに勝つための腕を磨くことではないのですか?」

「鍛錬は心身を鍛えるためにあるのじゃ。戦うために行うのではない」

「八年前の襲撃のことがあってもそれを言いますか?」

 表情を険しくした水潮に、島長はふんと鼻を鳴らした。

「もう二度と起こりはせん。裏切り者は島を出て行ったからの」

 島長の嫌味な視線に、水潮は何を言いたいのか読み取って怒りに声を荒げた。

「父さんは裏切り者じゃないって言ってるじゃない!」

「ならば誰が裏切り者だというのじゃ?」

 切り返されて水潮は言葉を詰まらせた。島長は水潮を見据えて語る。

「島への上陸は難しい。それを大陸の者たちが自力で成せるはずがない。そして襲撃の手際のよさ。島のことを熟知していたとしか思えん。ならば内通者が必ず居たはずじゃ。そなたの父でないとしたら一体誰だったというのじゃ?」

 水潮は悔しそうに目をそらした。

「それは……」

「そなたは何をしに、どうして八年も経ってから島に帰ってきたのじゃ?」

「帰ってきたのは父さんが死んだから……。あたしは両親が慈しんだこの島を守りにきたんです」

「ならば掟に従え。そなたのしていることはいたずらに混乱を招く」

「……」

 水潮はこれ以上何を話しても無駄とでもいうようにため息をつくと、大広場に向かって歩き出した。

大広場に入ると坂から水潮の方へと、痩身の男が歩いてきているのが見えた。現在の頭領、吹走すいそうだ。頭領でありながら侵入者である水潮の扱いの判断を島長に任せ、自身は口を閉ざしている。吹走は水潮の姿を見て歩をゆるめた。見詰め合いながらすれ違う。水潮は少し歩いてから立ち止まり、振り返って空き地へと歩いていく吹走の後ろ姿を見つめた。

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