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告られ彼女の守り方 ~偽装から始まる、距離感ゼロの恋物語~  作者: 鶴時舞
6章 夏休み後半

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第225話 働く意味

 九条邸からキッチン雪代はそこまで遠くない距離だ。自転車だったら10分、車なら5分程度で到着する。

 ここからは志保さんの住んでるマンションが見え、学校も近く、真桜の道場も比較的近い。

 それでも羽依たちと離れて暮らすことは、何とも寂しく思えた。


 感傷に浸っていた、そのとき――。


「蒼真」


 ふと黒川さんから声をかけられ、振り向くと、顔面に拳が飛んできた。

 瞬間、体が反応する。体をそらし、懐に潜り込み、隙の出来た腹に一撃を――裏拳でぽん、と叩いた。


「おおっ! なかなかいい動きするじゃないか。ちゃんと鍛えてるな」


 感心した様子で俺に拍手する黒川さん。茶化しているのも分かる。

 まあ、何かしら仕掛けるという予感はあった。でなければ反応なんて出来るはずがない。冷静さを保ちつつ、内心は心臓バクバクだ。


「はい。っていうか、いきなりすぎでしょ……本気で顔面打ち抜こうとしましたよね?」


 とりあえず一言文句を言わないと気がすまない。そんな俺に対して黒川さんはニヤッと口角を上げる。


「ははっ、俺の本気はあんなもんじゃないぞ?」


 そう言って空に向かって拳を放つ。――洒落にならない速度だ。食らったら死ぬ……。


「駿兄さん、じゃれ合いはもう終わった? だったらさっさと帰ってね」


 冷たく睨む遥さん。おふざけと分かっていても暴力行為は嫌いなようだった。


「おいおい……休日出勤だぞこっちは。ねぎらいの言葉とうまい昼飯ぐらい用意してくれって」


 俺の知ってる二人の会話に安堵する。この人たちなりに、オンとオフの切り替えがあるんだな。


「まったく……じゃあ早速だけど蒼真くん。一緒にお昼を作りましょうね」


「はい、何を作りましょう。もう決まってます?」


「うん、もうある程度仕込んでおいたの。今日は蒼真くんの歓迎も兼ねてるからね」


 そう言って、遥さんはにこっと微笑んだ。

言葉の端々から、俺を気遣ってくれているのが伝わってくる。

だからこそ、早く自分にできることで、その期待に応えたいと思った。


 二人でキッチンに入ると、遥さんがエプロンを手渡してくれた。

 着けてみると、お腹の大きなポケットに可愛いひよこの刺繍が入っていた。見ると、遥さんも同じ柄のエプロンを着けていた。ちょっと照れるけど、姉弟でお揃いというのが妙に嬉しかった。


 ふとした疑問が浮かんだ。


「遥さん、黒川さんには俺たちの血縁のことって言ってないんですよね?」


 声のトーンを落として遥さんに確認する。


「ええ……本当なら言ってしまいたいけどね。パパからは口止めされてるし、秘密を知る人は少ないほうが良いわね」


「そのことなんですけど……」


 俺は羽依と真桜にその秘密を語ったことを告げた。遥さんは口を真一文字に結び、眉を寄せる。


「雪代さんはともかく真桜にまで言ってしまうなんて……蒼真くん、迂闊よ」


 遥さんの視線が鋭く突き刺さる。その圧だけで体が硬直した。

もはや主従関係は、すでに出来上がっているようだった。


「面目ないです……」


 遥さんはため息を漏らし、俺に向き合った。


「言ってしまったのは仕方ないわ。――他に知った人は誰か居るのかしら?」


「美咲さんだけです。俺の両親には言ってません。母親は俺の父親は今の父親の方だと思っていますので」


「なんともややこしいわね……。でも真桜も美咲さんも信用できる人だからこそ打ち明けたのよね?」


「はい。二人は俺の大事な人たちだから……」


「ふーん。まあ良いわ。――さあ駿兄さんがお腹を空かせて待っているわ。今日のためにビーフシチューを仕込んだの。味見してみてね」


 深く追求がなかったことに安堵をしつつ、大きな鍋の蓋を開ける。いい感じに煮込まれたビーフシチューだ。牛肉がゴロゴロと転がっている。さすがだなと思いつつ、小皿に取り一口いただく。

