15.「ソニアさんってすごいね♡」
珍しく、ソニアは今日は一人で畑にいた。
(いやあ……私の風邪がノヴァくんにうつってしまうとは……)
今、布団で寝込んでいるノヴァに申し訳なく思いながら、ソニアはクワで畑を耕す。
幼いノヴァは高熱が出やすいようで、ずいぶんとうなされている様子だった。
(そうだ。後で薬を差し入れに行ってみましょう。風邪薬なら、作るのにそんなに手間もかからないし……)
今日は早めに農作業は切り上げて、ノヴァのために薬を作ろう、とそう思ったところで、「やあ」と軽い調子の声がソニアの耳に入った。
「あっ、エリックさん」
ニコ、と微笑まれ、ソニアはシャルルがエリックのことを警戒している様子だったことを思い出す。
(……私は外交については疎いですが、仲良くされていても、他国の人間となると、付き合い方も変わってくる……ということなんでしょうか……)
もう少し、王女としての教養を自分も身につけておけば自分もうまい立ち回りができただろうか、と思うが、閉鎖的なアルノーツでは外交はあまり力を入れていなかったので、あまり変わらなかったかもしれない。
「今日はノヴァはいないんだね。……って、あ、熱出したんだっけ」
「そ、そうなんです。私の風邪をうつしてしまったみたいで……」
「ソニアさんはもう平気?」
ニコ、と笑みを浮かべて、エリックは小首を傾げる。
中性的な顔立ちのエリックの微笑みは柔らかい雰囲気だ。
「はい! 私は元々あまり風邪も引かないほうなので……」
「ノヴァはね、結構よく熱は出すんだよね。色々と考え込んじゃうヤツだからかなー」
「そうなんですね……。そうですね、私はあまり深い考えは持てないので、それで私はあまり風邪を引かないのかもしれないですね」
「……いや、別にそういうつもりでは言ってなかったんだけど……」
しげしげと納得して頷いていたソニアだが、エリックは困ったように苦笑を浮かべて、頭をかいた。
「まあ、元気が良さそうでよかった。今日は何をしているの?」
「あっ、今日は畑の区画を広げようと、土を耕していたんです!」
「そうなんだ。よかったら僕も手伝おうか?」
「えっ、そ、そんな、そんなことをしていただくわけには……!」
「カラディスは農耕が盛んだからね。僕も王族だけれど、国の要を担う産業として、畑仕事の一通りは経験しているよ。君よりも間違いなく上手に耕せるさ」
「え、ええと……」
どうしよう、と悩んで、ソニアは「そうだ」と手を叩いた。
「あの、では、こちらはまだ手つかずの土地ですので、ここを耕していただけたら……!」
「うん、わかった。クワはもう一つあるの?」
「は、はい!」
ソニアは慌てて、道具置き場からクワを一つ持ってきてエリックに渡した。
「今、私の力が、どう作用していくのかを試しているんです。土を耕すとか、種に触れるとか、水をやるとか、どの工程で、私の力がどれだけ作用して発育を促す効果を得られるのか……」
「なるほどね。君が耕したところと、僕が耕したところで、作物の生長具合がどう変わるのか見てみたい、ってことだね」
「は、はい! なので、ここの区画だけお願いします! ご好意に対して注文をつけてしまい申し訳ありませんが……」
「いいや、構わないよ」
爽やかにエリックは微笑む。線が細く、優男という風貌のエリックだが、『農作業は経験済み』というだけあって、クワの扱いはうまかった。
ソニアがエリックに頼んだ区画はそう広くない。ソニアは自分のやりかけの区画を耕す続きを始めてすぐに「終わったよ」とエリックに声をかけられた。
「た、助かります。別の方に耕してもらって……というのはまた別の日に、誰かを呼んでお願いしてやろうと思っていたので……」
「そっかそっか。……じゃあ、もしかしたら、ノヴァのやつがクワで一生懸命耕してたかもしれないんだな。それも面白そうだったけど」
