14、
男たちは全員大広場に集まり、研ぎ石やかなづちなどを順番に使って短刀の手入れをはじめていた。突然の敵到来の報、戸惑いと動揺、それと興奮が大広場を包む。その中で何度も視線を向けてくる男に気付いて、水潮は端の方に一人離れて座っているその男に歩き寄った。
「どうかしたか? 黒瀬」
「何もない」
本当に何でもない風に短刀を柄に差し込んで、空いている二つの穴に細い縄を通している。が、繰り返された視線に何の意味もないわけがない。
「言いたいことがあるなら言わなきゃだめだ。迷いがあると剣の腕が鈍る」
黒瀬は縄を縛り終え握り具合を確かめると、立ち上がって浜に向かった。水潮は後ろをついていきながら言った。
「黒瀬、あまり気負うな。もしかしたら戦いにはならないかもしれないし、なったとしても一人で戦うわけじゃない。皆がいるし、あたしも──」
黒瀬は立ち止まった。水潮が数歩離れたところで立ち止まると、黒瀬は振り返った。
「時津は俺が守る。やってくる敵からも、おまえからも」
「時津って?」
水潮は首を傾げた。その様子を見て黒瀬は激怒した。
「澪筋から聞いてないのか!? 俺をかばうためにおまえを非難し、澪筋がおまえについたせいで逆に貶められてしまった俺の妻だ!」
水潮は申し訳なさそうに頭の後ろを掻いた。
「あ……あの。それは悪かっ」
「謝るな。時津を守れなかったのは俺が至らなかったせいだ。あいつは今女たちから孤立している。それが嫌で家から出ようともしない。今の俺には何もしてやれないが、必ずあいつの名誉を回復して日の下に出してやる。あいつの身も心も名誉も俺が守るんだ!」
黒瀬は胸に手のひらを押し当てて力強く言った。水潮が言葉を詰まらせているうちに浜へと降りていってしまう。浜では短刀の手入れを終えた者たちが夕飯前のわずかな時を鍛錬に励んでいた。黒瀬がそこにまじってしまうと、水潮は他の者たちの質問攻めにあって声をかけられなくなってしまう。そのまま黒瀬と会話を交わす機会は二度と得られなくなった。
西の夜空にかかる半月は深夜の印。
青白い光に染まった入り江に二つの大きな影が入ってきた。影はそれぞれ二つの火を灯し、進行方向を確かめるように行ったり来たりする。ぎっぎっと櫂を漕ぐ音が聞こえてきて、先を進んでいた貨物船がざんと音を立てて浜に乗り上げた。人影が飛び降りる。後ろの船は前の船の後ろにつけ、乗組員は前の船を伝って浜に降りた。全員が下船したことを確認すると、侵入者たちは一斉に走り出す。
その時急に前方が明るくなった。かがり火が焚かれたのだ。暗色の衣服に身を包んだ侵入者たちは白い砂浜の上に姿を晒され立ち往生する。
運ばれるかがり火と一緒に、林の中から島の男たちが姿を現した。島の男たちは林を背に広がって並ぶ。中央から杖をついた男が数人の男を従えて前に出た。侵入者の側も目配せで数人を選び出し、前に出る。双方は数歩の間を挟んで立ち止まった。島長が厳かに口を開く。
「夜更けの海を渡ってくるとは命知らずな。その勇気はほめてもよいが、我らの掟では島の男たちの舟をかいくぐってきた者のみが島に入れることになっておる。そなたらはそれに当たらない。ここで用件を聞こう」
侵入者の先頭に立った者が口を開いた。
「我々はニルフェド王国よりの使者である。この島は我が国が神聖フェルミラー皇国と称されていた世より、我が国が所有するものである。この島は長く自治を許されてきたが、このたびニルフェド王国国軍の直轄地と定められることになった。よって島に住むニルフェド王国臣民は島の要たる宝と巫女を返上し、軍の命令に従うように」
「従え、だと?」
「そうだ。これより島は軍が治める」
「勝手なことをぬかしおって!」
かっとして杖を振り上げようとした瞬間、島長の服の背がぴっと引っ張られた。こちらから仕掛けてはならないと知らせる合図だった。島長はうぬぬとうなり声を上げた。
