第22話 お泊り
「泊まりって、何の準備もしてないし……」
覚悟もできてないし。
「寝間着と下着類は新品をご用意してあります。バイト中、着替えることもあるだろうからね」
お団子ヘアの可愛いチャイナ娘が、悪戯な顔で妖しく微笑んでくる。
逃げ道は最初から塞いであるようだ。偽装という壁は、もはや無いも同然だった。羽依は全力で攻めてくる。ここは敢えて、逆に俺が攻めて、羽依を引かせる作戦でどうだろうか……。
「うん、泊まっていくよ。じゃあまずはお風呂に入ろうか。一緒に」
羽依は顔を真っ赤にして頷いた。
あれ? 頷いちゃった……。
ちゃぷん
「いい湯だね~蒼真~」
「……ソウデスネー」
一度は見られているし、混浴だと思えば恥ずかしくない。
なんて謎理論で、全裸になって風呂に入る羽依。
――タオルぐらい巻こうよ。
こういう時、男のほうが度胸が座らないものだと痛感した。
いや、俺がヘタレなだけか……。
雪代家のお風呂は、とてもこだわりのある立派な風呂だった。ミストサウナやジャグジーが付いていて、美咲さんの美容意識の高さが伺えた。
ミストサウナの濃い霧によって、羽依の体はあまり見えないのが幸いだった。じっくり見えてしまっては理性が飛ぶ。
お互いに頭と身体を洗いっこして、湯に浸かる。無心で。
一緒に湯船に入ると、肌が触れ合う距離の近さに息をのんだ。
ジャグジーの気泡が全身を包み、血行促進どころか理性が危うくなる。
このままじゃ本当に何かが溶けてしまう。
「……やばい」と小声でつぶやきながら、俺はそっと湯船を出た。
背後から、羽依のくすくすっという笑い声が聞こえてきた。
羽依が風呂から上がり、パジャマ姿のまま、そっと寄ってくる。ピンクに染まった頬が、何とも言えず艶めかしい。
「蒼真、髪乾かして?」
甘えるような口調でおねだりしてくる。俺は羽依の髪をタオルでぽんぽんと水分を取り除く。そしてドライヤーで優しく乾かしてあげる。仕上げに冷風を当てて完了だ。
「蒼真すごいね~。 女の子の髪の乾かし方とか知ってるんだね。 ……やったことあるの?」
「ないない! そんな目で見ないで!」
最近なんとなく感じるのは、羽依はわりと嫉妬深い。重たくて嫉妬深いというのはヤンデレの素質有りだったりして。ちょっと怖いけど……好き。
しばらくして、美咲さんからインターホンが鳴った。お店との連絡はこれを使うのが日常のようだ。
「お客さん捌けたから店じまい手伝って~」
「は~い」
お店に戻り、3人でてきぱきと後片付けを行った。
その後に、俺のための歓迎会を行ってくれるようだ。
美咲さんは少し酔っていたようで、楽しそうにニコニコしている。
テーブルの上には軽食とお菓子、それとジュースが並べられた。
「蒼真、今日はお疲れ様。どうだい? 続けられそうかい?」
「はい、俺の部屋まで用意してあって驚きましたけど……」
美咲さんはニヤッと笑ってウィスキーをロックグラスに注いだ。
「週末は遅い時間になるからね。寝泊まり出来る場所は用意しておいたほうがいいだろう。この辺、裏通りは大人でも危ないし」
……この辺って、そんなに物騒だったの? 羽依も激しく頷いている。
「ね、だから泊まろうって言ったんだよ~」
羽依が勝ち誇った表情で言ってくるので、俺はぽんぽんと頭を撫でた。羽依は気持ちよさそうに頬を緩めていた。
「蒼真のことは一目みて気に入ったんだよ。人柄が表に出てるね、誠実で嘘がつけなくて、お人好しだ」
「そんなこと、ないですよ。」
学校では偽装の嘘をついていた。俺は、美咲さんの人を見る目に応えられる自信が無かった。
「仮に嘘を言ったとしても誰かのためなんだろう。それが羽依のためなら誰も責めやしないさ」
美咲さんはロックグラスを回す。カランカランと響く音を楽しみながら、ウイスキーを飲み干した。
どこまで知ってるんだろうか。何も知らないと思ってたけど、そこまで分かってしまうのが大人なんだろうか……。
「羽依の父親もそんな感じだったからね。しかしまあホントよく似てるね。魂がそっくりって感じなのかな」
羽依も似ていると言っていたが、美咲さんもやっぱりそう思ったのか。似てるかなあ……。
「写真見せてもらいましたけど、正直そんなに似てるって思わなかったです」
ほう、と美咲さんがつぶやいた。その表情は、今、この状況をとても楽しんでいて、懐かしむような、満足感を感じているような、そんな深い表情を浮かべている。
「まあ自分じゃわからないモノなんだろうね。悪いやつには騙されないようにするんだよ」
「あっはっは」と、美咲さんは肩を揺らしながら楽しげに笑った。
しばしの談笑の後、おひらきとなった。
とてもごきげんな美咲さんは、「羽依、ちゃんと避妊はするんだよ」なんて爆弾発言を残していった。
「うん、わかってるってば」
羽依は恥ずかしそうに頷く。
「蒼真、行こう」
「え、あ、うん。美咲さん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
俺の手を引き洗面所へ向かう。すでに用意してあった青い歯ブラシで歯を磨き、寝支度をすませて、お父さんの――俺の部屋に向かった。
胸の高鳴りで音が聞こえにくい。呼吸がしづらい……。風呂上がりの羽依の香りがあまりにも艶めかしい。思考がおぼつかない。
この子と今から……。
二人でベッドに入る。俺は優しく羽依を抱きしめた。羽依は俺に身を委ねるように体を預けてきた。温もりが伝わってくる。羽依の鼓動はとても激しかった。
――そしてキスをしたときに。
羽依が「ちょっとトイレ」と行ってしまった。
戻ってきたときの羽依は、とても残念そうな顔で「きちゃった……」と言ってきた。
心のどこかで、ほっとしてしまった。
――俺は、ほんと、とことんヘタレだ。
「ちょっと急すぎたね、もっとゆっくりでも良いんだよ」
「うん、私もちょっと焦っちゃってたかも。恥ずかしい……」
そういって布団に深く潜る羽依。可愛すぎるその仕草に、俺の心臓がまたも激しく高鳴っていた。
「――あっつい!」
しばらくして布団から出た羽依。なんだか顔が真っ赤だった。
「――ところでさ、羽依は俺のこと好きなの?」
実に何気なく聞いてみた。
分かってはいるつもりだが、言葉で確かめ合いたかった。
羽依は笑顔が固まり、だんだんと冷えていく。
何を今更みたいな、呆れた顔をしている。
「蒼真ってホント鈍感だよね。――好きじゃない人の家に、泊まるはずないじゃない」
「え……てことは、その前から俺のこと好きだったと?」
「……ばか、しらない」
羽依はそっぽを向いて寝てしまった。
俺の顔は燃えるように熱くなっていた。
鈍感が過ぎるだろう……俺。
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