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23、

 二人きりで大広場の外に出るなんてはじめてですねと水潮が茶化すと、前を歩いていた島長はじろり目を向けた。睨まれて水潮は口をつぐむ。

「何故島を出て行くんじゃ?」

 水潮は肩をすぼめた。

「何故って、話したとおりで」

「違うじゃろ」

 確信のある強い口調で言い切られ、水潮は苦笑いをした。澪筋には数日前、島を出ると話したすぐ後に指摘された。どうもわかる者にはわかってしまうらしい。澪筋はあれ以来言い出しはしないけれど、たまに問いたげな視線を送ってきていた。

「島長としては、掟破りなあたしが島にいない方がよくないですか?」

 島長は探る目で水潮をじろじろ見て、それからおもむろに口をきいた。

「そなた、風が読めるじゃろ」

 水潮はうっと言葉を詰まらせしまったという顔をする。その後ごまかし笑いをした。

「ばれちゃいました?」

「あれだけのものを見せられては、疑うこともできまいよ」

 島長は洞窟の外に出て、入り江を見守っていた。そこにあらわれた水潮の姿。島から失われたと思われ、忘れ去られたはずの能力だった。巫女は物に記憶を刻み、刻まれた記憶を読んで像を結ぶ。島の女の巫女の力は代を重ねるごとに弱まり、記憶を刻む能力は失われていった。だが、直系といわれる血筋の女には稀に初代巫女に近い能力がよみがえることがある。その者は記憶を物に刻む能力だけでなく、物の前を通り過ぎただけの記憶も読むことがある。

 そういう力を持つ者を、風読みの巫女と呼ぶ。

 あの夜、水潮は風に映った自分の姿を読んで空に映し出した。最初の襲撃の際短刀を受け取った澪筋が驚いたのは、水潮に記憶を刻みつける能力があることを知ったからだった。短刀には山肌が刻み込まれていた。洞窟の前に像を結べば目くらましになる。

「そなたは時折、空に見えない何かを見る仕草をするじゃろ。わしの祖母もそうじゃった。空を見上げてはわしらとは違うものを見ていた」

 もしやと思ったのは漁から男たちが戻るのを言い当てた時だった。長年漁をしてきた島長にもわからなかったことだ。水面を跳ねる魚の群れと、島の裏側を回った男たちが見えたのだろうと島長は思った。

「そなたの父は宝を“二つ”守っておったのだな」

 水潮は首をすくめて遠慮がちに言った。

「あの……あたしやっぱり島にいなくてはいけませんか?」

「そんなことは言っておらんじゃろ」

 あっさり否定され、水潮は首を竦め林の間から見える海を眺めた。ほっとした表情の中に、ほんの少し淋しさが混じる。島長は同じように海を眺めて言った。

「そなたの父浪煙は、掟や島に捕まえておくことのできぬ男じゃった。その娘のそなたを捕まえておけると思ってはおらんよ。それに、どこに居ってもそなたが浪煙と閼伽の娘で、わしのただ一人の孫娘であることには変わりはないからの」

 水潮は驚いて島長を見、みるみる笑顔でいっぱいになる。

「おじいちゃん!」

「これやめんか!」

 抱きつく水潮をはがそうとして島長はよろける。水潮は島長を転ばないよう支えてから手を離した。島長は照れ隠しに服をぱたぱたはたきながら言う。

「いつ行ってしまうつもりじゃ?」

「あと五日くらいで」

「今年の島入りの儀式がもうすぐじゃ。新しい島人たちを祝ってやってからにしてくれ」

 水潮はしばし躊躇した後、はい、と言って頷いた。


 坂を下ろうとした逆浪の前に、波座は立ちはだかった。顎をしゃくりついてこいとうながす。逆浪は黙って上っていく波座についていった。

 高台は今、見張りを置いていない。夕方に望遠鏡を覗いて船が揃っているか確認するだけだ。それも今日はすでに終わっている。

「おまえは水潮を止めないのか?」

 逆浪は下を向いた。答えようがなく沈黙する。

「俺は引きとめた。島を出るくらいなら俺の妻になれと抱き寄せた。抵抗はしなかったよ。おとなしく抱かれた」

 逆浪はとっさに顔を上げ、怒りとも憎しみともとれる視線を向けた。波座は目をぎらぎらさせて逆浪を見返す。

「そんな顔をするなら何故自分のものにしない? 俺は澪筋がだめだったからという理由で水潮に想いを寄せたわけじゃない。小さい体に幾つもの責を負って、押し潰されそうになっても必死に耐える水潮を助けたいと思ったからだ。心底守りたいと思って、いとおしくてたまらなくなった。おまえもそうじゃないのか?」

