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29.疑惑

「シリウス、次は……人が多く集まるところに行ってみていいですか?」


 シリウスも唸って承知した。

 多少の後ろ髪は引かれつつも、ソニアとシリウスはこの場を後にして、走って行った。


(私の誘拐を企んでいる……以外に、何も、なければいいのですか……)


 なかば、祈るような気持ちでソニアはぎゅっと唇を噛んだ。


「……!」


 少し走ると、居住地区の中央のほうで騒がしさがあった。シャルルとソニアの家は居住地区の外れに位置している。シリウスは音を聞きつけてから脚を早めた。


「……これは……」


 そこでは兵たちが闘っていた。見慣れたティエラリア兵と見慣れぬ武装をした兵たち。いくらか煙が立っているのも見える。匂いがわからないのは、先ほどの匂い玉のせいで鼻がダメになっている影響だろう。


 夜間であったが、すでに住民たちは避難を開始しているようだった。住民を先導する中に、ウロボスの姿をソニアは見つける。


「ウロボスさん!」

「おう、お前さんも無事か!」

「一体なにが……」

「ついさっき急にコイツらが侵入してきたんだよ、で、ご覧の通りだ!」


 ウロボスががなり声をあげる。


「シリウスか、おい、他のフェンリルたちはどうしてんだよ」

「す、すみません、臭い玉のようなものを投げられて、他のフェンリルたちは臭いにやられてしまってどうにもならなくなってしまっていて……ひとまず、シリウスと一緒に街の様子を見に来たんです……」

「……クソッ、そうかよ……」

「他のフェンリルたちも連れてこられなくてすみません」

「いや、そんな状態のフェンリルを無理矢理引っ張ってきたってしょうがねえ。妙にやり方が手慣れてるじゃねえか、コイツら……」


 ギリと歯ぎしりしながらウロボスが謎の兵たちを遠目に睨む。


 ソニアはもしも自分がフェンリルたちの鼻を癒やしてやれれば、と悔やんだ。コントロールできないこの力を、もっと使いこなすことができていれば、と。フェンリルたちの苦しみも除いてやれるし、大地の民やティエラリア兵たちの助けにもなれたはずなのに。


「なんだってんだ、こんな……」


 ウロボスが低い声で唸る。


 戦い慣れをしているティエラリア兵は奇襲を受けていても統率がとれていて、また、住民たちも素早く避難行動にうつっていたおかげで目立った混乱はない様子だった。

 だが、建てたばかりの家が何軒か燃えているのが見えて、ソニアの胸は痛んだ。


「……アイツじゃねえか、最近チョロチョロしていたヤツがいただろ」


 ポツリとウロボスが呟く。


「え? ……エリックさん?」


 アイツ――と呼ぶのは、ティエラリアの王子であるノヴァではなくて、エリックだろうとソニアは名前を挙げた。ウロボスは頷く。


「フェンリルをこんな効率的に無効化しようだなんざ、ある程度オレたちのことを知っている奴らじゃないとこうはならねえ。お前んとこのアルノーツだって、フェンリルを侮って負けただろ」

「あ……」


 ソニアはかつてのティエラリアとアルノーツの戦を思い返し、顔を青くした。あの戦では、アルノーツは戦を仕掛けた側であるのに、一方的にティエラリアに、フェンリルたちの活躍に圧倒されていた。


 「でも」とソニアは首を振る。


「エリックさんではないと思います。怪しい雰囲気の人ではありますけど、でも……」

「お前がそう思うのは勝手だけどよ」


 シャルルやノヴァに向ける優しい眼差しを思い返し、ソニアはウロボスの推察を否定するが、ウロボスは険しい表情を解かなかった。


「……まあとにかく今は、避難が優先だ。魔物の集団に襲われるよりかあマシだがよ」

「……」


 ソニアは戦いの中心になっている方角に目をやる。


 ティエラリア兵は優勢の様子だが――見慣れぬ兵の動きが変わった。後方に控えている兵たちが大量の丸い玉を取り出し始めていた。


(あ! あれは、さっきの匂い玉――)


