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20/24

20、

 さっきまで真っ赤だった空が、もう濃い闇に覆われようとしている。この時期は夕暮れが短い。もうすぐ凪が訪れる。凪が終われば陸の風が吹いてくる。

 しかし逆浪はまだ戻らなかった。波穂は他の者たちの不安を押えるために平静の顔をして各人の立ち位置を確認する。しかし内心は一番焦っていた。逆浪が居なければ波穂が逆浪に代わって敵への第一射を決めることになるからだ。水潮が波穂にだけこっそり伝えたその指示は、今の状況になることをあらかじめ想定してのことだったのか。逆浪の様子は確かに不安だった。大任を任されておきながら、心配になるくらい覇気がなくなっていった。気落ちの心当たりはないこともない。波穂にも覚えがある。恋敵に敵わない悔しさと挫折。しかしそのようなことで戦いに支障をきたすようであれば、困るどころの騒ぎではない。水潮は喝を入れてやると言っていたが、あれが喝で何とかなるものなのか。

「船が回ってきたぞ!」

 島の外側を覗き込んでいた者からの伝言が届く。逆浪が戻ってくる様子はまだない。波穂は覚悟を決めて心を奮い立たせた。

「配置につけ! 敵も矢を打ってくるかもしれない。不用意に出るなよ!」

 皆、迅速に岩影に隠れる。


 船が回ってきたという合図は、岬から等間隔に位置した少年たちの伝言によって浜まで届けられた。ほら貝を使わないのは、敵に気付いていることを気取らせないようにするためだ。

 浜の中央にかたまる女たちは不安な顔を見合わせた。伝令を受け、指示を出すはずの水潮がいない。動揺にざわめいた。澪筋は立ち上がった。

「水潮は必ず間に合います! 心を落ち着けてこれまでの努力を十分に発揮することだけを考えてください」

 澪筋のきぜんとした態度に、女たちは多少の落ち着きを取り戻した。そのまま態度をくずさず立ち続けるが、内心は目が回り倒れそうだった。巫女である澪筋には歴代の巫女たちがしていたように、女たちをまとめる権利があるはずだった。でもこれまでつとめてきた巫女たちと比べ極端に力が弱いことから、人の上に立つなどということは考えたことがなかった。しかし人の上に立つということがどういうことなのか今、ようやくわかったような気がする。それは特権なんかじゃない、責任だ。正しく導いていくという責任。自分が失敗すれば皆も道連れだ。命までも預かる場において、間違いは決して許されない。正しく導くには、正しい方向をしっかり見定めて皆より先に進んでいかなくてはならない。水潮は正しい道筋を示してくれた。今も島を守るためどこかで奔走している。澪筋はまだ巫女の役を任されている。ここまで道をつくってきてくれた水潮のためにも、皆の先頭に立ち導いていく責任がある。

「万一水潮が間に合わないことがあれば、私が水潮の代わりをします。その時はお願いです。私についてきてください。私に皆を導く力を貸して!」

 年配の女性が一人立ち上がった。

「あなたが巫女です。島の女は巫女たるあなたに従うものです」

 暗闇に表情までは見えないものの、女たちは澪筋にしっかりとした頷きを送ってくる。澪筋は目をうるませながら頷き返した。

「今は、心を落ち着けて待ちましょう」

 もう誰も不安げに隣と顔を見合わせなかった。澪筋に視線を集め心に平静をたたえていく。



 逆浪は愕然として目を見開いた。声も出せず水潮を凝視する。水潮は口の端を上げた。

「どうしてわかったのかって? 父さんがね、海で殺されるなら殺るのはあなたしかいないって言ってたの。島でも外海でも、父さんに敵う者は一人もいなかった。だからもし超える者がいたら、それは父さんに次に上手だった疾風(はやて)の息子が技を磨いた時だけだろうって。それに父さんの胸についていた傷。片刃の短刀で刺し貫いたものだったわ。あの遥か西の地域では、片刃の短刀など出まわってなかった。ならばそれは別の地域から持ち込まれたもの。島の他に思い当たったのは片刃の短剣を得意とする、暁洲国軍暗殺部隊」

