第264話 天使降臨
突然の来訪者は羽依だった。
俺たち三人の視線を一身に浴びて、居心地が悪そうにキョロキョロする。
「え……ごめん、私お邪魔だった? 帰ったほうがいい?」
しょんぼりする羽依に理事長がおろおろと焦りだす。
「ああ、すまないねえ羽依さん。今、込み入ったお話をしてたんだよ。ほら、じいじの隣に座ろうね。今お茶とお菓子を持ってくるから」
そう言ってそそくさと台所へ向かう理事長。
俺と真桜はポカンと口を開いていた。
「真桜、どうしたの? すごい涙の跡。二人で理事長先生に怒られてたの?」
「そうじゃないの。でも、そうなのかも……」
「ふうん? ――それより蒼真、真桜から聞いたよ。ちょっと私、怒ってるよ」
「え……真桜に振られたこと?」
「まず第一に、なんで私のところに連絡しなかったの?」
羽依の大きな目が真っ直ぐに俺を捉えて離さない。
「昨日は隼が俺のところに泊まりにきてたんだ。連絡するタイミングがなかったんだよ……」
その言葉を聞いて真桜がぎょっとした。
「え……隼がどうして蒼真のところに? って遥さんの家よね? いったいどういうこと?」
混乱する真桜を鎮めるべく、昨日の出来事を二人に話した。
「――そう……隼はそう思ってたのね……」
真桜は隼の本心をよく理解してるとは言えなかったようだ。
「まあ隼くんには三人の関係のことは言ってなかったからね~。それは蒼真が悪いよね」
「あ~やっぱそう思うか……って、いや……言えないだろ普通……」
「そう? 別に私は隠してないよ? お母さんにも言ってたし」
あっけらかんと羽依は言うが、またもやぎょっとした真桜。
「ちょっと羽依、それ本当なの?」
「そだよ~」
羽依の軽い相槌に真桜は口をぱくぱくさせている。
「本当だと思う。美咲さんも羽依から聞いてたって言ってたし」
真桜は天井を見上げ、口をきゅっと結んだ。きっと何とも言えない微妙な気持ちなんだろう。やるせないような、悩んでいた自分はなんだったのかとか。
――まあ気持ちはわかる。俺もそんな感じだった。
「なんだろ……私、どうすればいいんだろう……」
そう言って俺たちを見つめる真桜。
そのとき、理事長が戻ってきた。
「いいお茶があるんだよ。それにほら、羊羹を切ってきたよ。羽依さんは好きかな?」
「ありがとうございます理事長先生! 羊羹大好き!」
「うんうん。今ね、二人に説教していたところなんだよ」
「え? どうしてですか?」
「うちの真桜が羽依さんに酷いことをしてしまったようだ。本当に申し訳なかったね……」
そう言って深々と頭を下げる理事長。なんだこの優しいお爺ちゃんは……。
「真桜は私にいつも優しいですよ? 私、真桜のこと大好きなの! 真桜も私のことすごく大好きなんですよ?」
「そうかそうか。これからもずっと仲良くしておくれ」
とびっきりのお爺ちゃんスマイルを浮かべる理事長。
羽依も負けじと最高の笑顔を理事長に向ける。
「はい! 私と真桜と蒼真、いつまでもずっと仲良しでいますね!」
「え……いや、それはいかん……いかんぞ……」
途端に渋面を浮かべる理事長。
羽依は首をかしげて理事長を見据える。
「なんでですか? 私たち三人とも大好きで愛し合ってるんですよ?」
「愛し合ってるって? 羽依さん、それって言うのは……」
「はい! 三人とも大好きで、三人で恋人なんです!」
理事長は口をあんぐり開けた。
あれだけ表情を動かさなかった理事長が、今はぐにゃぐにゃだ。
羽依には弱い爺さんだったけど、まさかここまでとは……。
その様子を呆けたように見守る真桜は、まるで金縛りにあったように固まったままだった。
理事長も相当混乱しているようで、俺たちを指差し口をぱくぱくしながら言葉を出そうとしていた。