──頭領だからといってあたしが出て行ったのでは相手になめられます。島長なら貫禄がおありだし、島長の判断ならば島の者は皆納得できるでしょう。
そう言って水潮は島長に判断を任せた。一体何のつもりなのか。男のなりまでして頭領の座を得たというのに、この重大な場での判断をあっさりひとに委ねてしまう。頭領になったのは自らの判断に島人たちを従わせたかったからなのではないのか? 島長には水潮の考えが読めなかった。だが今はそのようなことを考えている時ではない。
島長は振り上げかけた杖の先で砂地を強く突いた。
「宝と巫女はやれぬ。そなたらに従いもせぬ。早々に立ち去れ!」
「従っておいた方が利口だと思うけどなぁ」
場にそぐわぬのんびりした声。交渉に立つ侵入者の隣に立った人物に島長は目を瞠った。
「海境!」
「ニルフェドに逆らったらろくなことないよ? 八年前の悲劇をまた繰り返すつもり?」
海境の生来柔和な顔が酷薄に歪む。少し子どもっぽいところがあったがはつらつとした好青年だった。それが、どうして。
侵入者は隣の海境を見遣り、ため息をついた。
「おまえが言ったとおり起きていたな」
「でしょ? いつもより早い時間に煙が上がってたから何かやってると思ったんだ」
「寝静まっているところを制圧して穏便に済ませようと思ったんだが、予定が狂うと面倒が増えることだ」
腰にさした剣を抜き、素早い動きで島長めがけて振り下ろす。
キィン!
浜に刃のぶつかり合うの音が響いた。振り下ろされた剣は、短刀に阻まれ止っている。侵入者の剣を止めた者は口の端を上げた。
「礼を欠くにもほどがあるな」
侵入者は目を見開いた。自分の剣を片手で止めた者の口から出たのは女の声だったからだ。
「……おまえが水潮か」
水潮がにっと笑った瞬間、侵入者は片手を上げて前に振った。後ろの者たちが一斉に剣を抜き水潮に向かって走る。水潮と剣を交えていた男は、両脇から短刀を繰り出され大きく飛び退いた。男と水潮の間に吹走と波座が割って入る。男と入れ替わりに突っ込んできた賊たちを二人は短刀を振るって阻む。そこへ島の男たちが声を上げて走り込んでくる。場は一気に入り乱れた。
「二人だ! 一人に二人以上でかかれ! 村に賊を上げるな!」
水潮が叫ぶ。攻撃が集中する水潮を吹走たちが援護する。水潮は群がる侵入者たちをかいくぐりたった一人の姿を追った。
海境は自分が水潮に敵わないことを知っているのだろう。侵入者たちの背後に逃げていく。次第に距離を縮めていった水潮の手は、ついに海境を捉えた。首根っこをつかんで引き倒す。
「こんな状況になってもおまえはおまえがしたことを正しいと思っているのか!? そんなに島が憎いのか!」
踏み荒らされた砂地にはいつくばった海境を水潮は見下ろして怒鳴りつける。その隙を突いて水潮の背に切りかかる者がいた。水潮が気付いて振り向きかけた瞬間、誰かの背中が視界に割り込んだ。敵の剣が宙にはね飛ばされる。敵は手首をおさえ、波際の方へじりじりと下がる。切っ先を向けて牽制したのは逆浪だった。横顔を見せて言う。
「海境を」
その声に反応して水潮は立ち上がりかけた海境の腕を後ろにひねり上げ、砂地に押さえつけた。
ピィー
口笛が鳴った。侵入者たちはじりじりと後退をはじめる。
「追うな! 奴らを行かせろ!」
水潮の指示に島の男たちが防戦の構えを取ると、侵入者たちは背中を向けて走り出した。これで終わるかと皆がため息をつきかけた時、一人が島人たちの中から飛び出した。逃げ遅れた侵入者ではない。薄い色の短衣は間違いなく島の者だ。
「誰だ!? 深追いするな! やられるぞ!」
水潮はちっと舌打ちし、海境を放り出して追った。数歩遅れて逆浪も走る。それに波座と吹走が続く。吹走は他に踏み出した者たちを目の端にとらえ、腕をあおって振り向き、海境をと叫ぶ。水潮は声を嗄らして呼び続けた。
「止まれ! 戻ってくるんだ! 黒瀬──!」
暗くて誰だかわからないはずなのに、水潮は黒瀬の名を叫ぶ。
