21、
船は前回のように夜陰に紛れることはせず、かがり火を煌々と焚いて堂々と回ってきた。
凪がきて、帆を張りながら潮の流れに船をまかせる。入り江に舳先が向いたその時、陸風の第一風が吹いた。乾いた軽い風は帆をいっぱいに広げて船を入り江へと押し出す。先頭の船が少し揺れた。船底に何かがかすったのだ。
突如ほら貝の音が響き渡った。とたん船が入り江から押し返される。船は入り江からの力と風にはさまれて斜めになる。そこに後続の船が激突して、船上は混乱した。
「船の方向を立てなおせー!」
「確認ー! 障害物を確認して報告ー!」
指示が飛ぶ。先頭の船の縁から幾つもたいまつが伸びて、海面に何かを探して振られた。その光に入り江をふさぐ縄が照らし出される。舳先を正面に向ける前にはなかったものだ。
ここ数日の間に、男たちが総出で用意した仕掛けだった。船の柱を三本束ねて岬の両端に立て、全ての船から外したロープを束ねてつなぎ合わせた長い長い縄を、入り江の口に渡して沈め、両端を入江を囲む岩場に沿って置いた。
最初から張っておくと、敵は警戒してしまう。縄を海中に沈め敵船が入り江に侵入しようという時に、岬に並んだ男たちが縄を引っ張る。岬に先端に立てられた棒にかけられた縄は、岬に沿って入り江の真横から逸れてしまった男たちに引っ張られても入り江の口から外れていくことはない。
海の中から突然出てきた縄は、入江に入り込もうとする船を阻む。こうして意表を突くことで、敵の混乱を誘ったのだった。
入り江の闇から太くて張りのある男の声が響いた。
「夜更けに数をなして押し寄せる不心得者よ! そのような礼儀をわきまえぬ者たちは島に上陸させぬ。即刻立ち去るがよい!」
船の側からも声があがった。
「我々はニルフェド王国国王より直々につかわされた、国王の勅命を携えた使者である! 速やかに道を開け! 上陸を乞い、国王の勅命をありがたく拝命するよう命ず!」
「我々はニルフェド王国という名には縁もゆかりもない! そのような国の王の命令を聞くいわれもない。取って返しその旨伝えられるがよい!」
「おまえたちの祖は我が国の者である! よっておまえたちも我が国の民であり、おまえたちの住む島も我が国のものである!」
「そのような言いがかりには応じられぬ。お引取り願おう!」
吹走が船の上の者と話している声は、浜にまで届いていた。しかし遠すぎて内容までは聞き取れない。澪筋はじっと村の方を見上げていた。水潮はまだ来ない。
伝令をする少年たちが次々腕を振り回しはじめた。女たちへの合図だ。澪筋は喉をならし、覚悟を決めて声かけをした。
「皆! 力を高めて!」
その時、正面の林から飛び出してくる影が見えた。砂を食む足音があっという間に近付く。
「水潮!」
澪筋の歓喜の叫びに女たちは振り返る。水潮はひざまづく女たちの間を駆け抜けて正面に立った。
「遅くなって悪かった! 集中して! 力をあたしに!」
女たちを背にして立ち、水潮は両手を組んで集中する。澪筋はその横にひざまづいた。女たちの一念が水潮に集められ、水潮の体は光を帯びてくる。
岬の先では言葉の応酬が続けられていた。
「おまえたちが神聖フェルミラー皇国の世であった頃より我が国の民であることは、我が国の歴史書に記されたれっきとした事実である。従わねば処罰が下ると心得よ!」
「我々島人は、神聖フェルミラー皇国の民でも、ましてやニルフェド王国の民でもない。その証がここにある。見よ!」
その瞬間、水潮は両腕を天に広げた。
ドン!