「蒼真、真桜、それは……本当なのか……」
「はい。俺たちはそういう関係です。お願いです、理事長。俺たちを認めてください」
「私は……ごめん。認めてもらう勇気なんて……ないの」
真桜はこの期に及んで尻込みしてしまう。何が彼女を臆病にさせているのか、それを俺は理解しきれていなかった。
理事長は落ち着きを取り戻し、厳しい目で真桜を見つめる。
「ふむ……半端者はうちの孫娘だけだったようだな」
その言葉に真桜はビクッと体を縮こませる。
「蒼真!」
突然の大声に心底びっくりした。
「はい! 理事長!」
負けじと大声で対抗した。
「腰抜けなうちの孫娘を納得させてみろ! 話はそれからだ!」
「ちょっと! お祖父様! 何勝手に決めてるのよ!」
「だまれ真桜! めそめそと涙を流すほど未練だらけのくせしおって、腹もくくれないのか、このうつけが!」
厳しい理事長の叱咤にわなわなと肩を震わせる真桜。
泣いているのか――。
「なんですって、このジジイ! 世間体を考えてるから言ってるんでしょうが! 理事長の孫娘がふしだらに思われたらどうするのよ!」
――あ、ガチギレだった。
「まあまあ、落ち着いて二人とも」
「「蒼真は黙ってろ!!」」
「あ……はい」
――くそ、綺麗にハモりやがって……。
二人のやりとりをジッと見つめていた羽依が何かを思いついたように、人差し指を立てて口を開く――。
「じゃあさ、こうするのはどうかな? 今度の学年末テストで一位を取った人が勝ちで、負けた人は言いなり。どうかな?」
無理やり落とし所を作った羽依。
理事長と真桜は目を見合わせる。
「いいわそれで。私のほうが分があるんだし」
「ふん、頑固な孫娘め。いったい誰に似たのやら……」
――あんただよ。
「俺も異存はない。真桜には絶対負けない」
「んふ、私のことを忘れちゃ駄目だよ。蒼真に一位取らせないようにめっちゃ勉強してるんだから!」
「まじかー……勘弁してくれよ……って、全員満点目指してるんだよな……その場合は?」
「そんな奇跡が起こったのなら、それはもう三人の関係に誰も文句を言わないのかもしれないな。結果を出しているのだから」
暗に俺たちの関係を認めてくれる理事長。
やはり以前真桜が言ってた通り、多様性の理解がある人だった。
「真桜、それでいいよね?」
「……負けないわよ」
「じゃあみんなで頑張ろうね!」
みんなで頷きあった。負けられない戦いの始まりだ。
ふと疑問に思ったことがあったので羽依に尋ねる。
「ところで羽依、そのジャージ姿はどうしたの?」
「あ〜、せっかくだから蒼真と一緒にお稽古しようかなって思ったの」
その言葉に理事長の眉がぴくりと跳ねた。次の瞬間、ゆっくりと口角が吊り上がる。
「……ほう。いいじゃないか。よし、三人とも──テスト前にみっちり稽古だ」
すっと立ち上がった理事長は拳をパキパキ鳴らす。さっきまでの穏やかさが一瞬で吹き飛んだ。
「真桜……理事長、気合入りすぎじゃない?」
「そうね。骨の一本くらい覚悟しておきなさい」
「よーし! じゃあ道場百周から開始!」
羽依は「はーい!」と元気よく返事し、そのまま勢いよく走っていった。
その背中にだけ、理事長の声は妙に優しい。
「羽依さんは怪我しないようにな」
……孫か?
「はは、案外羽依のほうが本当の孫だったりして」
「知らないわよ……何よ、あのジジイ……」
真桜は唇を尖らせ、憮然とした表情で理事長を睨んでいた。嫉妬とも拗ねともつかない横顔が可愛い──なんて今は言えない。
俺は小さく息を吐き、拳を握る。
まだ終わりじゃない。勝つ。満点を取る。
そしてもう一度、真桜に告白する。
──この関係を、終わらせない。絶対に。