 フェンリルたちにはまさしく急所であったが、人間でも、あの強烈な匂い玉をぶつけられれば怯んでしまうのは避けられないだろう。


「み、みなさん! 気をつけて、敵兵が匂い玉を用意しています!」


 咄嗟にソニアは叫ぶ。この喧噪のなかで声が届いたかは怪しいが、敵味方含め何人かはいぶかしげにソニアのほうを振り向いた。


「匂い玉……?」


「……待て、アレは『聖女』じゃないか」

「なに? 連れ去りは失敗したか……」


 ポツポツと視線が集まってきて、ソニアはたじろぐ。


「くそっ、聖女は奇跡の力で全てを癒やすんだろう! おい、A隊は聖女確保に迎え! 聖女をなんとかしないと、せっかくやっつけた兵も治されるぞ!」


 内心でソニアは「そんなことはできない」と叫んだ。重傷人は、ラァラの例があるから恐らく治せるのだろうが、そんなふうに力を使いこなして全てを癒やすなど、ソニアにはできない。

 これはソニアの想像だが、そんなことをしようとすれば、何人かは治るが、何人かはむしろ死んでしまうのではないか。

 想像してしまったせいで過去の記憶までフラッシュバックしかける。


 今はそんな場合ではない、とソニアは意を決してシリウスの首の後ろを叩いた。


 自分を狙っているのなら、彼らを誘導して少しでも戦力を分散させたい。それくらいしか自分では役に立てることがない。


 シリウスもその意図をすぐに汲んで、挑発するように彼らの目の前に跳躍し、シリウスの巨体にたじろいだ彼らを鼻で笑い、「こっちだ」と見せつけるように駆け出した。


「あ、くそ……」

「辺境領攻略ができなくてもせめて女一人連れて行け! B隊も聖女確保に向かうんだ!」


 元々劣勢だった敵軍はソニア確保のための人員を増やすことにしたらしい。


「どうなってるんだ、魔物の発生があって、手薄になっているって話だったのに……」


 誰かがこぼした発言にソニアは内心で首を傾げる。

 シャルルを始めとした精鋭部隊はスタンピードのほうに向かった。彼らが言うように、今辺境領は手薄のはずなのに、ティエラリア兵の数は多い気がした。ソニアの記憶が正しければ、平時よりもむしろ多い。


 どうしてだろう。

 そして、ソニアの見間違えでなければ――。


「……今こそ訓練の成果を見せるときだ! やるぞ、みんな!」


 うおおお、と野太い声が上がる。ビリビリと空気を鳴らした呻りの方角にはアルノーツ兵たちがいた。


「アルノーツのみんなが……」


 ぽかんと呟くソニアだったが、やがて、兵たちを先導するように旗を振るアイラの存在に気がついた。


「あんたたちも実践で成果出したらやる気出るでしょ! 頑張りなさいよ!」


 アイラの鼓舞に、アルノーツ兵は再び大きな声をあげた。


 訓練のために辺境領に滞在していたアルノーツ兵が、辺境領の危機に立ち上がってくれたのだ。ソニアはじんと胸が熱くなる感覚を覚えた。

 アルノーツ兵がティエラリア兵と協力して、敵と戦っていた。


(アイラ……)


 それを見て、ソニアはきっと大丈夫だ、と安心し、シリウスの背にしっかりと跨がり、前をぐっと向いた。


 シリウスはグルオオオォと威圧感のある遠吠えをし、敵兵を怯ませつつ、攪乱していく。


「……クソッ」


 敵は例の匂い玉を投げつけようとしてくる。これだけはシリウスも食らっては致命的であるので、匂い玉を投げさせないよう、シリウスは投げの構えを取る兵を積極的に踏んでいった。


 しかし、いかんせん敵の数が多い――。




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