ノヴァにそんなことをさせたら、ものすごい嫌がられそうだ。想像して、タイミング良くソニアはエリックから手伝いを申し出てもらえてよかった、と安堵した。
「よし、じゃあ、クワの泥を落としておくね。君はまだかかりそう?」
「あ、す、すみません。まだです」
ソニアのクワも一緒にきれいにしてあげようとしてか、そう声かけたエリックにソニアは慌てて返事をする。
エリックは「終わったら貸してごらん」とニコリと笑みを深めた。
(いい人だ……)
シャルルとノヴァがエリック相手に警戒心を見せていたのでソニアも少し「エリックさんはどういう人なのだろう」と思っていたのだが、温和な対応にソニアはホッとする。
なるべく急いで自分も耕し終わろうと気合いを入れ直して、ソニアはクワを握った。
「いてっ」
だが、それとほぼ同時に聞こえてきたエリックの声に、ハッとソニアはそちらを振り返る。
「わっ、だ、大丈夫ですか!?」
「ん、平気平気。ちょっと擦り傷になっただけ」
雑巾を片手にエリックが手をぶらぶらと揺らしてみせる。深い傷ではなさそうだが、泥がついては大変だ。
ソニアは水桶を持ってきてエリックに洗うように促す。エリックは「ありがとう」と短く言って、水で泥を落とした。
そして、ふと顔をあげる。金色の綺麗な瞳を目がバチッと合い、ソニアは少し怯む。
「……ねえ。そうだ、ソニアさん。治してみてよ」
「え?」
「傷。聖女って傷も治せるんでしょ? 『聖女』の力、見てみたいな~、僕」
擦り傷のできた指を差し出しながら、ニコニコと軽い調子で言うエリックだが、ソニアは暗い面持ちでぎゅっと胸元で拳を固めた。
シャルルと過ごすようになってから、自分の持つ力について大分前向きになれてきていたソニアだったが、やはり怪我の治療となると、過度の緊張がソニアを襲う。
どうしても、過去の記憶がフラッシュバックし、息が上がってしまう。
「……ソニアさん?」
エリックが怪訝にソニアの名を呼ぶ。
「あ、す、すみません。その……」
少し迷ってからソニアは口を開いた。
「実は、私の力なのですが……うまく制御ができなくて。昔、人の傷を癒やそうとして逆に人の腕をひとつ、腐らせて壊してしまったことがあったんです」
「へえ」
エリックはやや目を見開き、ソニアの話を聞く。
「その……なので、癒やしの力を使う、というのは、怖くて……。代わりに、軟膏がありますので、よかったらこちらを」
「軟膏?」
「は、はい。ええと、よく効くレシピで――いえ、あの、せ、聖女の力が入り込んでいるので普通よりよく効くらしいです!」
自分であまり大それたことを言うのは気が引けたが、ソニアはなんとか気を引き締めて『聖女の力のおかげでよく効く軟膏』と口にした。
ソニアはレシピがいいからだとずっと思っていたのだが、どうも、同じレシピで作ってもソニアと同等の効果を持つ代物にはならないらしい。
シャルルとの実験と、アイラからの苦情で明らかになった。
恐る恐る、ソニアはエリックの擦り傷ができた手を取り、軟膏を塗ってやった。
「……へえ、そうなんだ。でも、パッと治してもらうよりもよかったかもなあ。ソニアさんって、きれいな手をしているね♡」
ニコ、とエリックは笑い、治療を受けているのとは反対の手でソニアの手を覆った。
思わず「え」とソニアはエリックの顔を見上げるが、目が合ってもエリックは笑みを深めるのみだった。
「あ、あの……」
「――わっ、本当だ。もう痛くなくなったし、痕も残ってない。すごいなあ」
エリックはパッと手を離すと、軟膏が塗られた手のひらを日にかざし、しげしげと見上げた。
「すごい。ソニアさんってすごいんだね。ありがとう」
「い、いえ……その、レシピ……じゃなくて、軟膏がすごいので……」
「うん、だから、それを作れるソニアさんってすごいね♡」
(あれ……。謙遜しても褒められになってしまう……?)
褒められることに慣れていないソニアは若干居住まいの悪い気分になりながら、やや口を引きつらせつつもエリックに笑みを返した。







