19、
「あははははははははーーー」
「……そんなに遠慮なく笑わないでよ」
「いやだって、こんな話真面目にできるもんですか。それとも真剣に聞いて欲しかった?」
澪筋は黙り込んだ。真剣に受け答えされれば、それはそれで困る。
二人は今、夜の高台に来ていた。夕食の時様子のおかしかった澪筋を水潮が誘ったのだ。
波穂は求婚するつもりない様子で守ると澪筋に言い、澪筋は求婚されたつもりなくはいと答えてしまったと聞いて、水潮は腹を抱えて爆笑した。目元を指で拭いながら水潮は笑いを引っ込める。
「でもよかったじゃない。これで両思いだってわかったんでしょ?」
「よくないわ! ああどうしよう。もう人前に出られないっ……って水潮知ってたの?」
澪筋は恥じ入って身を縮込ませた。
「でもあれで求婚を受けたことになるのかしら……」
「ま、仕切りなおすしかないんじゃない? 波穂もそういう風に考えてると思うわ」
澪筋はぼっと顔を赤らめた。星明りの中、水潮ににやにや笑われて頬を押えて火照りを冷まそうとする。自分ばかりからかわれてなるものかと澪筋は訊き返した。
「ところで水潮の方はどうなのよ。波座の求婚受けるの?」
「求婚なんてされてないってば」
水潮はげんなりした様子で返事した。澪筋は首を傾げて水潮の顔を覗き込む。
「どうして?」
「し、知らないわ、そんなの」
「水潮、逆浪のことしか見てないものね。今のままじゃ不利だと思ったんじゃないかしら。波座のこと結婚相手として考えるようになるまで待つつもりだと思うわ。あの人、意外に頭いいのね」
水潮は前髪をかき上げ、澪筋からそっぽを向いてぼやいた。
「……どうして人のことにはそんなに鋭いの」
「え? 何?」
「う、ううん。ねえ、澪筋は波座のこと嫌いだったじゃない。なのにあたしには波座を勧めるの?」
澪筋はそのことを思い出し、肩をすぼめて言いにくそうに話し出した。
「体の大きさに物言わせるみたいに迫ってくるところとか、わたしの話をちっとも聞こうとしないところが嫌だったんだけど、水潮は波座とちゃんと対等に話せてるじゃない。案外お似合いだと思うの。……わたし、正直逆浪はあんまりいいと思わないわ。だってあの人肝心なところでは出てくるけど、それ以外さっぱりじゃない。逆よりまだましなのかもしれないけど、何だか水潮から距離置いてるみたいだし波座を牽制しようとしないし、水潮とのことを本気で考えてるのかどうか疑うわ」
水潮は額を押えてうなだれた。
「……だからどうしてそう他人事には鋭いの」
「え? 」
「ああ、こっちの話」
水潮は何でもない風を装って返事した後、気付かれないように小さくため息をついた。
陸で建造されつつある船は貨物船と同じ大きさで、航行に大幅な制限がかかる。島に向かってくる時の風は西から吹く海風、入り江に入ってくる時は東からの陸風でなくてはならない。櫂は向きを変えるためのもので船を航行させられるものではない。風と潮の流れを利用して進む造りになっているからだ。大渦があることから、西風で船を島の方に寄せないと引き寄せられてしまうおそれがある。そして入り江に入る時は東からの陸風が必要だ。風の力で一気に進入しないと入り江の口の乱れて高くなった波に阻まれて入れない。
敵はできればこちらの裏をかきたいだろうが、その条件だけはどうあってもくつがえせない。そのことから、敵船の出港は陸風がある昼間だけと推測され、高台からの見張りは陸風が吹く間だけ行われることになった。
逆浪はその日最後の見張りについていた。役目の多い逆浪は当番を免除しようという話もあったが、本人が特別扱いを拒んだのだった。
高台はすでに影に入っていた。海納めの日が近付いてきていることもあり、日の光が届かなくなるのが早い。後少しで風がやみ、しばしの凪がやってくる。陸の風が吹いてくる頃には星が見えてくることだろう。
今日も湾には目立った動きはなかった。この分だと迎え撃つ準備は間に合いそうだ。
逆浪は背後に気配を感じて振り返った。高台の入口に女が立っている。目をこらしているうちにそばに寄ってきた。水潮だった。女の姿をした水潮を見て、逆浪はうろたえた。
「どうかしたか?」
かろうじて一言だけ口にする。水潮はやわらかい笑顔を見せた。
「この時間、逆浪が一人で見張りしてるから来てみただけ。澪筋が貸してくれた女服をそのままくれたから、ちょっと着てきちゃった」
