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第19話 魔族令嬢は、不可侵の森の悪魔に怯えてはいけない

 一週間前、エドワードから郊外の視察に行くからついてくるよういわれた。城を出て王家の別邸に泊まったのが、昨日のこと。

 真剣な面持ちで「明日、話したいことがある」といったエドワードの姿を思い出しながら、馬車の窓から見える、アルヴェリオンの美しい山々と麓を眺めた。

 夏の陽射しが燦燦と降り注ぐ深緑が、少しだけ重くも見える。


 話ってなにかしら。

 城や別邸では話せないこと──脳裏に「城に巣くう悪魔」という言葉が浮かんだ。


 連なる山の麓にある不可侵の森グリムオース。デズモンドとアルヴェリオン、先代の両国王が和平条約を結び、不可侵を象徴する石碑を置いたとされる森だ。森には魔法がかけられていて、悪しき心の持ち主が踏み入ると煉獄に送られるといわれている。


 近づく森を不安に思っているのは、私だけではない。同行するデイジーも手を握りしめて窓の外を見ていた。


「デイジー、大丈夫?」

「……魔族の私が、不可侵の森へ入れるのでしょうか?」


 気弱な声にどきりとする。

 大丈夫よと声をかければいいだけなのに、私は彼女を励ます言葉がいえず、冷たい手を握りしめた。すると、エドワードが「おかしなことをいうな」と呟いた。

 驚いて彼を見ると、若葉色の瞳が私を優しく見つめていた。


「おかしいでしょうか?」


 尋ねる私の声は、わずかに震えていた。


「リリアナとデイジーは、アルヴェリオンに敵意を持っているのかい?」

「そんなことはありません」


 私が否定するとデイジーも頷く。だけど彼女は、不安な顔で「でも」と呟いて、その胸の内を言葉にした。


「……幼い頃『森には、煉獄に連れてゆく悪魔がいる』といわれて育ちました」

「なるほど。だけど、心配することはない。私は何度も森に行っているが、こうしてここにいるではないか」

「それは、殿下が悪しき心を持たれていないからで」

「どうだろうな。口にしていないだけで、悪巧みをしているかもしれないぞ?」


 軽く笑い飛ばすエドワードに、少しだけ不安が軽くなった。

 私がほっと安堵の息をつくと、デイジーは再び「でも」と呟いた。


「……幼い時にグリムオースに立ち入った戦士が帰ってこなかった話を聞いたこともあります」


 不安そうなデイジーの言葉に、ふと思い出した。そういえば、グリムオースには魔物が近づかないともいわれる。魔物が煉獄に連れて行かれるのを恐れているからだと。だから、行ってはいけない。デズモンドでは、子どもたちにそう教えるのだ。


「それが、デズモンドの教えなのか」

「グリムオース以外の森には魔物がいます。子どもにとって、森とはそういうもの。だからこそ、魔物がいないというのは、より驚異なのです」


 私が手を握りしめながら語ると、エドワードの手がそっと重なった。


「だとしても、心配ない。もし連れ去る悪魔いたとしても、私が君たちを守る」


 優しい微笑みが私に向けられる。それが、パサージュでのことを思い出させた。


 あの時、エドワードはデズモンドを頼もしい国だといってくれた。私も、ただ守られるのではなく、そう思われたい。フェルナンドの薔薇として、彼に嫁いだんだもの。

 煉獄の悪魔に怯えていたら、それこそお飾り妃になってしまうわ。


「……守られてばかりは嫌です」

「ん?」

「私はフェルナンドの薔薇です。エドワード様をお守り……は難しいかもしれませんが、頼られる妃になりたいです。だから──」


 グリムオースの悪魔に怯えていては、頼りない。でも、戦闘において私が出来ることといえば、足手纏いにならないようにすることくらい。そうなると、出来ることはたった一つね。


「悪魔がきたら、一目散に逃げますわ」

「逃げる? そうか、逃げるか!」

「なんで笑われるのですか?」

「いや、そこは『私がエドを守るわ』というのかと思ってね」

「それは……戦闘向きの魔法が得意であれば、そうしますが」


 残念なことに、苦手なのよね。

 身体の小さい私は、どんなに魔力を練っても、魔法の威力を膨らませられない。そもそも、有している魔力が少ないから仕方ないのだけど。


「足手纏いになるのはよくありません。なので、逃げます」

「ははっ、それはいい。もしもの時は、私の魔法に巻き込まれない距離まで、全力で走るんだぞ」


 楽しそうに笑うエドワードの向かい、護衛騎士のローレンスが驚いた顔をしていた。


「ローレンス、もしもの時はリリアナの逃走経路を確保するんだぞ!」

「なにを仰いますか? 護衛騎士はエドワード様をお守りするのが役目ですわ。私など構わず、エドワード様をお守りください」

「それはよくない。もしも、悪魔が私を飛び越えて君のところにいったらどうする?」

「全力で方向転換いたしますわ」

「なら、私は全力で君を追うとしよう」


 だんだん、不毛な会話をしているような気がしてきた。そんな私たちを見ていたローレンスは頭を抱えると「お二人で逃げてください」といった。


「私が、殿下と妃殿下をお守りいたします」

「リリアナ様! 私も全力でお守りします!」


 姿勢を正すローレンスの横で、デイジーが拳を握った。彼女の不安も、いつの間にか飛んでいったようだ。


「それに、今日は精鋭を連れて参りました。悪魔ごときに遅れはとりません。侍女殿もお守りしますので、どうぞ、ご安心を」


 そういったローレンスは、ちらりとデイジーの方を見た。私の侍女のことまで考えてくれるなんて、エドワードの配下は心優しい方なのね。デズモンドでは、城の女は自身で身を守れと習うのに。

 私だけでなく、デイジーも驚いた顔をしてローレンスを見ていた。

 横で、エドワードが優しく笑って私に語りかける。


「だそうだ、リリアナ。少しは安心したかい?」

「……エドワード様の信頼される護衛騎士です。お任せいたします」

「ローレンス、期待しているぞ。まあ、悪魔は入れないだろうがな」


 また笑い飛ばしたエドワードは、私の手をしっかりと握りしめた。


 いつの間にか消えた不安な気持ちの代わりに、心がふわふわとし始める。

 胸元のブローチに触れ、初めて訪れるグリムオースを想像しながら、馬車の揺れに身を任せた。

次回、本日13時頃の更新となります


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