 逆浪は顔を横に向けて目をそらした。

「守りたいとは思った。だが……」

 ようやく出た言葉を逆浪は途中で止めてしまう。波座は胸倉に掴みかかった。

「だがとは何だ! 苦しみをせめて自分にだけは分けてくれと言ったのは偽りか!」

 波穂に忠告された。二人の仲は引き裂けないと。波座も気付いて退こうとした。だが、逆浪が動かないのなら話は別だ。何をしてでも物にし、自分の許で幸せにしてやるつもりだった。

 逆浪は波座の手を振り払い叫んだ。

「偽りではない! だが拒まれたんだ。拒まれたものをどうやって……」

 声は小さくなり、逆浪は横を向いてしまう。波座はふんと鼻を鳴らした。

「拒まれたとはどのように? 俺は抱きしめた後、口付けをしようとした。しかし間に手を差し込まれて阻まれた。ごめんなさいと、一言だけ言われたよ。それだけなら引き下がるつもりはなかったが、見返してくる目の意思の固さに俺は負けた。おまえの時はどうだったか? 意思の固い目をしていたか? 言葉は揺るぎなかったか?」

 忘れてはいない。涙で揺れる瞳、震えた声。逆浪は思い返して呆然とした。

 波座は苦々しそうに顔を歪めて逆浪を突き飛ばすように高台を出て行く。

「おまえにだけは水潮を止める権利があることを覚えておけ」

 逆浪は夕暮れ迫った崖の上に一人残された。


 帆をかける縄が戻ってきて、男たちは嬉々として帆を張りなおした。三日に一度は沖に出ていた者たちが十日も舟に乗っていない。舟を出せるのがよほど嬉しいのか、舟揚げ場はいつにも増して軽口や冗談であふれ笑いが絶えない。

 逆浪もその中に混じっていた。一人黙々と舟柱と舟柱から横に伸びる棒の先端を縄で結び、出来上がった三角形の中に帆を張る。

「逆浪」

 背後から声をかけられた。振り返ると波穂が立っている。ついてこいと親指を上げられ、逆浪は波穂の後に続いた。

 着いた先は浜の端の岩場だった。舟揚げ場から見えないところに澪筋が立っていた。

「話があるのは澪筋だ」

 顎でしゃくられ、逆浪は戸惑いながら澪筋の前に出る。澪筋はこの間まで気弱だったとは思えない強さで逆浪を見返した。

「水潮を引き止めて欲しいの」

 逆浪は項垂れて澪筋から目をそらした。

「俺にはその資格がない」

 引き止められるものなら引き止めたかった。しかし水潮の父親を殺し、母親の死に関った自分に、何の資格があるだろう。水潮は幸せになっていいわけがないと言っていたが、それは逆浪も同じだった。二人を殺しておきながら、どうして娘をくださいと言えようか。

 澪筋は苦悩する逆浪を叱りつけた。

「それが何だというの! 水潮をあなたはちゃんと見てなかったの!? 水潮はあなたと居る時が一番幸せそうだった。そんな水潮が、あなたを許していないわけないでしょう?」

 逆浪は愕然として澪筋を凝視した。

 知られていたのか? 水潮が話したのか? 自分が八年前の襲撃に関っていたことから全部?

 逆浪の驚きように澪筋は首を傾げた。

「あなたが水潮とのことをためらってたのは、お父さんと一緒に水潮たちを裏切り者として追いかけたことでしょう? でも結局は見失ってしまったのだし、なかったも同じなんじゃないの?」

「え──?」

 逆浪はぽかんと口をあけた。

「何?」

「い、いや……」

 違った。考えてみれば当たり前のことだ。あのことを知っているなら、こんな風に話しかけてくるなんてありえない。八年前の襲撃でたくさんの人が死んだ。波穂の父も、確か澪筋の父もそうだった。その元凶になった自分を許せるはずがない。

 許せるはずがない?

 逆浪はたった今気づいたことに、視界が一気にひらける思いがした。

 そうだ、水潮は逆浪を許してくれていた。普通なら到底許せるはずのないことを。──全然恨んでないって言ったら、それは本当じゃないから──それは、逆浪を許せないけれど、それに以上に想っているのだという意味に取れはしないか?