 コクの深さと絶妙な味わいに舌を巻く。これはもうレストランで出せる一品だ。


「すご……この味、プロ級ですね。お店で出すクオリティーだ」


「ふふ、料理上手の君に褒められるなら頑張った甲斐があったわ」


 嬉しそうに微笑む遥さんがとても可愛らしかった。俺にだけ見せてくれる魅力的な笑顔は、姉と分かっていても惹かれるのを感じる。


「じゃあ後は蒼真くんに任せるわね。サラダとパンを用意してくれたら出来上がりね」


「ほとんど手がかからないですね……じゃあドレッシングはちょっと拘りますね。キッチン雪代風の味付けで」


 秘伝のレシピで隠し味に味噌を使うのがポイントだ。


「ふふ、楽しみにしてるわね」


 そう言って遥さんはエプロンを外し、黒川さんの居るダイニングへ向かった。

 

 視線をそちらに向けると黒川さんがお腹を空かせた様子でじっと待っていた。遥さんはそんなゲストに紅茶を入れてもてなす。彼女の気遣いはとてもきめ細やかだ。


 大きなサラダボウルにレタス、ブロッコリ、パプリカ、スライスオニオンを彩りよく盛り付けテーブルに配膳する。それからトングで取り分けた。


「このドレッシングを使ってみてください。お口に合えば良いんですけど」


「ほう、この香りは和風っぽい感じかな。どれどれ」


 黒川さんにはすぐに和風なのがバレた。さて反応は如何に。

 二人はうんうんと頷いた。どうやら気に入ってくれたようだ。


「摩り下ろしの玉ねぎと味噌が入ってるのか。これは美味いな」


「あれ? すぐバレちゃいましたね。俺の働いてる店の秘伝のドレッシングですよ」


 分かる人には簡単に分かるんだな。まあさらに一工夫があるんだけどそれは内緒だ。


「ふふ、酸味と旨味出しにさらにケチャップを入れてるのね。工夫が素晴らしいわね」


「あらら……正解。二人とも鋭すぎ。ほんのちょっとしか入れてないのに」


 この二人を唸らせるには、もっと腕を磨かないといけなようだ。


 メインディッシュのビーフシチューを皿に盛り、テーブルに並べる。

 ロールパンをカゴで持ってきたところで俺も一旦席についた。

 どうにも腹が減りすぎた。目の前のビーフシチューがあまりにも魅力的過ぎる。芳醇な香りは今の俺にとって刺激が強すぎて、頭がくらくらしてきた。


「ではいただきます」


 熱々のビーフシチューをゆっくりと味わう。牛肉はよく煮込まれて、口の中でとろける食感だ。野菜はやや大きめにカットされ、食べごたえがありとても美味しい。


「いやあ……遥さんの手料理はやっぱりすごいですね……。俺はホントに必要なのかな……」


 そんな俺のつぶやきに遥さんが反応する。


「手間をかければ美味しいものは作れるわ。でも、私にはもう時間が限られているから……」


 その言葉に、一瞬、部屋の空気が変わった気がした。急な留学は彼女にとって不本意だからか……。


「だから、貴方が来てくれてすごく嬉しいし本当に助かるの」


 真剣な面持ちの遥さん。その気持ちがしっかりと伝わってきた。


「よくもまあこの広い家の管理を今まで一人でやってきたもんだ。――蒼真、掃除とかも手を抜いてないのが分かるか? 隅々まで綺麗なんだよ。同じ仕事をしようと思ったら大変だぞ」


 黒川さんの言う通り、どこもかしこも綺麗だ。こんな維持の仕方をしていたら時間なんてすぐに消えるだろう。

 今更ながら雇われた意味と仕事の困難さを理解した。


「はい。期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」


「おう、頑張れよ!」

「ふふ、期待してるわね」


 二人からの激励に身の引き締まる思いだ。

 そのとき、黒い物体がするするっとやってきた。


「にゃあ!」


 まるで『僕を忘れるな!』と言わんばかりに、タイミングよく黒猫のクロちゃんが俺の膝に飛び乗った。

 ――そうそう、君も応援してくれるのか。ほんと、いい子だな。


 俺は遥さんを満足させることができるだろうか。

 いや――この家でなら、俺ならきっとやれる。

 よし、頑張ろう。



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