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1、

 ゆるやかにうねる水面が、うららかな陽の光を瞬きのように反射する。

 入り江を囲む岬の一端に佇んだ男は、規則正しい光の反射に眠気をさそわれ、大きなあくびをした。もう一端に立つ男もついついつられてしまいそうになる。見張りがそんなことではいけないとあくびをかみ殺しながら視線を遠くに向けると、沖合いに三角の白い帆が十数並んでいるのが目に入った。舟を走らせ哨戒にあたっている仲間たちだ。

 哨戒といっても、潮の流れが急で複雑なこの海域を危険冒してやってくる者はそういない。そのため哨戒の当番は舟を出すことができるという島で数少ない楽しみの一つになっていた。

 うらやましそうにぼんやり眺めていた見張りは、ふと表情を険しくした。広く散っていた舟が集りつつある。普段にはない動きだ、と考えているうちに舟影がみるみる大きくなる。

「おい、あれ!」

 沖を指差し声を飛ばすと、あくびをしながら顔を上げた相方は一瞬で目を覚ます。

「こっちにむかってくる? 何があったんだ」

 呟きに近いこの声に応えるかのように沖から怒声が響いた。

「侵入者だーーー!」

 見張り二人は咄嗟に足元のほら貝を拾い上げ吹く。

 ブォー ブォー

 腹を絞って一呼吸を吹き終えたその時、集団の前を行く一艘が帆に大きく風をはらんで押し出されるように宙を飛んだ。船底から水滴が散る。入り江に入る波と出て行く波がぶつかり合う激しい波を一気に飛び越える。

 見張りはほら貝を吹き続けることを忘れ、水滴が描く美しい軌跡に見入った。

 舟は入り江の内側に着水し、半円を描いて勢いを殺し舟を止める。見張りたちが我に返りほら貝を構え直すと、それを目にした侵入者は慌てて声を上げた。

「待って待って! 怪しい者じゃないってば」

 その声に見張りたちは目をむいた。ようやく追いついた者たちも、意表を突かれて舟足を鈍らせる。

「女?」

 男のものとは考えられない、細く甘やかな声だった。

 舟を駆る男の一人が侵入者の背に回って全身を確認する。

 侵入者は十三、四の少年と変わらない体格をしていた。肌は日に焼け、髪を後ろ頭の高いところで束ね、男の着る膝丈の半分の衣を着ている。が、改めて確認すれば腰はくびれ尻は丸みを帯びていてどう見ても男に見えない。

 女は自分を検分する男に、首をひねって顔を見せた。

「あたしの顔に見覚えない?」

 その顔はまだ幼さを残した娘のものだった。睫毛にくっきり縁取られた大きな目に見据えられて、男の脳裏に記憶が浮かび上がる。

閼伽あか?」

 思わず口にすると、娘は満足げににっこりと笑った。

「閼伽は母さんの名前ね」

「……お前は水潮みずしおだというのか?」

「そうよ。ただいま!」

 男たちはざわついた。その中にそんな馬鹿な、嘘だといった声が混じる。娘を検分していた男は警戒あらわに問いかけた。

「女のお前が何故、裏切り者の息子の名を名乗る!?」


 大陸の巨大な湾の中心に入り江を持つ島が一つ存在する。大陸に住む者たちはその島を内海島と呼び習わしているが、島の者たちは単に島と呼んでいる。

 島は道具で描いた全円のような外周を持ち、そびえたつ三日月の山とその両端から細く伸びる入り江を囲む岩場から成っている。半円を描く入り江は、波打ち際に立っても岬の先端に立った者の声を聞き取ることができないくらい広い。浜の半分には五十艘余り、今は全部の舟が揚がっている。浜を上がっていくとまばらな防風林があり、防風林の先には大広場があって、島人すべてが集まってきていた。

 皆、大広場に面した集会所を遠巻きにしていた。隣同士こそこそ言葉を交わしながら、集会所の入り口の前に佇む娘に様々な思いを向ける。

 島人の誰もが薄い青緑色の衣服をまとっている中、娘の黄ばみがかった白い衣服はよそ者という印象を与えていた。それに女ならば丈はくるぶしまであるべきなのに、娘の衣服は男のものと同じ膝の半分までしかない。島の女は足首より上をさらして歩いたりしないものだ。何人かの男女は裾から覗く腿に頬を赤らめ眉をひそめる。