逆浪の手からするりと望遠鏡を取り、湾を望む。水浴びをしてきたところのようで、髪は濡れそぼり滴をしたたらせていた。肩口に滴った水は服に染みて胸元まで濡らしている。男服の時には巻いている布をしていないことに気付いて、逆浪は目をそらした。
「み、水潮は」
「見張りを手伝いに来たんじゃないわよ。たまには休ませてもらってもいいでしょ? 今は休憩してるの」
少しして風はやみ、水潮は望遠鏡を下ろした。
「今日も無事終わったわね」
正面を向かれて逆浪は困った。視線を定められずにいる逆浪に、水潮はくすり笑った。
「あのね。お礼を言いにきたの」
「礼?」
「あなたが教えてくれて策を立ててくれなかったら、きっと前回と同じように敵を島に入れるしかなかったと思う。だからあなたの策はとても助かったの」
ありがとう、と言って伏せられた目元が赤く染まったように見えて、逆浪は落ちつかなげに目をそらす。見せられた色香に調子が狂って仕方ない。
「ね? 何で急に策を立ててくれる気になったの?」
逆浪は我に返ったように水潮を見た。その瞳は何かに動揺して揺れていた。水潮はそれに気付かなかった様子でぽんと手を打つ。
「そうだ。大切な用があったんだ」
ちょっと、と水潮は手招きをした。水潮のすることに首を傾げながら一歩前に出ると、こんどは下に押すしぐさをする。逆浪が少し屈むと、水潮はすかさず顔に手をそえて、頬の下に顔を寄せた。ちゅっと音をたてて唇が離れる。
「お礼」
顔を真っ赤にして照れ笑いをすると、水潮はぱっと走り出した。
逆浪は唇の触れた顎の横辺りを押えながら、呆然と水潮の姿が消えた入口を見つめていた。
いつもは静かな浜が、襲撃を迎え撃つ準備が始まってからというもの毎日賑わうようになった。準備にかかることすべてが浜で行われるため、男全員が浜に出ているのだ。鍛錬は砂浜で行われ、島中の縄という縄、舟からさえも取り外し集められ繋ぎ合わせている。岬の両端にも数人が集り、運ばれてきた石を凹凸を組み合わせてぐらつかないよう積み上げたり、舟の柱を立てる作業が行われていた。鍛錬以外の仕事は男たちでなくてもできるので、年寄組や男の子たちも手伝いに出てきている。
逆浪は防風林のそばで数人の男たちに矢の訓練を行っていた。島にも弓と矢はあるものの、誰も触ったことがなかった。筋のよさそうな数人が選ばれて、大陸で使っていたことがあるという逆浪が手ほどきをしていた。
そこを水潮が通りかかる。水潮は準備の進み具合を見て回っていた。それぞれの場で責任者とは必ず言葉を交わすのに逆浪には声を掛けなかった。逆浪が目をそらしたからだ。水潮は浜全体に広がって短刀や棒の訓練をしている者たちの方へ足を向けた。
試合っている合間を通り抜けながら指導の声をかけていると、水潮の背後に回る者があった。水潮の髪の紐をほどき、指先を髪の中に差し込んでほつれた髪に一気に手櫛を入れる。
「……っ!」
水潮が驚いて振り返ると、振り向く動作の隙を突いて相手は水潮を胸に抱きしめた。身長差があるため、相手が背筋を伸ばすと水潮は宙吊りになる。水潮はじたばたもがいた。
「ちょっと、な──波座!?」
「油断したな、水潮。ん? もう少し胸あったんじゃないか? 女服の時は出てたろ?」
「今は布巻いて押えてるから──ってそうじゃなくて離せよ!」
腕ごと抱きしめられて反撃ができない。唖然として見つめる男たちに気付いて、水潮はかあっと頬を赤らめた。何とか体をよじって腕を抜き、波座の顔面に肘鉄を食らわせる。波座はたまらず水潮を離し、尻餅をついて顔面を押えた。水潮は肩で息をしながら怒鳴った。
「あ……あほかよおまえは! こんなことして何になるんだ?」
「やっぱりおまえは髪を下ろしてた方が似合うな」
指の合間から見上げて言う波座に、水潮は再び紅潮する。すぐに我に返って紐を取り返そうと手を伸ばすと、その手を掴まれて引き寄せられた。手に紐を押し込まれ耳元にささやかれる。
「恋敵を牽制する気のない男なんてやめておけよ」
その言葉に水潮が硬直している間に、波座は立ち上がって砂を払い鍛錬に戻っていった。水潮は我に返り髪を縛ると、今の騒ぎに鍛錬をやめてしまった者たちに喝を入れながら浜を離れた。
