第238話 蒼真の実力
強い北風に煽られながら、買い物袋をぶら下げて足早に帰宅する。スーパーから九条邸は徒歩十分ほどと近く、買い物にはちょうどいい距離だ。
ちなみに燕さんとしーちゃんが住むマンションも十分程度。学校も同じぐらいの距離だった。いい場所に立ってるなと改めて実感する。さすがは九条といったところか。
「ただいま戻りましたー」
玄関を開けて中に入る。キッチンに向かう最中、リビングを覗くと、遥さんとしーちゃんが真剣な面持ちで向き合っていた。
「――So you’re saying the implication depends on the subjunctive nuance, right?」
「Exactly. It’s not about grammar — it’s about perception.」
言葉はギリギリ聞き取れるが、意味がまるで掴めない。
何かの専門用語なのだろうか。とにかくレベルが違う――そう感じた。
あまりの異次元空間に怯んだ俺はリビングをそっと離れ、いそいそと夕飯の支度を始めた。
今日のメニューはブリの刺身とブリ大根だ。大根を下茹でし、ブリのアラを湯通しし、味を整えて、一緒に煮込むだけ。ブリは脂たっぷりで、煮汁に溶けた旨味が甘じょっぱい香りとなって立ちのぼる。簡単でいて、とても美味しい一品だ。
大根も新鮮だったので、葉っぱと生姜を刻んで塩もみして簡単な箸休めを作った。あとはほうれん草の胡麻和えで完成だ。
手間のかからないメニューなので、後はブリ大根の味が沁みるまで待つだけだった。
「そーちゃん、おかえり~。帰ってきたの気づかなかったよ。いい匂いだね!」
しーちゃんがひょっこりと顔を覗かせる。匂いに釣られ、キッチンにやってきたようだ。お腹が空いたのだろうか、お鍋を見つめ涎が出そうな顔をしていた。
「英語のレッスンが随分と盛り上がってたみたいだからね。――そろそろ沁みたかな。味見してみる?」
「うんっ!」
小皿に小さく切った大根を添えて手渡した。彼女は小皿を手に取り、大根に唇を寄せてそっと味わうと、途端に目を大きく見開き笑顔をこぼした。
「美味しい~! やっぱりそーちゃんは料理上手だね!」
「ふふん、もっと褒めていいよ。そっちは勉強もう終わった?」
「そうね。少し休憩しようって。――そうだ、そーちゃん時間があるなら小テストをしてみない? どの程度できるのか確認しないとね!」
「ああそっか。うん、大丈夫。あと小一時間はあるかな」
炊飯器をセットして、ご飯が炊けるまでテストを行うことにした。
「今日は英語と数学を見てみようね。問題数は少ないけど、つまづきやすいところを重点的に選んできたの」
話しぶりでわかるのは、予め準備をしていたということだ。
一位を取る話が単なる思いつきでないことが改めてわかった。
リビングに戻ると遥さんが英語のテキストを広げ、懸命に記述問題を解いている。俺に気づき、一旦ペンを置く。
「おかえり蒼真くん、なんだかいい匂いがしてるわね。和食かしら?」
「はい、ブリのいいのがあったんで、ブリ大根を作ってます」
「そう、とても楽しみだわ」
そう言って顔をほころばせる遥さん。
その間、しーちゃんがクリアフォルダーを取り出し、数枚の用紙をテーブルに並べる。
「じゃあ早速テストを始めようね。遥ちゃん、ちょっとの間ごめんね」
「いえ、キリが良いので丁度休憩しようと思ってたところです。蒼真くん、頑張ってね」
そう言って遥さんはテキストを片付け自室に戻った。
「じゃあ時間は二十分ずつね。では始め!」
まずは英語だ。一年の復習的な内容だけど、確かに難しい文法や間違いやすい箇所が選ばれている。要は意地悪問題だ。――出題者の捻くれ具合が垣間見えるが、しーちゃんが作ったと思えば妙に納得もできた。彼女は俺にだけは容赦なく意地悪だ。
四十分が経過し、小テストが終わった。一応大体は解けたと思うが、ひっかけが多かったので結果にはあまり自信がなかった。俺は素直だからな……。
「結果発表~! 数学は百点満点中なんと八十点! なかなかやるじゃない!」
しーちゃんに褒められ、まずはほっと一息つけた。それでもミスがあったのは確かだ。これが羽依や真桜ならきっと満点とれるのだろうか。明日朝やってもらおう。
「英語は残念だね。三十点」
「ええ……まじで? そんなに駄目だったか……」
「うん、ダメダメだね~。――まあ、つまづく箇所はもうわかったからさ、苦手を克服しようね! 目指せ一番星!」
そういって明後日の方に人差し指を向けるしーちゃん。ピンと真っすぐ伸びた腕に自信たっぷりの笑顔がやけに頼もしかった。
――それにしても、そんな簡単に苦手な場所がわかるものなのか?
これも彼女の類まれな才覚のなせるところか。女優でなくてもきっと何をしても成功しそうな人だった。
何にしても努力すべきポイントを明確にしてくれるのは本当にありがたい。
羽依、真桜と一年間を共にしてわかったのは、地頭の良さに加えて、とにかく泥臭いほどの地道な努力を積み重ねているということだ。でも、努力だけなら俺も負けてはいないはず。
俺が一位を取れたら彼女たちはなんて言うだろうか――正直見てみたい。
学年末テストまであと二週間。できることは何でもやろうと思った。