 また、娘を困惑した目で見つめる者たちもいる。かつて水潮という少年と親しくしていた者たちだ。娘に名前を言い当てられ、思い出話を二、三交わした。細かい話がかみあうところや、感じる雰囲気から間違いなく水潮だと思うのに、水潮だと口にすることには抵抗を覚えた。女っぽい顔立ちをしていると思ったことはあっても、それは母親に似ているからだと思い、水潮を女だと疑ったことなど一度もなかったのだ。そのためにわかに信じられるものではない。

 そして年長の、島を守る立場にある男たちは、娘に油断ない険しい視線を向けていた。その中の数人は敵意さえにじませている。

 水潮は八年前、島を裏切った父親・浪煙ろうえんによって連れ去られた。

 浪煙のせいで多くの島人が死んだ。浪煙の子である水潮にも恨みを思っている者もいるが、九つだった水潮は父親に手を引かれればついていくしかなかったのだろう。しかしあれから八年、ものの分別がつく年頃になって水潮は一人で帰ってきた。父親から逃れてきたのか、父親によって送り込まれてきたのか。見極めがつくまで気を抜くことはできない。


 集会所の入り口の布がめくられた。中から娘が出てくる。目尻の少し下がった、儚げで美しい顔立ちをした娘だった。娘は水潮の視線を避け、小走りに人垣の合間に消えていった。

「水潮と名乗る娘、入ってくるがよい」

 娘の様子を気にして少し振り返っていた水潮は、正面に向き直り唇を引き結ぶと、入り口の布をめくって中に入った。

 島の家は岩を四角く掘り抜いて造られている。集会所も同じ造りで、他の家の倍以上広くなっている。入り口の布が降りると陽射しはほとんど遮られ、油に浸した紐の先端に灯る火一つに室内はうすぼんやりと照らし出された。

 入り口と反対の壁を背にして、五人の老人が盛られた砂に布を敷き、その上に胡座をかいて座っていた。水潮は低い天井に頭をぶつけないよう気を付けながら、中央に座る老人の前に進み出て膝を突いて腰を落とす。老人の目の前には明かりと、その横には銅鏡が置かれていた。刻まれていた文様はかすれ全体が黒ずみ、鏡面は腐食してすでに姿は映らない。老人は重々しく口を開いた。

「そなたの持ってきた銅鏡は確かに島の宝であった。しかしだからといってそなたが水潮であるという証にはならん。水潮は男じゃった。なにゆえ女のそなたが水潮を名乗る? 」

「両親によって女であることを隠され男として育てられたのです。さっき何人かと話をして水潮だと認めてもらいましたが、それでも証にならないというのならどんなものがあったとしても納得してもらえないのではないですか。おじいちゃん?」

 おじいちゃんと呼ばれ、老人はむっとした。

「そなたにおじいちゃんと呼ばれる覚えはない」

「でもあたしの母さんの父親なんだから、おじいちゃんでしょ?」

 親しげに話し掛けてくる水潮を、老人はぎろりと睨みつける。水潮は肩をすくめため息をつくと、髪をほどいて手櫛で整えた。

「あたし、母さんに似てると思うんだけど、これは証にならない?」

 閼伽と違って色黒いが、面差しは似ている。老人は水潮の話し方や仕草をなつかしく思った。しかし老人は島の人々をまとめる役目にある島長だ。そう簡単に外からやって来た者の言を信じるわけにはいかなかった。

「そなたが本当に水潮だとして、何故女でありながら男として育てられたのじゃ?」

 水潮はわずかに目を細めた。

「それはあなたが母さんに武術を覚えることを禁じたからです。両親は女であっても、いえ、女であるからこそ武術を身につけるべきだという考えを持っていました。ですから武術を学ばせるためにあたしを男として育てたのです」