音ではない、巨大なものが落下したような衝撃が一帯に落ちた。驚愕の声が湧き起こる。突如巨人が姿を現したのだ。歩を進める巨人のつま先が迫って、船上は恐慌に陥った。しかし巨人の足は船をすり抜け船に危害を与えない。
巫女の力で映し出された映像だった。夜張りの空に映し出された巨大な記憶。
その像が少し歪んだ。
「集中を解かないで!」
水潮の声が飛ぶ。像の大きさを目の当たりにして驚いたのは敵だけではなかった。女たちも呆然として集中を解きかける。が、水潮の声にすぐに集中に戻った。
夜空に浮かび上がった像は動きつづけていた。
みぞおちまで髭をたくわえた威厳ある老人の前に、若い男女が進み出る。男は片膝を、女は両膝を突いた。両側には立派な服を着た、威風ある者が並んでいる。男女は頭を垂れた。
「長きにわたり人を滅ぼし地を焼いた五国をまたぐ戦乱は、この者たちをはじめとする、国に隔たれることなく平和のために集いし者たちによって終結を迎えた。そして五国一致して和平締結を成す。今後五国は定められた国境を侵さず、定めた交易を守り、諍いは対話をもって解決することをここに誓うものとする。異存なくば誓いの炎を」
傍らで燃え盛る炎から、老人をはじめとした五人があらかじめ差し込まれていた杖を引き抜く。その先には強い炎が灯っていた。
「内海周辺五国の和平締結を祝いて、ここに和平各国共同宣言を発し、戦乱終結の起点となった内海島を平和の象徴と定める。以後内海島はどの国にも属さずどの国にも与しない独立した土地とし、これを証明するものとして、この会談を記憶した銅鏡を与え記憶を引き出す巫女として神聖フェルミラー皇国皇女リディエーラを皇籍より外し第一の島人とする。また巫女リディエーラを守る者として暁洲国王子海礁をはじめとした各国の志願者数名を、各々の国の支配から外し島人とする」
老人は下を向き、リディエーラ、と先程までとは違うやさしい声色で語りかけた。
「本当によいのか?」
リディエーラは喜びに輝いた顔を老人に向けた。
「私の悲願でありました和平叶い、またこれを末永く伝える役目をお与えくださり、これ以上の喜びはございません。以後は暁洲国王子──いえ、島人海礁をはじめとする平和願う人々と共に、私島の巫女リディエーラは末永く島を守りつづけてゆきたいと存じます」
老人は重く頷き手に持った炎をかかげた。
「これにより五国和平および島の永久独立の宣言を締結する!」
リディエーラが銅鏡を両手で掲げ持つ。そこに五つの炎が集められ、一帯は炎に包まれた。一瞬の後、炎とともに像も消えうせる。
これが島の宝が宝と呼ばれる所以だった。島がどの国にも属さない、島人たちだけのものだという証。
吹走の怒号が響き渡った。
「よって我ら島人は、ニルフェド王国に属さずニルフェド王国に与しないものである!」
船の上に動揺が走った。多くの者は国が掲げる主張が正統なものだと信じて疑わなかったのだろう。それが偽りかもしれないと知れ、先程までの混乱は不安の声に変わる。敵の指揮官は兵士たちの動揺を叱咤しながらも、自らもどもりながら通告した。
「そ、そのようなもの、我が国のあずかり知らぬものである! まだ上陸を阻むというのなら、反逆の徒としてこれより処刑を行う」
指揮官が手を上げると、船の縁に弓矢を構える兵士たちが並んだ。
女たちは、岬でまだ話が続けられている様子を見て不安を覚えざわめいていた。水潮は船団の一点を見つめ、しだいに怒りをあらわにしていく。水潮の体が暗がりの中で再び光をおびはじめた。
「……この」
気付いた澪筋がとっさに力を送る。
「痴れ者が!」
怒鳴った声は水潮の像が夜空に映し出されるのと同時に、空高くから船団に叩き込まれた。船の帆くらいの大きさに映し出された水潮は、女たちが再び集中するにつれ大きくなり、先程の像と同じく山のようになる。
「富と権力の誘惑におぼれる者どもよ! おまえたちが一体何をしたのかわかっているのか!? 他国を攻め滅ぼし住まう人々をとらえ、逆らえば殺し、村や街や、田畑や森を焼き尽くした! それでおまえたちは何が得られたというのだ! 田畑が荒れれば実りは育たない。村や街が焼かれれば蓄えられた財が失われる。極限までしぼりとられた人々は今までと同じ働きは決してできはしないだろう。すべてが失われ一からはじまってまだ三百年、たった三百年しか経たぬのに再び同じ過ちを繰り返すというのか! おまえたちの手に残るのは富でも権力でも、まして栄誉でもない。荒れて実りを得られなくなった大地と、おまえたちに恨みをためこんだ民だけだ。おまえたちは得たのではない、失ったのだ!
我らはおまえたちの暴挙に屈したりはしない。古の誓いを守り、戦禍を防ぐ要となる!」
夜空に光が飛んだ。岬から船へ。帆が貫かれ赤く燃えはじめる。
「帆なくば二度と大陸には戻れぬ! すべて燃え尽きぬうちに去るがいい! 船を捨て島に上がろうとする者は容赦なく討つ!」
岬に積まれた岩の上に立ち、矢を放って叫んだのは逆浪だった。古の像が映し出されている間に駆けつけた逆浪の表情は引き締まり、水潮と場を離れる前の迷いは微塵もなかった。二射目を構える。
「直ちに舳先ひるがえさぬ船は警告に応じぬものとして攻撃する!」
船で矢を構えていた者たちは、合図を受けていっせいに逆浪めがけて矢を放った。逆浪は矢の番えを解くと弓幹をさばいて矢を弾く。すばやく番え直し、放つ。それを合図に岩の上から次々火矢がとんだ。予想しなかった攻撃に、指揮官の反撃の命令届かず兵士たちは弓を放り出し櫂を漕いで舳先をひるがえす。一番最初に火のついた帆の縄が切れて兵士たちの頭上に落ちた。指揮官はたまらず叫んだ。
「消火ー! 消火急げ! ──退却ー!」
舳先を北に向け、敵の船団は島から離れていった。