「逆浪?」

 急に考え込みはじめた逆浪を、澪筋は不審げにうかがう。

「水潮は本当に俺を許していると思うか?」

 急に力強い様子に変わった逆浪に、澪筋は戸惑いながら答えた。

「え? ええ、もちろん」

 それを聞いて逆浪は村へと視線を向けた。水潮が居るだろう方へと。


 波打ち際から子どもが二人上がってくる。子ども服ではなく、膝の半分の丈の男服を着た少年と、くるぶしまでの女服を着た少女。少女は薄布を頭からかぶっている。島人の始祖である元皇女と元王子は、この姿で上陸したといわれている。そして先に到着していた仲間たちから手荒い出迎えを受けた。

 子どもたちの前に左右から棒が突き立てられる。道を阻まれた子どもたちはこれが儀式の一部だとわかっているものの、その迫力に怯えて身を縮込ませる。突き立てられた棒の向こう側に立った頭領水潮は胸をそらし怒号を発した。

「上陸にあたって誓いを述べよ!」

 少年は片膝をつき、少女は両膝をついて水潮を見上げる。たどたどしくも力強く、教えられた字句をのべた。

「我ら島と島ある内海と、内海をとりまく諸国の和を求めます。争いを起こさず、争いを拒み、諸国に属さず諸国に与せず、その証として島の宝と宝に記されし誓約を現せし巫女を守り抜くと誓います」

「誓い確かに受け取った。さあ通られよ。我らの同朋として歓迎する」

 水潮が厳かに告げると、二本の棒は同時に引き抜かれる。

 おっかなびっくりだった二人は顔を見合わせほっとする。水潮の先導で脇から島人たちの喝采をもらい、大広場まで歩いた。大広場を囲う壁の上に立ち、とりかこんだ島人たちからまた喝采を受けて向き合った。

「では歓迎の口付けを」

 少女は薄布を頭から外し肩にかけた。照れながら頬をさしだす少年を、少女は両手で顔をはさんで引き寄せて、口に口付けをした。驚きと笑い声がどっと響く。少年は口を押えて呆然とし、少女は恥ずかしがってすぐさま飛び降りると仲良い少女たちの中に駆けていく。

 儀式と違うことをしたからといって誰も叱りはしない。儀式を受ける者がちょうど男女二人だと、たいていどちらかがこういう反則をするのだ。

 頭領最後の仕事として儀式を執り行っていた水潮は、勝手に儀式を終わらせてしまわれて、上げかけた手の行き場を困らせる。澪筋は水潮の服をつまんでつんつんと引っ張り、向けられた途方に暮れた顔を見てくすくす笑った。

「あれ、もう形式になってない?」

「あら、知らなかった? それに島入りの儀式で口付けあった二人は将来一緒になるっていうわ。女の子のあこがれなのよ?」

「あんまりいい風習じゃないと思うんだけどなぁ……」

 水潮は頭の後ろを掻きながらため息交じりに言った。

 ともあれこれで儀式は終了だ。後は魚の干物を炙ったものやいつもより具の多い麦粥を囲んで夜まで騒ぐ。

 水潮が食事の合図をしようとしたとき、澪筋は水潮の耳に口を寄せてささやいた。

「話したいことがあるの。食事のあと誰にも内緒で高台に来てちょうだい」

 言うだけ言って澪筋は人の間に小走りに入っていってしまった。

「さあ! 新しい島人たちを祝って宴を始めるぞ!」

 めずらしく強引だった澪筋に引っ掛かりを覚えつつ、水潮は手を叩いて宴の音頭を取った。


 宴では男も女も老人も子どもも入り混じって歓談しながら、普段は食べることのないごちそうに舌鼓を打つ。夕飯には少し早い時間から始まった宴は、馬鹿騒ぎする若者たちとそれを見て大笑いする島人たちとで大いに盛り上がっていた。

 食事を終えた水潮は、椀に明日の朝飯をもらいに行きがてらさりげなく席を外れた。捜してみたけれど、澪筋の姿は大広場になかった。もう高台に着いているのかもしれない。水潮は目立つ坂は使わずに路地を通って高台に向かった。

 集会所の裏に身を隠していた澪筋は、後ろに居る波穂を振り返ってに小声で言う。

「行ったわ」

 うきうきした様子に波穂は複雑な笑みを見せる。

「話したいことがあるんだが、いいか?」

 移動を促され、澪筋は頬を染め嬉しそうに頷いた。

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