 逆浪は観念し目を閉じた。水潮は構わず先を続ける。

「誰も思っちゃいないでしょうね。父さんが四年も前に死んでるなんて。聞いたわ。あなたは三年前に帰ってきてるんだってね。一年で帰ってこられたっていうこと? あたしは四年もかかったわ。長浜のむこうの、父さんと親しかった村長のいる村まで三年、そこで島に戻るために鍛えて一年。──逆浪、島に戻ったあたしを見て心底驚いてたよね。あんまり帰りが遅いから、死んだとでも思ってた?」

 顔を覗き込まれて逆浪は動揺して後退った。

「あなたは男だから知らないでしょうけど、小娘の一人旅ってさせてもらえやしないのよ。旅をするには人里に立ち寄って働いて、最低限食糧だけでも手に入れなくちゃならないでしょ? でも小娘なんかを雇ってくれる人なんて、どこにもいなかった。家に住まわせてくれて仕事を手伝うかわりに食べさせてくれる人たちはいた。そういう人たちはあたしに村の一員になることを望んでた。故郷を忘れてここを新しい故郷にしろって。なのにどうやって帰りつくことができたかわかる?」

 岩壁まで追い詰められた逆浪は怯えながら首を横に振った。水潮は口元だけに笑みを浮かべた。

「暁洲国がニルフェドに侵略される混乱を利用したのよ。空腹と体力を満たしたらね、お世話になってた家を抜け出したの。それでお腹と体力の限界まで歩いて、たどり着いた場所で、村を侵略されて逃げてきたって言うの。あちこちに戦火が広がってたから誰も疑わなかったわ。追い出されることもあったけど、大抵が同情して助けてくれた。あたしはその厚意をふみにじって住処を点々としたの。本当に戦場を渡ったこともあった。殺されそうになったり、なかなか戦場を抜けられなくて空腹で死にそうになったこともあるわ。でも一番辛かったのは助けを求める人たちのそばを、見て見ぬふりして通り過ぎることだった。手を貸せは多少は力になれたかもしれない。でもそうしたらあたし自身が危うくなる。下手をすると島に帰れなくなってしまう。そうしてあたしは、時に恩人さえ見捨てて島を目指したの」

「やめてくれ!」

 逆浪はわめいた。こぶしを目に当て、岩壁を伝って座り込む。

「すまない……。俺は、君にひどいことをした。君を辛い目に遭わせてしまった。謝って済むことではないけど、でも」

「いいから聞かせて。あなたの思っていることを」

 頭を抱えた逆浪のそばに水潮は膝を突いた。水潮の言葉に促されてぽつぽつと話す。

「捜したんだ、君を。自分のしたことの意味が、ようやくわかって、おそろしくなって、すまないと思って。でも捜した時には君はもういなかった」

「あたしを捜したの?」

 逆浪は頷いた。

「どうして? あたしに会って何がしたかったの?」

「あ……謝りたくて」

「あなたはあなたのすべきことをしただけでしょ? なのに何故謝りたいと思ったの?」

 逆浪は号泣まじりの声で語りだした。

「俺は何も知らなかったんだ! 父さんに言われたことをして、それが襲撃の手伝いだったと知ったのは、船が入り江に進入して村の中から悲鳴が聞こえてきてからだった。わけがわからなくて、君の父さんを追っていくと言い出した父に島から連れ出され大陸に着いた時、はじめて知らされた。父さんが暁洲国の兵士で、島の宝を奪おうとする暁洲国のために働いていたことを。父さんは襲撃の失敗の責任をとらされて処刑された。俺は父さんの失敗を挽回するよう命じられて、暗殺部隊に入れられて、暗殺の技を叩き込まれながら君たちを追った。わけがわからなかった。命令を拒否すれば、立ち上がれなくなるくらい殴って蹴られた。そんなことをされてるうちに俺は任務と言われれば、平気で人を殺せるようになっていた」

 両手の平を広げて見た。その手が小きざみに震えている。

「その頃にはもう、心が何も感じられなくなってたんだ。何をしていたのかもろくに思い出せない。ただ命じられたまま君たちを追っていて、あの日朝もやの中舟を出した君の父さんの後をつけた。舟を操りながら短刀を交えて、俺の短刀は君の父さんの胸に深く突き刺さった。引き抜いたら血が噴出して視界を赤くそめた。君の父さんは何かつぶやくと、舟に片膝をつきながら浜に向かった。俺は追えなかった。君の父さんが防戦一方だったうえに、自分から刺されたような気がして……」