 かつて愛娘と突き合わせた問答を思い出し、島長は眉をひそめた。娘に言って聞かせた言葉を、今度は孫に向かって繰り返す。

「女は男に守られるものじゃ。しかも閼伽は一番に守られるべき巫女であった。武器を取り戦う者ではない」

「その閼伽を、八年前に守り切れず殺されておきながら、まだそれを言いますか?」

 険のある水潮の言葉に、島長は肩を怒らせ激昂した。

「閼伽は浪煙に、そなたの父親の殺されたのじゃ!」

「違う!」

 水潮は負けじと叫び返した。

「父さんは母さんを守ろうとしてた! 母さんは島の皆を守るために敵の前に出て行って、その母さんを守るために父さんは敵の背後に近付いていってたんだ。でも急に斬り合いが始まって場が混乱して、父さんは何人もの敵に阻まれて母さんに近づけなくなって。母さんは、あたしの手を引いて必死に逃げた。けど追いつかれそうになって、母さんは立ち止ったんだ。あたしを逃がすために。─今でも思うよ。母さんが一つでもまともに武器を扱うことができていたら、そんなことしなかったんじゃないかってね」

 水潮は髪を元の通り、後ろ頭の上のほうで束ねなおした。

「あなたがたが認めたくないと言い張るなら、水潮と認めてもらえなくてもいいです。あたしは上陸を阻んできた島人たちをかいくぐって、自力で島にたどりつきました。だから、島の掟では新しい島人として歓迎されるはずですよね? それと」

 水潮は銅鏡に手をかける。

「待て!」

 島長が止めようと手を伸ばすが、水潮は一瞬早く取り上げた。

「掟では頭領は島の宝を守らなくてはならないことになってますよね? そういう意味では、今まで宝を守って持ち帰ったあたしに頭領たる資格があると思いませんか? ……でも、そんなこと一方的に言われたって誰も納得できないだろうから、今年中に改めて頭領を選びなおすことを要求します。その際にはあたしも参加します。要求を飲んでもらえるなら、宝はあなたがたにお預けして今の頭領をそれまでの頭領として認めます」

「な、何をっ!」

 水潮の言い分に血が昇って島長は腰を浮かしかける。そこへ水潮は銅鏡を突き付けた。視界をいきなり銅鏡で覆われ、驚いて後ろに倒れる。

「あたしはこの八年間、旅先で死んだ父さんと一緒に宝を守りつづけてきたんだ。そのあたしが譲歩してこの場で頭領の座を要求しなかったんだから、文句なんか言わせない」

 水潮の凄みは島長だけでなく室内に居る者すべてを圧倒した。息を飲み、誰も一言も発しない。

 水潮は足元に銅鏡を置くと、天井に頭をぶつけないよう腰を屈めて外に出た。

 布をめくると、入り口近くにいた若者がわっと声を上げて飛び退いた。集会所の中の会話が気になって近付いてきていた他の人々も、慌ててさっきよりたくさんの距離を取る。

 彼らは一様に疎ましげな目で水潮を見ていた。中の話が聞こえていたのだろう。島人たちからすれば水潮の言い分は身勝手もいいとこだ。それに女の身で頭領の座を望むなど、島の常識からしたら考えられない。

 水潮は自分が島人たちに受け入れられないことをわかっていたのだろう。さっぱりした表情で周囲を見渡すと、村を登っていく坂に足を向けた。島人たちは逃げるように道を空ける。

 早足に通り過ぎようとした水潮は、坂に向けて顔を上げたところで急に立ち止まった。何があるのかと、数人が水潮の視線の先をたどる。

 坂の手前に一人の男が立っていた。背の高い、目鼻立ちが涼しげな精悍な面差しをした男だ。水潮は一瞬目を見開き息を飲んだが、次の瞬間には満面の笑顔になって走り出した。

逆浪さかなみ!」

 勢いに任せて飛びつき首根っこにぶらさがる。逆浪は驚いて反応が遅れたものの、片足を引いて踏ん張り水潮を支えた。その様子に見ていた者全員が仰天する。何なんだという呟きがあちこちからあがりはじめると、水潮は逆浪に寄り添ったまま顔だけ振り向かせた。

「あたしたち、子どもの頃夫婦になる約束したんだもん」

 逆浪の方を向いて、ね? と首を傾げてみせて、それから腕を引っ張って坂を登りはじめる。元気よく進む水潮と、よろけながらついていく逆浪を、人々は言葉なく見送った。

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