防風林に入り木の陰に身を寄せるとうつむいてため息をつく。通りすがりに矢の訓練をしている者たちをさりげなく見渡したが、そこには逆浪の姿はなかった。わかっていたことだけど、実際に目の当たりにすると胸が痛い。
「事情も知らないくせに引っ掻き回さないでよ……」
水潮は手のひらで目を覆い、木を伝ってずるずるとしゃがみこんだ。
「船が動いたぞー!」
村へ駆け下りてきた男の一声で戦いの刻は告げられた。陽が中天にさしかかる前。緊張が報せと共に走る。中には動揺や怯えも。
「慌てるな! 作戦通りに動けばかならず勝てる!」
水潮が声をかけながら浜から大広場へ上がると、女たちがあきらめた顔で水潮を迎えた。中から澪筋が出てくる。悔やみ顔をそむけて言葉はない。水潮は静かな表情をして言った。
「あたしもあなたがたに加わります」
ざわめきが起こる。
「水潮」
澪筋が顔を上げ、気遣わしげな視線を水潮に向ける。水潮は大丈夫という笑顔を澪筋に見せてから前に進み出て真剣な表情で全員を見回した。
「あたしは先代巫女の娘、島の直系ですから」
今まで誰も言い出せなかった事実。島長が水潮と対立し、島長がその事実を確かめようとしなかったため、誰もが口にするのをはばかった。今も言葉なく見守っている。
「あたしはこの身に流れる血を守るために男として育てられました。最後の最後に自分を守れるのは自分でしかないから。そのおかげで八年前の襲撃も、大陸での長い生活も生き抜いて、今こうしてここにいます。父さんと母さんのおかげで守り抜くことのできたこの身で、父さんと母さんが一番守りたかったこの島を守りたい」
皆、息を詰めじっと聞き入っている。
「守るには、一人ひとりが島を守りたいって強く思い、その思いを一つにして力を合わせなくてはだめなの。だからお願い。気持ちを一つにして、今はあたしにあずけて!」
数人が大きく胸を叩いた。賛同のしぐさ。それを見て他の者たちも、力強く、または恥らって胸を叩く。水潮はこぶしをふり上げた。
「今夜が決戦! 戦いにそなえて夕飯と休息を! 解散!」
女たちは一斉にこぶしをふり上げた。
散っていく女たちの一角で、ふと疑問がささやかれた。
「水潮の力って見たことがないけど、どのくらいの力を持ってるのかしら?」
「先代巫女の娘と言っても半分は大陸の人間の血が入ってるから……」
言いかけて年若い女は口をつぐんだ。そばに澪筋がいた。女は連れ立ってそそくさと立ち去る。澪筋が女たちを見ていたのは咎めようとしたからではなかった。
澪筋は知っている。水潮から渡された短刀の本当の力を。あれには記憶がこめられていた。しかもごく最近のもの。それをできる力といえば──。
陽の光が赤く染まり出す頃、皆食事を終えて準備の最後の仕上げにかかっていた。男たちは左右の岬にわかれ、長い長い縄を持って合図とともに引っ張る練習をしている。かがり火の準備もされていて、その脇では弓の点検をする者が集まっていた。逆浪はその中で一人、他の人々の高まっていく意気とは逆に思い詰め消沈していくようだった。
「逆浪」
声をかけられ振り向くと、いつのまにか水潮がそばに来ていた。
「ちょっと来て」
「しかし……」
逆浪は周囲を見遣った。準備に慌ただしい中、抜けるのは気が引けるのだろう。
「おまえの今の様子は、他の者の意気込みに水をさす。喝入れてやるからちょっと来い」
頭領の言葉で言われ、逆浪は弓を他の者に預け水潮に続いた。
大広場に入ると急に静かになった。戦いに出る者は浜の方へ、出ない者は洞窟へ、移動が完全に完了している。水潮は村に入って坂を上ってもまだ立ち止まろうとしなかった。高台にまで出てようやく立ち止まる。
「何をそんなに気鬱でいるの? 話してよ」
振り返った水潮から、逆浪は気まずげに目をそらした。
「気がかりなことがあって、戦いに集中できないんでしょ?」
重ねて訊ねても口を開かない。水潮は下ろした腕の先でこっそりこぶしを握り決意を固めた。
「あたし、策を立ててくれたのは、二度と島を裏切らない証だと思ったんだけど、違うの?」
「……っ!」
逆浪ははっとして水潮を見た。まっすぐ見つめてくる水潮と視線を合わせていられなくてすぐに顔をそむける。水潮は考えるそぶりをしながら口を開いた。
「それともあれのことかな? ──あたしの父さんを殺したの、あなたでしょ?」




