第221話 ありえないような真実
勢い余って志保さんと口付けを交わす。その瞬間、心が千々に乱れた。
この先俺は一体どう志保さんと接していけばいいんだ。
羽依、真桜、ごめん……。
そんな情けない思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
ただ、志保さんの唇はとても柔らかく、甘く、そして切なかった。
長い口付けを終え、そっと離れる。目の前の志保さんはどうしようもなく美しかった。
潤んだ瞳で俺を見つめる志保さん。
「もう大丈夫だよ、蒼真くん。そのキスの理由も分かってる……心配かけてごめんね」
でも、溢れる言葉はとても寂しそうだった。
そんな彼女に俺のさらに情けないところを分からせなくては。
「無理やりキスしてごめんなさい……でも、志保さんが魅力的すぎたから。ほら……」
志保さんの腰をぎゅっと俺に抱き寄せ、燃えるように熱くなった俺の下腹を押し当てる。
「え……なに……ちょっとまって、さっきよりすごい……」
目を丸くする志保さん。刺激が強すぎたのか、視線がきょろきょろと彷徨う。
「男なんてそんなものなんです。綺麗な女性と二人きりになったら、理性なんてあってないようなもんです……」
「そうなの? よく分かんないや……」
志保さんは抵抗するように俺の胸をぐっと押した。けれど今は離しちゃいけない――そんな気がした。
「志保さんを襲ったプロデューサーはどうしようもないクソ野郎だけど、それだけ志保さんが魅力的過ぎたんでしょうね……」
「……」
「そんな猿のせいで志保さんの光り輝く未来を閉ざしたら……悲しすぎます……そんなの……だめです」
自分でも何を言ってるのかよく分からない。そんな俺の言葉はどう届いたのだろうか。志保さんは悔しそうに顔をしかめる。
「……一人で会っちゃ駄目って、あれだけ注意されてたのに。燕さんとも約束したのに……私はもう大人だからって……うぅっ……」
さめざめと泣き出す志保さんの頭をそっと撫でた。
初めて会ったあの日、燕さんは見るからに危なっかしい志保さんにきつく注意していたことを思い出した。
「この件、誰かに相談しました?」
「……まだ誰にも言ってないの。蒼真くんが初めて。こんなこと……誰にも言えないよ……」
「そうですか……まずは大人の人に相談しましょう。味方は必ずいます。なんなら弁護士だって紹介します」
信頼できそうな弁護士の浅見さん。彼女ならきっと親身になってくれそうだ。
「そうすればよかったんだよね……でも、一番知られたくなかった蒼真くんに話しちゃうなんて……私って本当にバカだよね」
彼女の体がほんのり熱く、少し呼吸も辛そうに見える。興奮しすぎたのだろうか。
「……ぎゅってしますから、少し休みましょう。志保さんが起きるまでずっとそばにいますからね」
こくりと頷き、そっと目を瞑る。
すすり泣きからやがて静かな寝息に変わった。
風邪薬も効いてきたのか、寝顔は安らかに見えた。
時刻は十四時過ぎ。まだ時間は余裕がある。俺も少し眠くなってきた……。
意識が……沈んでいく……。
――――
まだ幼稚園の頃、家の裏の空き地で一緒に遊んでいた女の子。
俺より少し歳上で名前は◯◯ちゃん。
「そーちゃんと遊ぶのは今日で最後」
「最後って? だめだよ、明日も泥団子で遊ぶんだから」
「ほんとそーちゃんは子供だよね。私はアメリカにいくの。だからそんな子供っぽい遊びは今日で最後なの」
「へー、いつ帰って来るの?」
「わかんない。帰ったらまた遊ぼうね」
「じゃあずっとまってるね。ぜったいだよ!」
「うん! ゆびきりしようね。ゆーびきーりげんまん、うーそついーたら……」
「ついたら?」
「ちゅってしてあげる」
「えー。しーちゃん出っ歯だから歯が当たっちゃうよ……」
「ばかね! そのころには治ってるんだから! 体だってもっとスリムになってモデルみたいになるんだから!」
「あはは! そんなにぽっちゃりなのに? そんなしーちゃん、しーちゃんじゃないよ~。でも今のしーちゃんも好きだよ?」
「ふ、ふん! もっともっと綺麗になって女優みたいになるんだから!」
結局しーちゃんは帰ってこなかった。約束したのに……。
――――
触れる唇の感触に意識が浮上する……。
「しーちゃん……?」
夢と現実が曖昧だ。しーちゃんって誰だ……。
「しーちゃん……か。懐かしいね。その呼び方」
「志保さん? あ……寝ちゃってたのか……」
「おはようそーちゃん。それと、ただいま」
――そーちゃん……?
俺を見て懐かしむような慈しむような、そんな表情。
その瞬間、過去の記憶と今の状況が交差する。
「え……うそ……しーちゃん……?」
ありえないような現実に思考が追いつかない。
俺はまだ夢を見ているのだろうか。
どうやらこの綺麗な女優さんは、俺と幼馴染だったようだ……。