 広げていた手のひらをぎゅっと握り締め一緒に目も閉じる。

「それであたしに謝りたかったの?」

「──それもあるけど、謝りたいと思ったのは君が泣いているのを見たからだ。浜で息絶えた父親にすがりついて、君は声を嗄らして泣いていた。その激しい慟哭に、俺は、君から大切なものを奪ってしまったことに気がついたんだ。そうしたらそれまで忘れてた感情があふれてきて、恐かったこと、苦しかったこと、痛かったこと、殺してきた人たちの恐怖に怯える姿や憎悪の目が次々思い出されて、人目から逃げて森に隠れて、長い時間苦しんだ。……気が落ち着いた時、心に残っていたのは君のことだけだった。村に戻ったら村の人たちは君のことを捜していた。君の父さんが使っていた舟がなくなっていたから、俺は君が島へ帰ったんだと思ってまっすぐ島に向かった。暗殺部隊の者たちとは一度も会わなかった。今思えば、国の危機の報せを聞いて、俺を放り出して国にとって返していたのかもしれない。あの時は追っ手がかかることも頭になくて、ひたすら島を目指して帰り着いた。君は帰っていなかった。あちこちで争いが起きていたから、巻き込まれてしまったのかもしれないと思った。後悔したんだ。泣いている君の前に出てゆけばよかったと。……君が戻ってきた時心底驚いたけど、それ以上に嬉しかった。生きていてくれたことが、本当に。でも、今また後悔している。たどりつくまでの君の苦労が申し訳なくて……」

「謝りたくて島に帰ってたのに、あたしと再会しても何も言わなかったわね。何故?」

 逆浪は水潮に目を向けた。水潮はまっすぐ逆浪の瞳を見つめていた。逆浪の涙にぬれた瞳は水潮の視線を受けて心細げにゆれる。水潮はおだやかな表情をしていた。逆浪は水潮の表情が信じられず、夢の中にいると疑うようなぼんやりした面持ちでぽつんともらした。

「君が、笑うから」

「笑うから?」

「俺に笑顔を向けるから、俺のしたことを何も知らないのかと思った。知らないならあえて過去をむしかえしてまた悲しい思いをさせてはいけないと思った。……でも、嘘だな。本当は俺のしたことを知られたくなかったんだ。俺は罪を隠そうとした卑怯者だ」

 再び頭を抱えた。もうおしまいだと思った。自分はこんなに情けなく卑怯な男なのだ。水潮はきっと見放すだろう。怒って詰って恨んで、心行くまで責め苛むといい。その覚悟はとうにできているのだから。

「それから?」

 覚悟していたのとは違う、やさしい声かけに逆浪は呆然と顔を上げた。水潮は微笑んだ。

「それで全部? ずっと胸の内にしまっておくのは辛かったでしょう? もう苦しむことはないのよ」

「でも……」

 逆浪は戸惑い口ごもった。水潮はいいのだろうか。こんな自分を許せるというのだろうか。

「あたしが何で死ぬ思いをしてまで島に帰ってきたかわかる?」

 それは、と口を開きかけた逆浪を遮り水潮は言った。

「あなたに会いたかったからよ」

 思いがけない言葉に逆浪は目を見開き息を飲んだ。

「辛かった時、苦しかった時、悲しかった時、いつも思い出したのはあなたのことだった。皆と水浴びをするのを嫌がって女だってばれそうになった時、通りかかったあなたは助けてくれたわね。女だってことを知ってると言って、誰にも言わないとも言ってくれた。それを守ってくれているあなたに、あたしは勝手についてまわったわ。そんなあたしをさりげなくかばってくれた。あたしが夫婦になってくれるかとせまった時も、真剣に答えてくれたよね。それがぜんぶ偽りかもしれないと考えることもあった。会えば敵として戦わなくちゃならないかもしれない。でもあたしは島にきっとあなたがいると信じて、それを支えに島を目指したわ。裏切られているとしても、戦わなくてはならないとしても、それでもあたしはあなたに会いたかったの」

 逆浪の手を水潮は両手で包んだ。水潮は目に涙をためて微笑む。

「あなたに会えて、戦わずにすんで、それだけであたしはもう、他に望むことは何もないのよ。……さ、もう自分を責めるのはやめて。もうすぐ陸風がくるわ。戦いがはじまる」

 立ち上がり逆浪の手を引く水潮の両手を、逆浪は強く握り返した。

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