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35.力の弱まった聖女の国

「ソニア様、おはようございます」

「今日は新しいドレスが届いたのですよ、楽しみですね」


 朝の身支度の時間。ソニアのもとを訪れた二人の侍女は恭しく頭を下げた。一人はリリアンで、もう一人はソニアがまだあまり見慣れない三十代くらいの落ち着いた雰囲気の侍女だった。

 ありがとう、と二人に対して微笑むソニア。


 鏡台の前に座り、髪を梳かしてくれるリリアンにソニアは彼女にだけ聞こえる声でそっと聞いた。


「……あの、リリアン。最近はリリアン以外にもう一人の方も来てくださることが増えましたよね……?」

「え? ……ああ、そうですね」


 気のせいではなかったことを肯定されて、ソニアは一気に青ざめる。


「すみません、私の身支度……大変なのでしょうか……。それとも、私の世話は手間がかかるからやはり一人では大変なのでしょうか……!?」

「まあ」


 リリアンは知的な印象の猫目をほんの少し大きく見開く。


「違いますよ、ソニア様。いままでの方がちょっと……そう、イレギュラーだったのです」

「イ、イレギュラー……?」

「わたくしのような若輩者が単身でソニア様のように尊いお方のそば付きになるということの方が本来であれば、ふさわしくなかったのです」

「……と、とうとい」


 私に尊い? と疑問符を浮かべながらソニアは言葉を繰り返す。


「ふふ、わたくしはそのおかげでソニア様の専属侍女になれたのですが……ですが、やはり、わたくしでは経験不足なところがありますから、近頃はわたくしの指南役を兼ねてベテランの方にもう一人入っていただけるようになったんですよ」

「なるほど……」


 なるほど、と言いつつ、リリアンの言う『そのおかげ』はなんのおかげだろう、とソニアには見当がつかず、目をぱちくりさせながら曖昧に頷いた。

 そのソニアの様子を見ながらリリアンはくすくすと笑う。


(リリアンはとっても優秀な完璧侍女というイメージだったのですが……)


 小柄だけれど、テキパキとしていて、常に背筋がまっすぐで有能というのがソニアのリリアンへの素直な印象だった。


(そんなリリアンがまだまだ未熟扱いされているだなんて、ティエラリアに仕える侍女のレベルはとてつもなく高いのですね……)


 ひとときの間だけそばにいてくれた侍女長マリベルは確かに、リリアン以上にテキパキとしていて近寄りがたいくらい完璧だったなあと、ソニアは思い返す。

 リリアン以外の侍女に世話を見てもらう機会が増えたのも、そういえばあの時以来だろうか。


(それはともあれ、リリアンはとても優しくて素敵な人だからリリアンが私の専属侍女でよかったなあ)


 目を細めて微笑んでいるリリアンに、ソニアもまたニコニコと笑い返すのだった。


 ◆


「やあ、今日は見たことのないドレスだな。よく似合っている」

「あ、ありがとうございます」


 支度を終えて自室から出てきたソニアを、シャルルが出迎える。

 まるで久しぶりに会う恋人に向けるようなとろけるような甘い顔と声でソニアを褒めてくれるシャルルだが、昨日の夜も一緒に寝て朝も一緒に起きたばかりだ。


「君の金色の髪はどんな色でも似合うけど、その緑色のドレスを着ている君を見ていると、特に嬉しくなるな」

「嬉しくなる、ですか?」

「うん、俺の目の色に似ているから」

「あっ、そういえばそうですね!」


 彩度が抑えめの黄緑のドレスの裾を軽くつまみながらソニアは頷いた。

 シャルルは一層嬉しげに顔を綻ばせる。


(……あれ? これ、もしかして、ちょっと恥ずかしいことを……言われた……ような……?)


 シャルルの表情を見てようやくシャルルの言葉の真意にうっすらと気づいたソニアは遅れて頬をほてらせた。


 いまさらながら、どういう顔をすれば良いのだろうとソニアが困っていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いてきた。


 息を切らしながらかけてきたのは、城の兵の一人だった。


「シャ、シャルル様! ソニア様! 急ぎ王の間にいらしてください!」


「わ、私も……ですか?」


 ソニアがきょとんと己を指差すと兵はこくこくと頷いた。


「ぜひ、ソニア様も……とのことです」

「……そうか、今すぐ、急いで向かう」


 シャルルは眉間に深くしわを作りながら、別棟の王の間の方角を睨んだ。


 ◆


 急ぎ足で訪れた王の間では、国王カイゼルがシャルルと同じような深刻な表情で待ち構えていた。


「なにかあったのですか? 伝令のものがずいぶんと慌てておりましたが……」

「ああ……。緊急事態だ」


 カイゼルは重々しく首を振る。


「アルノーツで魔物が大量発生とのこと。我が国に救助要請を出している」


「……アルノーツが……!?」


 ソニアはまさか、と息を呑んだ。


 だが、その横のシャルルは落ち着き払った様子でため息をついたのみだった。


「やはり、か」

「ああ。お前が予想していた通りだ」


 カイゼルは目を伏せて、かぶりを振った。


「建国祭も間近に迫っているが……アルノーツの国民達に罪はないのだ、見捨てるわけにはいかん。シャルル、そして、ソニアよ。アルノーツに行ってもらえんか?」

「わ、私も……ですか」


「ああ、君に来てもらわなくては、事態は収束しないだろう」


 ソニアの問いに答えたのはシャルルだった。


「俺はフェンリル騎士団の精鋭達を連れて行く。全力で君のサポートにあたる」

「……アイラ……」


 ソニアの頭にも、今の事態が起きる可能性がよぎったことは、あった。

 だがまさか、本当にあのアイラの聖女の力が弱まってしまっているとは、信じがたかった。


(どうして……?)


 困惑のまま、ソニアは祖国アルノーツに向かう支度に追われるのだった。



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