飛び出していった男は、船を波間に押し出している侵入者の一人に切りかかっていった。短刀を振り下ろそうとしたところを相手が振り向きざま切っ先を薙ぐ。短刀を強く弾かれて男は大きく体勢を崩した。その懐に別の侵入者が飛び込んで斜めに切り上げる。
血が噴きだし、男は仰向けに倒れた。そこに剣が突き立てられようとする。
「ぉぉおおおおおぉ──!」
水潮は雄叫びを上げながら切っ先を敵に向けて飛び込んだ。敵は刃を返して水潮に切りかかるが、水潮はそれを弾きながら相手の懐に飛び込み短刀を敵の胸に埋める。もう一人が水潮に剣を振り下ろした。水潮は抜けなくなった短刀を離し刺した敵を盾にしようとしたが間に合わない。やられると思ったその瞬間、逆浪は敵の背を斬り裂いた。
船を押していた他の侵入者たちは船を浜から離すと次々仲間に引き上げられる。二隻の船は帆をたたみ櫂を漕いで逃げていった。
水潮は息荒いまま斬られた仲間の脇に膝をついた。男は心拍に合わせてびくんびくんと震えている。震える度に噴き出す血。水潮は自分の服を脱いで傷の上にかぶせ、押さえ込んだ。
「明かりを!」
追いついた吹走が手を上げて叫んだ。二人の男がかがり火を支えて運んでくる。
水潮の服はすでにぐしょぐしょだ。暗くてよく見えない中で、男はごほっとむせかえり、体を大きく跳ねさせ、ごぼぼぼという音を最後に静かになった。
明かりが着き、水潮、吹走、波座、逆浪が囲む中を照らす。
「黒瀬!」
波座が叫んだ。吐いた血で真っ赤に染まった顔は黒瀬のものだった。水潮がはっきり確認しないで呼んだ名の者だった。水潮は顔をそむけ目をきつく閉じた。しばらく堪えてから顔を上げると、自分の服の血に濡れていない部分を取って黒瀬の顔をぬぐう。そして立ち上がった。胸に布を巻き短い下ばきをはいただけのあられもない恰好だったが、今は誰も余裕がなくて気に止めたりはしない。水潮は舟揚げ場へわき見もふらず早足で歩いていった。一艘の舟を海に引き出し操って波際を回り戻ってくると、浜に揚げて残された侵入者たちに近付いた。すでに事切れている男から手で押えて短刀を抜こうとしたができず、足をかけて引き抜く。その男の脇に手をかけてを引きずるのを、吹走は足を持って手伝った。もう一人も同じように運び、舟の前後に載せる。
「海境」
水潮は振り返って呼んだ。海境は波穂に引き立てられてやってくる。小突かれながら歩いてくる海境は、ふてくされているように振舞いながらも不安を覚えていることは瞳から見て取れた。虚勢を張ってそっぽを向く海境を、水潮は無言で睨みつけ舟にぐいと押しやる。
「出て行け」
海境は思わぬ処遇に目を丸くし、それから愚鈍と取れる処遇をせせら笑った。
「いいの? 裏切り者を放免しちゃって。せっかく捕まえたのにさ」
「置いてかれたってことはおまえが奴らにとって不利な情報を持ってないってことだろ? 尋問したところで無駄だ。それにおまえを島に留めれば皆が動揺する。そんなやっかい者はとっとと追い出したい」
水潮は容赦ない物言いをした。要らない者と言い切られた海境は顔をしかめたが、ふと何かを思いついたような顔をして口元を歪める。
「ああそうだよね。俺に口開かれたら水潮が一番困るもんね。何しろ一番に罰しなきゃならない奴を見逃してるんだからさぁ」
水潮は海境の胸倉をつかんでひねり上げた。顔を近付けて声を低くする。
「それ以上ほざくな。口をきいたら──殺す」
血に汚れた短刀で首の皮一枚に傷をつける水潮に、海境は水潮の本気を感じ取る。生唾を飲んだ海境は、水潮が剣を退くと慌てて舟を波間に押し出した。
「あたしは助けてやると言った。けれどそれを拒んだのはおまえだ。自分から救われる道を絶ったおまえは正真正銘裏切り者だ。裏切っておいて島に残れるなどと思い上がるなよ」
海境は帆を張り、遺体が乗って均衡の悪くなった舟を操りよたよたと沖へ出ていった。




